タロットの能動的・受動的活用
「する」と「される」と言わるように、行動的にも認識的にも、能動と受動、積極と消極があります。
感じとしては、能動・積極のほうがいい気はしますが、これも宇宙の二元原理としてみれば、どちらも必要なもので、元はひとつだったものが、表現を変えただけに過ぎないとも言え、まさに、見方次第で、どちらともいい・悪いになるものです。
ところで、タロットの場合も、タロットをする、タロットをされる(してもらう)という言い方ができます。
例えば、自分でタロットを使ってリーディングしたり、自己活用していくのは、能動的で、タロットをする、タロット使うと言えます。反対に、誰かタロット占い師やタロットリーダーに見てもらう、助言してもらうというのは、受動的なものかもしれません。
それでも、このどらちの側にも、やはり能動と受動はあるのです。
タロットを自分に使う場合でも、出たタロットを運命的なものと見て、今から必ず起こることと考えたり、タロットで示されたことは絶対に従わねばならないと思ったりしていると、それはタロットに対して過度の受動・受容、いや、もっと言うと盲目的になっていると言えます。
そして、タロットを受けに行く側でも、ただ運命を聞きに行く、占い師の言う通りに依存的に従うみたいな態度では、これも受動の中の受動過ぎで、逆に、あくまでタロットリーダー・占い師の助言を参考にして、情報のひとつとして扱い、自分を向上させたり、癒したりするうえで効果的に活用するということであれば、積極的・能動的と言えます。
ということで、一口にタロットを活用すると言っても、その態度や考え方によっては、能動にも受容にも、さらには解放的にも束縛的にも使えることになるのです。
さて、どちらかといえば、いわゆる「タロット占い」は相談する者からすると受動的で、タロットリーディングは能動的なものと考えられます。
ひとつの例で言いましょう。
あなたは恋人やパートナーがほしいと思っています。それで、具体的にそういう出会いのチャンスがある時期と、どんな人が自分に合っているのか、また出会う可能性のある人なのか、タロットで見てほしいと考えてもいます。
そこで、タロットができるという人に実際に見てもらうことにしました。
一人はタロット占い師で、結構当たるという評判の人、もう一人は占いとは少し違うタロットリーディングを行っている人の二人に見てもらうことになったとします。
占い師さんのほうは、さすがにバシバシとタロットを展開させ、チャンスは今年の10月、それを逃すと来年の春、特に4月くらいにまたやってくると言い、出会う人は、新しい仕事関係で知り合った人の紹介してくれる方となるでしょうと占ってくれました。
かなり具体的で、チャンスも二回くらいありそうだと、希望も持てそうになります。
そして、もう一人のタロットリーダーにも見てもらうと、この方は、確かにタロットは展開するのですが、タロットリーダーがカードを選ぶのではなく、相談者側の自分が選ぶ(引く)ように促され、しかも、出たカードが出会いの時期とか出会う人を示すのではないことも告げられました。
「ええー、どういうこと? もしかして、この人当てられないの、読めない素人さん?」とちょっと疑いの目を向けます。
すると、タロットリーダーの人は、「あなたが選び、決めるのです」と言い、あるカードで示された時期の出会いの可能性を、自分でセッティングするよう、心に刻み込むことが必要と説明するわけです。
このタロットリーダーは、さらにカードを引くように促し、今定めた目標に向かってできることを、出したカードの象徴性をもとに、一緒に考えていくように指示してきます。
こうして、気が付けば、どうすればパートナーに会えるのかの設計図、計画図ができあがっていたという次第です。
つまり、自分で出したカードによる、具体的な時期と人について、目標設定・プランニングを行う作業をするということでした。一種のイメージコーチングみたいなものです。
人情的には、タロット占い師がやってくれたように、相談する側に時期や人を予言してくれたほうがいい気はしますが、これは見方を変えれば、受動的で依存的、出会いの運命をただ見てもらうというのに等しいです。
一方のタロットリーダー側の行った方法は、占ってもらってはいませんが、自分の意思と力で、未来を創造していくという積極性、能動性があります。ただ、人によってはあまりワクワクしないかもですし、ロマンチックでもないです。(笑) しかもその計画をきちんと実行するかは、まさに自分にかかっているので、何だか自分が試されているようで厳しい気もします。
人は未来を告げられたい、運命というものに翻弄されたいという意外な欲望・願望もあるのです。(このことは、案外知られていません、マゾ的願望と言ってもいい部分です(苦笑)) 自分で何かを作り上げるということは、面倒で手間でもあるのですね。
ということで、ここでも、別にどちらかがいいか・悪いかを述べているのではなく、自分にとって、あるいはその時その時によって、能動・受動どちらの選択がいいか、合っているのかということです。
また、タロットをする側にとっても同じことが言え、自分は相手にどのようなタロット表現をしていくのか、するのかを選択していくことができます。タロットはこうあらねばならない、こういう使い方をしなければならないというものではなく、本来は自由なものだと思います。
そのうえで、自分の目的や意思を明確にし、その技法や扱いの選択への理由が必要だとも言えます。(特に「する側」のほう)
そういえば、夏至を迎えました。夏至は一年のうえでも、時のポイントとして重要なものです。
このあたりにタロットを引いて、創造的に未来を創ることの指針にするのか、占い的にどういうことが起こるのかとか、今後、冬至までの運勢の流れや傾向を見てみるとか、自分の興味の方向に従い、タロットを活用していくのもありですね。
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