自分を出す(取り戻す)ことの意味

タロットを心理的な象徴として見る場合、いわば、自分の(あるいは他者の)心の鏡として読むことができます。

その理由はいつくかあるのですが、やはりタロット(マルセイユタロット)が、人々の意識のパターンのようなものを描いているからだと考えられるでしょう。

いずれにしても、そうやって、心の中の投影像のような形で、タロットを観察していくと、自然に自分の心と向き合うことになります。

すると、タロットで表される数の「自分の心」があることになり、自分(の心や気持ち)というものは、ひとつではないことか如実に理解できてきます。

こうした、言ってみれば、自分の中にあるたくさんの人格や感情、思考パターンのようなものが、その時々で姿を現し、問題や現実の出来事に対処しているわけです。

ところが、こういった自分の中のたくさんの心には、いいものもあれば、悪いものもあります。

いや、おそらく、すべてはいいも悪いもないのでしょうが、バランスを欠いたり、極端になったり、場面によっては適切ではないものが出てしまつたりすることで、悪いものと、とらえられる心になってしまうと考えられます。

これが抑圧された心や、傷ついた心、高いプライド、自己卑下してしまう気持ち、罪悪感など・・・として、ネガティブにいろいろと表現されます。

最終的にはそれらを調整し、浄化し、バランスを働かせて、統合していくことが求められるのですが、タロットを見ていると、まずは、つべこべ言わず、難しいことを考えず、素直に自分の心(本当の気持ち)を知ることが大切かと思うことがあります。

精神世界・スピリチュアル系ではよく伝えられていますが、もうこれからは、自分の気持ちに嘘をついたり、抑圧したりして生きていくと、かえって生きづらくなるのではと言われています。

これは「自分の好きなように生きる」と言ってしまえばそれまでですが、ロマンチストながら、現実派・リアリスト的(笑)なところもある私としては、みんながみんな好きなことして生きていけるわけがないと思ってしまうところもあります。

ただ、これは、今の社会状況やシステムが変わらないという前提、あるいはその中の範疇や現状イメージでとらえているから、そう思ってしまうというところもあるのです。

つまりは、今の現実という枠の中でしか(または、その延長線上でしか)、物事が考えられないから、最初から否定感覚が出てしまうということです。

現実を打破したり、超越、変容したりするためには、タロットでいうと、「愚者」の姿勢が大切です。

実は「愚者」そのものは、実体(愚者という存在)というより、移行するエネルギーそのものが疑人化されたようなものと言え、形や今の現況に留まる状態とは正反対、別のものになってきます。

タロット的に言えば、現実を変えるために「愚者」になるというより、「愚者」に自分を乗せると言ったほうが近いかもしれません。これは「戦車」のカードも別の意味で、乗るということに関係します。

話を戻しますが、自分の気持ちに正直になって生きるということを進めていくと、結局、自分の好きなことで生きていくという表現にはなりますが、それは今の枠組みで考えてしまうと、すぐ限界や無理だという思いに至ってしまうこともあるということです。

それと、好きなことで生きていくというのが、経済や仕事の観点のみにフォーカスしてしまうのも問題です。

結果的にそうなる(好きなことで経済的に生活できる)人もいるかもしれませんが、プロセスとしては、そうではないこともあります。

タロットの小アルカナ的に言えば、剣・杯・杖・玉で分かれる分野があり、経済的な面で見るのは、このうちの「玉」(一般的にはコイン)の部分となります。しかし、それ以外の三つもあるわけです。

要するに、自分自身を生きるためには、小アルカナ的には4組で表される方法や分野があるということで、まずはそのひとつでもいいので、自分を自由に表現させてみるということが、自分らしく生きるということのプロセスにもなってきます。

例えば、「剣」として思考とか、「杯」としての感情とかがあります。自分らしく生きるというと、心に重点が置かれ、感情的な意味での好きで楽しく心地よい気持ちに注視するみたいなことがよく言われますが、感情以外に、思考の分野もあるのです。

それは、自分らしい思考の仕方というのも知ったり、認めたりするとよいでしょうし、思考そのものを、学びことによって、こだわりから解放させていくという意味にもなります。(他人や常識的思考を解除し、自分の思考を取り戻すこと)

もちろん、感情的なことでは、好き嫌いレベルからでも、自分の気持ちを確認しておくことも最初はよいと思います。

欲求や欲望を出すのはまずいと言われがちですが、確かにそれらは低次のものが多いとはいえ、低次は高次と必ずつながっており、まずは順序として、自分の素直な欲求、欲望、願望も認め、満たすことに応えるというのもあるかと思います。(「悪魔」のカードとも関係します)

結局、自分の中には、最初にも言ったように、いろいろな自分(の心)があるので、それを無理からに押さえつけるより、勇気をもって出してみる方向性によって、隠されていた、あるいは表面意識的にはわからなかった自分の姿というものが見えてくるわけです。

そうする中で、「自分の中の思いと言っても、単なる食欲だった、性欲だった、寂しい気持ちからだった」などいうものがわかってきて(淘汰されてきて)、もっと上のレベルの、それこそ、本当に自分がしたい、生きたい、表現したいと思うものが見つかるようになってきます。

そうやって、自分らしさ、自分というものを受け入れ、認めていくと、ついには、自我(自分を自分だと思う、他人と分ける気持ち)を超えていき、低次で言っていた自分らしさではない、高いレベルの自分らしさ(それは自分の望みと表現が、全体と調和しているようなものと言えます)も現れてくると考えられます。

そして、ここが、今日言いたかった一番のところになりますが、一人ひとりが、自分らしさ、本当の自分自身を取り戻していけば、今の社会システム、常識に揺らぎができはじめ、集合意識的な「愚者」の移行エネルギーが働き、次元そのものが移行し、現実的には無理だと思っていたことが、可能になってくるものと思います。

それは新しいエネルギーシステムの発見であったり、働き方の変化であったり、お金の概念の変容だったりと、いろいろと考えられます。

仕事レベルで自分の好きな生き方ができることを目指すのもよいと思いますが、そうでなくても、どんなレベル・範囲からでもいいので、まずはとにかく自分自身を表すこと、他人や社会の評価、計算・打算ではなく、純粋に自分がしたいことを選択するということを実行していく中で、自分自身を取り戻すきっかけが働いてくるのではないかと思います。

だから、今の仕事や生き方をしながらでも、自分を取り戻していくプロセスは歩めると言え、それを実践していくことで、自分自身が、自分にふさわしい(自分に合い、自分が表現てきる心地よい)状況・環境を作り出していく(引き寄せ系が好きな人は、引き寄せると言ってもいいです)でしょう。

ただ、それは、低次の欲望が満たされる環境や状況とは限らず(現世利益の実現みたいなことで言われるものではなく)、最終的には、自分の個の魂や高いレベルでの心が満たされるものだということも付け加えておきます。(現世利益を表現することが使命の人もいると思いますから、それはそれでOKで、まさに自分の現世的な望みを実現し続ける人生を生きる人もいると思います)

まずは日常生活レベルからでも、個性(自分)を出すこと(自分のしたいこと、やりたいことを表現する)、そこから始めてみましょう。

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