占いから離れるタロットの見方

タロットを占いから切り離す方法(占い以外での活用を目指す方法)には、いろいろと考えられます。

タロット占いにもよいところはありますが、どうして未来の予言を期待したり、表面的な欲求にかなう方向や結果を(相談する側が)求め過ぎる傾向が出て、問題の本質に気づいたり、時間の概念を超えた(つまり直線的に未来の結果を知ることを目的とするような態度から離れて、過去や現在にも注目し、それらが関連し合っていることを知る)考察に行き着かなかったりすることがあります。

要するに、形を変えた問題のループに、占い的な使い方ばかりをしていると、陥るおそれがあるということです。

ただ、優れたれ占い師は、よき導き手、カウンセラーである場合もありますので、それは占いの技術を、相談者・クライアントにどう活かすかの問題にもなってくるのですが。

それでも、今回は、占い師側の能力とか態度に注目するのではなく、純粋に技法・技術として、タロット占い的なものから視点をはずしてみる方法をお話したいと思います。

まずはじめに、質問の方法を変えるということが考えられます。

一般的に、占いでは、「どうなりますか?」「どうなのですか?」「どちらがいいですか?」という、状態や状況を判断したり、区別したりするものが多くなります。

具体的には、「あの人の気持ちはどうなのですか?」(私のことをどう思っているのですか?)とか、「この仕事を続けるのか、辞めるのか、どちらかよいでしょうか?」「私の今後(恋愛、仕事、健康、金運など)はどうですか?」という感じになるでしょうか。

これは、人間が生活していく中で、人間として悩みがちな事柄であり、正直な気持ちのままに質問すると出てくるような形式です。ですから、質問自体によいも悪いもなく、普通に悩みを持つ人間であれば誰でも抱くものてあり、それが占い形式では、当然多くなるのです。

占いは遊びの面もあるとはいえ、現場では、まさに生身の人間の、現実で生きていく人の悩みに答えるところでもあり、哲学的な回答とか、あいまいな答えは、ほとんど求められていないのです。だからこそ、質問もストレートで具体的、人間の生々しさを表したものとなります。(ただし、最初の質問は、様子見のための漠然とした質問になることもあります)

ですが、占いから離れることを意図すれば、質問自体を意識的に変える必要があります。逆に言うと、質問を変えるだけで、占い(的)にならなくなるのです。

どう質問を変えるかについても、実は色々とあるのですが、ここでは簡単にひとつ挙げるとすれば、「どうすればいいか?」という質問に変えることを推奨します。

「どうなるか?」「どうなのか?」ではなく、「どうすればいいか?」「どういう状態や気持ちであればよいか?」という質問にしてみるのです。

例えば、「仕事はうまく行くのか?」と質問するより、「仕事をうまく行かせるためには、どうすれはよいか?」とか、「結婚できますか?」に対して、「結婚するにはどうすればよいですか?」などのように、変えるわけです。

やってみればわかりますが、前者(どうなりますか?)の時は、結果や状況の推移を見ようという受動的なものとなり、後者(どうすればよいか?)の時は、解決や処理について、能動的に見ていくことになります。

タロットの場合、前者はカードからの結果の予想を期待することになり(お告げ的)、後者は、カードの象徴・指針をアドバイスとして、自らで創造的に人生の選択と行動をしていこうという傾向になります。

次に、(占いから離れる方法として)カードを読む姿勢(視点)を変えるというものがあります。

普通、タロット占いでは、問題や質問を、出たカードの意味にあてはめて占ったり、リーディングしたりします。

そうではなく、カード自体の象徴性を質問者に問うというスタイルを取り入れます。

端的に言えば、「あなたは(私は)、出たカードである」と、カードそのものを自分視するようなものです。

質問に関わらず、「あなたの今はこれなのですよ」とか、「あなたの問題はこのことがテーマです」として、その「これ」とか「この」に当たるのが、出たカードということになります。

ただし、質問に意味がないわけではありません。質問は、そのテーマを示す導入になりますから、質問することは必要です。この場合の質問は、占い的な、「どうなの(なるの)か?」というものでも構いません。

重要なのは質問の内容より、出たカードの象徴性をそののま自分に投影して、考察するという姿勢です。

例えば、「あの人との関係はどうなのか?」という質問で、(名前のない)13というカードが出たとします。

占い的には、カードの意味合いから、別れるべきとか、関係を終わらすべきということ、ほかのタロット種のこの数を持つカードでは、「死神」と呼ばれて不吉な感じで見ることもありますから、そこからでは、この関係はよくない(結果的に別れること)、相手か自分が傷つくことになるなどと読まれることもあるでしょう。

それでも示唆を得ることはできますが、先述した視点に置き換えますと、別れるとか離れるだけではない意味も出てくると思います。

それには、自分がこの「13」であると想像してみるのです。

この鎌は切るためだけのものでしょうか? もともとは農作物を収穫する鎌ですので、刈り取ったり、耕したりすることも考えられます。

鎌(場合によってはスキやクワ)のふるい方も、人によっては必死でやっているように見える人もいれば、収穫するものを自覚して、淡々と鎌をふるっているように見える人もいるかもしれません。(13に自分の姿を見ることによって、自分の滑稽さや、逆に頑張りも見られて、自らを癒したり、冷静に見ることができたりします)

また自分が、このように骨と皮みたいになっている姿を見て、何をイメージするでしょうか?つまりは服も肉もまとっていない(素に近い姿なっている)のです。

そうすると、素直な自分の気持ちとか、この関係性から得られる大事なものとか、結局は自身の何らかの変容や変革に関係していることだと見えてくるものがあります。

結果ではなく、むしろ過程の重要さに思い至るのです。

それぞれの人で、置かれた環境や個性の違いがあるので、具体的な方策とか取るべき行動は異なってくるでしょうが、それでも13の絵と象徴性から出てくる何か共通したテーマは理解できるでしょう。

こうした、引いたタロットそのものから逆に質問や自分を見直してみる方法は、タロット研究家の伊泉氏らの言葉を借りれば、リビジョン(視点の修正・見直し)的タロットの見方となります。

タロットを精神的、霊的に活用していくには、占い的な見方の方法から離れ、タロットの象徴性そのものに回帰しながら、タロットが私たちに語りかけている、質問していると見る逆の発想も求められるのです。

「愚者」が出れば、「旅行に行きましょう」とか、「自由になるのがいいですよ」と読むのが普通の占い的な見方ですが、逆のタロットから語りかける見方とは、「あなた(自分)にとって自由とは何か?」「君(自分)は、どこに行きたいのか?」と問い、表面や建前ではなく、自らの奥底で、それに答えるものなのです。

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