「戦車」に見る成功の考察

「成功」という言葉で、マルセイユタロットから連想されるカードには、「戦車」があります。

タロットは重層的、あるいは言語的使い方ができますので、例えば、成功ということを「戦車」が意味するとすれば、ほかのカードは、その成功に向けた補助や方法を伝えてくれると読むことが可能です。

つまりは(技術的には)、「戦車」とその他のカードの組み合わせ(コンビネーション)によるタロットの読み方ということになります。

一方で、成功と一口に言っても、いろいろな形(状態)があり、必ずしも、「戦車」だけで象徴できるものではありません。ほかのカードによって表現される成功というものもあるはずです。

このように考えていくと、成功の概念そのもの、また、同じ「成功」という概念を示していても、それに至る方法なども、様々であることがわかります。

さて、成功という言葉が出たので、これについて、ちょっと考えてみたいと思います。

さきほど、成功にはタロットで考えると、いろいろな形があることがわかりましたが、それでも、いわゆる今の私たちが思う、一般的に共通する成功イメージというものがあります。

それは、ほぼ経済的に成功していることが主題となっているものです。

経済的な成功以外では、名誉的なもの、有名になったというものとか、夢がかなった状態とか、よきパートナーや家族に恵まれたなどあるかもしれませんが、やはり、経済的な豊かさ、大きさを獲得していないと、成功とはなかなか言い難いのが、普通でしょう。

しかしながら、この経済的成功は、資本主義社会で成立するもので、全員が経済的に大きぼ意味で成功する(端的に言えばお金持ちになる)ということはありえず、いわゆる、勝ち組と負け組いうことで、まるでイス取りゲームのように、成功するものと成功しないもの、一部とそれを支える多くの者たちという図式(構造)になっています。

言ってみれば、経済的な成功者という存在は、ほんの一部しかいない(多者になりえない)というわけで、ポジションが限られているのです。言い方は変ですが、マイノリティです。(笑)

まあ、負け組の、まさに負け惜しみと言ってしまえばそれまでですが(苦笑)、普通は、負け組になる場合が多くなる(負け組がマジョリティである)のが、今の経済システムの構造上、仕方ないところもあるわけです。

それでも、頑張って成功者を目指すのもよいでしょうが、多くの人は、その限られたイス取りゲームの競争から脱落し(意図的に脱落する場合が多い)、違う質の成功を追い求めるようになります。

成功する者、成功したい者からすれば、「なぜ努力しないんだ」とか、「やり方(情報)を知ってきちんと行動すれば成功できる」と思う人がいるでしょうが、世に成功パターンや法則はあまた教えられている(紹介されている)のに、いまだたくさんの人が成功者になっていないのは、さきほど述べたように、もともと構造上の問題として、成功者のポジションが限られているというのがあるのと、努力や成功法則だけでは成功できない部分がある(つまり誰でも等しく、画一的方法で成功できる保証的な方法がない)からでしょう。

例えば、生まれた境遇とか個人の資質、またと呼ばれる要素も大きいのではないでしょうか。

よって、一般的に言われる経済的成功を目指すには、なかなか難しいところがあるのが当然と言えます。

ということで、先述したような、成功は成功でも、違う質の成功を考えるようになるわけです。

要するに、成功したいと思えば、ひとつは、普通の経済的成功を目指すか、成功という概念を自分の中で変えて、その成功を目指すかということになるでしょう。

後者は成功という質、意味を変えるということに近いですし、たくさんの人にとって、こちら側を目指すほうが構造的には楽だということです。

なぜなら、その質の違う成功のポジションは、一般的意味合いの経済的成功とは違い、ひとつか少数と限らているわけではなく、いわば、人の数だけ、成功という思いの数だけ存在するからです。

タロットや、スピリチュアル的な統合観点で見れば、人には、三つの魂があると言われます。(詳細になれば7つや21とも言われます)

それは肉体の魂、精神の魂、スピリットの(霊的な)魂です。

魂というより、レベルや次元という表現のほうか適当かもしれません。このうち、特にスピリットの魂に目覚めよというのが、マルセイユタロットの教義のひとつになっているのですが(それはほかの魂を捨てるということではありません)、とにかく、違う質の魂をひとりの人間のうちに持っているという考えがあるのです。(キリスト教の三位一体教義とも関係します)

そして、成功や幸福というものに対しても、それぞれの魂レベルでのものがあり、いわゆる、普通の成功とか幸福概念で語られるのは、肉体レベルのものがほとんどと言えるでしょう。

スピリチュアルに傾き過ぎると、これを軽視しがちですが、私たちは現実の世界で肉体をもって、形ある世界で生きていますから、この「肉体魂」ともいえるものの幸福を追求しないと、健康を害して、簡単に死んでしまったり、生活そのものができなくなったりします。

しかし、これにとらわれすぎると、ほかのふたつの魂の幸福はないがしろにされることもあります。

一般的な成功ではなく、質を変えた、一人ひとりの個人が思う成功を考えた場合、これは精神や心の魂の幸福を求めていくことに同意義となるでしょう。

そして、さらにはスピリット次元までの成功を目指すと、人生の質そのもの、生き方そのものまでかなり変わってくるかもしれません。なぜなら、それぞれで重きを置く価値基準が異なってくるからで、つまりは、世界の見方も変化するからです。

それでも、さきほども指摘したように、肉体レベルの成功・幸福をまったく無視するわけにはいきません。三つの魂の調和とバランスということが大切となってきます。

人によって、その配分やバランスは違うとはいえ、それをうまくコントロールして生きていくのが、現実の人生といえます。(実際を生きる私たちの課題であり、試練であり、楽しみでもある)

さてもう一度、タロットの「戦車」に戻りますと、(マルセイユタロット」)の「戦車」の図柄は、一人の御者が、二頭の馬を操って(手綱はありませんが)いる図柄です。合計三つの生き物がいます。

ということは、さきほど述べた三つの魂と関連づけることもできるでしょう。

この「戦車」は、冒頭で、成功がもっともイメージされる(そういう意味を持つ)カードだと書きましたが、それには、一般的イメージの成功ということもあったのですが、こうして絵柄から見ていくと、実は、もっと深い意味の成功が隠されている、ほかのレベルの成功も意味しているのでないかと推測されます。

たったひとつ、あるいは、いくつかの極めて少数のイスを奪い合うような経済的成功を目指すのも、スリルと冒険、そして達成感があって、またよいものでしょう。

一方で、限られたイス取りゲームに参加するのではなく、別のフィールドでは、人それぞれが、自分のイスに座って会話や食事を楽しんだり、イスを交換したりして、循環していくようなゲームの世界を選んでもよいのかもしれません。

成功というものを量や大きさではなく、から見ていくと、一般的にいう(経済的)成功というのも、あくまで、たくさんある成功の状態のひとつです。この世界の今システムでは、それがもっとも価値あるものとされていますが、そう信じ込まされているかもしれないのです。

もっともよいものと示されたものに向かう、目指すのは自然なことのようにも思えますが、そもそも提示されものが本当にもっともよいものなのかどうかは、実はわからないものです。

最初から示されたものに到達するという方向性ではなく、それぞれが新たに創造したり、発見したりしたものが結果的に目指していた成功だったと見ていく、逆の方向もあっていいでしょう。

そういう意味では、「戦車」のカードには、御者の肩に、ふたつの顔が描かれているのも面白く、成功の見方の方向性に、複数あることがわかります。

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