占いの世界で頑張る人に
私は、純粋な占いとしての技術のタロットは、ほとんど教えていませんが、場合によっては、必要なこともありますので、特にプロリーダー養成コースの中では、伝授している技法もあります。(求められればお伝えもします)
と申しますのは、やはり、タロットを対人援助的に使う場所としては、現実的には占いのフィールドが多いからです。
ここ(占いの現場)は、占いという、一見、非現実的なことを扱う場所ながらも、実は、いろいろな意味で、とても現実的なところです。
まず、占いの館などの場合、オーナーは人助けの意思でされている人もおられるでしょうが、営業・お店の部分もありますから、当然営利としてのお金が関係します。
占い師は雇われる立場になり、場所によっては、それこそ、営業セールスマンのように、毎月・毎週の売り上げ(人気)ランキングが貼り出されて、競争を意識させられることもあるでしょう。
また、占い師同士の激しい競争意識とか、売れている人への嫉妬の念のぶつかりあいとか、そういう激しい情念が渦巻くところもあります。
ともあれ、店内の争いはともかくして、お店側としては、厳しい言い方をすれば、どの道、お店の利益に貢献しない占い師には用はないというわけです。しかし、普通の仕事でも、仕事ができない人は、辞めさせられたり、厳しく扱われたりするものです。
逆に、人気の占い師は、いろいろとお店が便宜を図ったり、特別ボーナスの支給や扱いをよくしてくれたりします。まあ、これも私企業に勤める普通の社会の人と似たところがあるわけです。
ということで、経済的なことでの雇用の現実性が、占いの世界でも当然存在するので、現実的だと言っているわけです。
もうひとつは、占い師のほうではなく、相談に来られるクライアント側にも言えることです。
それは、巷の占い現場の相談内容は、まさに生々しく、現実めいた問題だということです。
もっと言えば、具体的なことが多く、人間の典型的な悩みといえる。仕事・お金、恋愛・結婚、人間関係、健康、運勢などの問題が如実に、あるいは赤裸々に語られるわけです。
たとえクライアントの言い方が抽象的であったり、柔らかな感じがあったりしても、悩んでいる相談者の心はかなり苦しく、どろどろしたものがあると言えましょう。そう、人間社会の(悩みごとの)縮図のようなもの(世界)があるのです。
日本には、ムラ社会の時代では、江戸時代に整えられた檀家制度もあって、お寺さんに悩みごとを相談できたり、そもそも近所づきあい、家族づきあいが色濃いものであったりしたので、悩みを打ち明ける機会は、今よりも気安くあったのではないかと想像します。
また、かつてのムラには、いわゆる年齢階梯制度による一人前になる仕組みがあり、年齢グループによって、男女別に集まり、夜に話し合ったり、泊まったりして、いろいろとムラの掟を学ぶと同時に、仲間意識を醸成し、悩みも共有したり、相談し合ええたりする雰囲気があったと言われます。
さらに言えば、仏様や神様と交流する霊的な機会が、祭ごと(祀りごと)として、季節のポイントの折々にあったので、霊的浄化やエネルギーの開放と充填もできていたところがあったのでないかと推測されます。
それで、話を占い師に戻します。
今、身近に、現実的・精神的なことを相談てきる場所が、意外に多いようで少ないのが現状です。
確かにスピリチュアルリーダーとか、セラピスト、カウンセラーとかいう人は増えてきましたが、そういう、いわば横文字的なものになってきますと、敷居が高くて敬遠される人もいます。(継続回数が必要なことがあるのと、料金が高額というのもあります)
しかし、「占い」となれば、相談としては、特に女性の場合は気軽に行ける人も多いでしょう。料金も予約制の自宅サロンでされている人とか、有名占い師さんは別として、最初はそれほど高額には設定されていません。
タロットを学習し、タロットを人に活かしたいとなれば、このような占いの現場で活動するという方法もあります。
ただ、先述したように、生の現場では、まさに市井の人の本当の悩み、現実的な悩みごとを相手にしなければなりません。そこには、空虚な理論や、いきなりのスピリチュアル的観点、精神論は受け付けられない場合もあります。
言い方は悪いのですが、占いの相談に来られる方は、自分の状況を実際によくしたいと飢えている、よい選択肢を強く求めているのであり、フワフワした抽象的な物言いでは済まないこともあるわけです。
タロットでいえば、講座やセミナーで学習する基本的なパターンの読み、教科書的な読みとか、展開法、リーディングが通じないことも多々あります。
私など、昔、占いの館に出ていた時、タロットを展開しても、タロットそのものを無視する(見ようとしない)人もいて、こうなると、タロットを自分の中に組み込んで、絵柄ではなく、タロットの教えとか象徴性を自分の言葉に変えて伝えるしかありませんでした。まるでエアータロットみたいなものです。(笑)
でも占いの現場は、悪いことばかりではありません。誰にも相談できず、偶然仕方なく、占いブースに飛び込まれてきた方が、救われたという話はよくあります。占い師側も、きちんと結果を出して評価されれば、お金として得ることもできます。
現実的なところだからこそ、現実の場所で救う(おこがましい言い方ですが)ことができるのです。とても大げさで、あえて美しい表現をすれば、後方の病院でなく、戦場に出て看護するナイチンゲールのようなものです。
占いは、具体的で現実的な救いの言葉、サポートが必要と言いましたが、しかしこれだけでは、占いの悪い部分として、クライアントに依存や運命論信者(あるいは、幸運・開運ばかりを異常に望み、選択しようとするアンバランス性)を生み出してしまいます。
喉が渇いた人にはお水を、お腹が空いた人には食べ物を、というのが占いの最初かもしれませんが、そこでひとまず落ち着いてもらってから、本当の要因や改善の方法に入っていくことも、占い師としては求められるかもしれません。
つまりは、それは精神・心理レベルの話であったり、サイキックとは別の、霊的な成長の話であったりします。
おそらく、かつてはそういうシステムでお寺とか神社、時には地域の霊的能力者・拝み屋さんのような人(悪意のない場合の人)が、市井の人の悩みに応え、やがて、その悩みを超えて、仏や神の道、霊性の向上へと導かれるように、説いていたのでははないかと思います。それは今でいうと、終活も兼ねていたのかもしれません。
占い師さん(それを志す人も含めて)は、なかなか厳しい世界だと思いますが、皆さんの志次第で、今の現実的問題の解決を示唆しながらも、もっと高いレベルへと相談者の方々を導き、志向させることもできるのではないかと思います。言ってみれば、現代の遊行僧、市井に降りた巫女的な者なのです。
どうぞ、占い師の皆さん、頑張ってくださいませ。
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