マルセイユタロット講座で伝えるもの

この前は、市井の悩める人々に、占い師として、応え、癒し、その人たちの問題や人生をよくしていくという道で頑張る人の応援歌のような形で書かせていただきました。

タロットリーダーとして、対人援助する道のひとつには、占い師となって、まさに現実の実践の場で、様々な人々の悩みごとに対応していく、救済の道があります。

実はこれは自他ともの救済です。

なぜなら、占い(師)といえど、やはり自分の問題・テーマと関係したクライアントが現れるからです。その人たちの悩みに取り組んでいくことが、すなわち、自分自身への浄化や学びにもなっているからです。

またそうした占いというより、セラピストの要素を主として、タロットリーダーになっていく人もいます。これらは個性でもあり、その人の選択と、天の思し召し(役割)によるところもあるでしょう。

活躍の場や方法は、何がよくて何が悪いとか、優劣で決められる問題ではないのです。

大切なことは、目の前の悩めるクライアントに対し、その問いが占い的なものであれ、心理的なものであれ、霊的なものであれ、真剣に自分のできる範囲で(完璧にできるわけではないので、今の自分の力として)応じていき、結果的にはその人たちが癒されたり、前向きになったりすればよいのです。

時にはうまくタロットが読めなかったり、クライアントによいアドバイスを提示できなかったりすることはプロの人でもあるでしょう。

しかし、あなたがタロットとともに、うわべや虚栄心、ほかの目的ではなく、純粋に心と魂でもって応対していれば、相手の人はどこかですでに癒され、何らかの形で問題の解決に向かっいるのだと感じることができます。

さて、一方、私は、講座でタロットリーダーを養成することを主目的としているのではありません。そういう道が、講座で学んでいると、選択肢のひとつとして出てくるということであり、それもまた個人の自由と意志、自らの内なる衝動や導きによります。

ではほかに、何を目的としているのでしょうか?

それは、ちょっと大それた話にはなります。

マルセイユタロットの教説には、人は誰でも神性なる部分、高次の霊性を持っているというものがあります。

もちろん、人間には、ほかにも、いわば動物的な本能部分や、感情や快楽(苦を避ける)で動く、自己防衛、自己(エゴ)満足で判断する部分もあります。その他にも、人というのもは、本当にひとつところでは限定できない、様々な要素を持つ存在です。

ゆえに、私たちは日々悩んだり、逆に喜びを味わったりすることができます。

さて、ここで、もう少し、視線を外に向けてみましょう。あなたは、この現状(あるいいは歴史で学んだ過去からの)世界が、最善のものだと思えますか? そして、何より、あなた自身は幸せ(単なる現世利益的なものや、個人レベルで満たされているというのではなく、本当の心や魂部分から見て)と言えますか?

そして人の心は、案外にもネガティブに傾きやすいことも、多くの人は自覚しているのではないでしょうか? そういう性質にいるのはなぜなのでしょう?

とはいえ、スピリチュアル的な大きな神視点を持ってくれば、なるほど、この世界は完全で何も間違っていないのかもしれません。

つまり、問題は、私たち自分自身にあり、この世界自体は、自分の今の世界の人に共通した心が映し出した(作り出した)マトリックスのような世界だと言えるのかもしれません。

そのことは、おそらく事実に近いのではないかと、いろいろと学びをしてきて私も感じます。

それから、よく言われるものに、カルマ業の人生というものがあります。これにもいろいろな考えはありますが、平たく言えば、輪廻転生説の一環であり、私たちは、成長であれ、修正であれ、とにかく過去(あるいは未来)の何らかのデータと宇宙的規則(ダルマ)によって裁かれ、地球人生を繰り返しているというものです。

こうした視点をそのまま入れてしまえば、私たちはとにかく、毎度毎度、記憶はなくても、どこか、あるいは誰かの魂のデータによって、適切だと思える今生の人生設定を選んで、輪廻転生して、生き続けることになります。

しかし、さきほど、神目線に立つと、世界の問題は私たち自身の共通したものにあると言いました。

輪廻転生を繰り返し、自分や世界をよくしようとしても、今現在の社会と世界は、とても理想とはほど遠いというか、私には修羅の世界にも見えてきます。

もちろん、善的なものや幸福もたくさんあるとは思いますが、やはり皆が平和で安心して、生き生きと活躍できる世界とはいいがたい部分が多いように思います。

ここで、思うのは、マルセイユタロットをやってきて気づいたことでもありますが、そもそも私たち自身が、かなりの部分で間違ったシステムを信じ込み、それを動かそうと、もう何千年もしてきたのではないかということです。それはカルマシステムとか、輪廻転生的なものも含めてです。

言い方を変えれば、認識や智慧のレベルが、ずっと低いままで来ていて、いわゆる文明の進化ということはあっても、それは本質的には変わっておらず、自分たちの信じているシステムと社会をただ便利に、回転しやすく発達したかのように見せかけているだけという気がします。

我々が信じ、続けてきたこと(これは生きている世界だけではなく、あの世とか、見えない世界も含めて)に疑いや考察の目がまったくなく、ただ神は、宇宙は完璧だと思い、頑張って従っていれば報われるということを、何世代も繰り返していて、真の進化が滞っているのではないかと考えるわけです。

換言すれば、ある同じ次元(と世界)でのループにはまっているということです。もしかすると、実験として観察されている対象なのかもしれませんが。

これは、神や宇宙を否定したり、疑ったりするということではありません、おそらくも神、宇宙は、いつも完全です。

しかし、私たち人間自体が誤謬し、宇宙や神性的ものから遠く離れた状態に、自らを置き続けているのです。

いわば、自分たちで自分たちを苦しめているシステムの中で、バーチャルなすばらしき世界と思っている「地獄」にいるのです。

ですから、私たち自身が生み出す幻想やよいことと思っているものを疑い、レベルや次元、システムを変容させなくてはならないと言っているのです。

マルセイユタロットが本当に伝えていることは、それだと私は考えています。(もちろん、あくまで私の考えで、いろいろほかの考えがあってもいいと思っています)

簡単に言えば、マルセイユタロットを通して、内なる神性に少しでも近づき開花し、一人一人が波動的に影響を及ぼし合い、自分たちを苦しめるシステム自体が変えられることを確信してほしいと思っているのです。

大きな言葉でいえば、創造されたものの立場から、創造する立場への変換です。

私たち自身がその昔、契約したもの(存在)を解除し、新たに私たち自身で世界を変え、本来の宇宙を創造、あるいは本来のもとに回帰する必要があるのです。

そのようことを伝達し、皆さんと私の目覚め、向上のために、マルセイユタロット講座を開いています。これもまた、それぞれの救済の道だと考えています。

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