願望達成についてと今後の展望

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

さて、いよいよ新しい年、2019年が始まりました。

新年に期するところがあって、目標や決意を立てる人も多いでしょう。

タロットをされる(持っている)方は、新年にあたってタロットを引いてみるのもよいでしょう。

とはいえ、人間怠惰なところや、日常やルーチンに流されていく部分もあります。

「一年の計は元旦にあり」などと言われますが、年初に立てた誓いや目標も、案外と忘れ去られてしまうことが少なくないのではないでしょうか。

従って、ただ思うだけでは、目標がかなったり、結果が出たりする効果は少ないと言えます。なぜなら、人の想念(思考)はそれこそ、あっという間に、その都度変わっているからです。

だから、よく言われるように、目標を常に思い出したり、意識の奥に植え付けたりするために、見えるようにする、書くようにするなどと言われるわけです。

またいくら目標を大書して壁に掲げたとしても、その目標が、自分の中で本当は到底叶わないもの、不可能なものと考えていては、自分が無理だと言っているようなものなので、叶うことは難しいでしょう。

あと、心理的には、願望や目標が叶ってほしくないという場合もあります。

これは、叶うと今まで何らかの形で得ていたメリット(たとえネガティブなものでも、自分にとってはメリットがあったもの)がなくなってしまうことが起きたり、叶ってしまった時の状況を思うと、本当は怖い、対応ができないという想像・不安があったりして、達成を(自らが)阻むのです。

今年こそはパートナーや恋人がほしい、もっと稼ぎたい、豊かになりたいと願っていても、心のどこかでは、独身でい.ること、パートナーがいないことのメリットを享受し、安心していたりすることがあったり、豊かでないことで、本人が言い訳にできることがあったりするのです。

要するに、真に自分(の思っていること)を信頼(許可)しているか叶うことがリアリティあるものとして感じられるかによるところが大きいのです。

ということは、目標や願望達成においては、思い(思考)として忘れないようにする処置、あるいは効果的に意識に刻み込む儀式や装置のような仕掛けがあるとよいこと、もうひとつは、目標達成にリアリティを持つ(許可と確信を持つ)工夫をすることになるでしょう。

目標や願望の達成にリアリティを持つというのは、例えば、自分の目標がものすごく先にあったり、遠いものであったりするという感覚ではなく、身近で実現可能だと、実際的に思ってくるような状態になることを言います。

あなたの周囲(友人や知人、家族など)が、自分の目標や夢に否定的な人ばかりだと、当然、リアリティは否定のほうに傾くようになりますので、いわば、叶う方向のリアリティはどんどん薄くなり、非現実的なものとなって、文字通り、夢は現実に非(あら)ずという事態になってしまいがちです。

逆に言えば、肯定的な環境であれば、実現のリアリティが増すことになります。

ただし、肯定的とは言っても、ただ「やればできる」とか「大丈夫、きっと実現するよ」という言葉だけを聞いていても、それはそれで少しはましかもしれませんが、自分自身がリアリティを持てなければ、まさにそれは口先だけの話、絵に描いた餅のようになり、非現実のリアリティ方向に行ってしまいます。

ここに、どのような行動や方法を取ればよいのかということとか、本当に実現してきた人の(精神論ではなく具体論としての)話など聞いておくと、よい(実現のリアリティが増す)わけです。

ほかに、自分の願望に許可ができない場合は、心理的な面で自分を見つめ直す必要があり、そのデータに、なぜしがみついているのか、過去に遡って調べてみる場合もあります。

理由(ひとつだけではないケースもありますので)は難しいこともありますが、そういう思い込み・データに気づくだけでも、ずいぶん軽くなって、前向きになれるのではないかと思います。

さて、タロットを引く場合、タロットはなので、絵のほうが言葉より意識に入りやすく(人による場合もありますが)、それゆえ、願望を達成したい時にも、ひとつのシンボルとして活用することができます。

同時に、シンボル化しようとしても、心に抵抗のようなものも感じることができるので、タロットによって、未処理な心のデータのようなものも見つめることができます。

ところで、すでに、私のほうは、自分はもとより、いろいろな質問やテーマで、新年最初にあたり、タロット(マルセイユタロット)を引いているのですが、意外に大アルカナで言えば、「斎王」とか「月」が出ているのが目立ちます。

ともかく、こうしたことから、好むと好まないにかかわらず、自分の中に蓄積されたものの整理や浄化ということが、各人の間で進んでいく機会やシーンが、今年からは、さらに現れてくるのではないかと思います。

それは、いわば個人的なことながらも、人類全体につながるもので、要は、人類全体の浄化が促されようとしているということです。

好きなことをしようとか、自分らしくあれというようなこともいいのですが、もっと深い部分での働きが始まり、人によっては自分の方向性に混乱を来したり、よくわからなくなったりするという人も出てくるかもしれません。(それは悪いことではありません)

前に進もうとしても、何かひっかかりが出たり、葛藤が出たりするような感じでもあり、今までこれだと思っていたこと、これが自分であり、やるべきこととして目標にしていたことにも変化が生じる可能性もあります。

カードで例えていうのなら「戦車」です。「戦車」は二頭の馬を(ひもはついていないのですが)うまく御者が操縦しています。どちらかの馬だけ走らせようとしても進まないですし、たとえ両方走っても、足並みがそろわないと、進まないどころか、転倒してしまうことにもなりかねません。

急いだり、積極性を出したりするよりも(人によっては、そういうほうがいい人もいますが)、まさに制御やコントロールに重点を置くほうが、この場合は重要であると言えます。

その馬を二頭とも走らせるように、自分が御者として世話をし、チェックしながら、うまく手綱をコントロールしていく必要があります。

それには、自分も馬(馬は自分の中のある部分の象徴)も受け入れ、ブレーキをかけていたり、異常に回転を無理して上げていたりしていたところがないかも見て、そんな自分を受容・点検しておくことが求められます。

すでにそういう作業が昨年までに終わっている人は、「戦車」として、スムースに目標に向かって走っていくことができるでしょう。

昨今は、特にスピリチュアルも、現実の面でも、時代や宇宙は大きく変化している(変化する時)と言われて、それを自分にも課そうとして、無理に同調しようとしてあせっている人もいるように思います。

飛躍しなければならない、上昇しなければならない、変わらなければならない、時代に乗らなければならない、宇宙に沿ったり、かなっていたりしなければならない・・・などなど、「ねばならない」としている部分がないか、冷静に観察するとよいでしょう。

たとえ、大きなものが動いていても、自分・個としての流れや動きは、人それぞれです。ある人はうまく行っても(方法があっても)、自分には早すぎたり、遅すぎたり、合わなかったりすることもあるのです。

一直線にぶれずに進む人もいれば、ジグザグに進む人、後ろ向きにバックしなから進む人もいるかもしれないのです。自分の進み方は、人と同じでなくてもよいはずです。

よく宇宙はらせんの動きと言われますが、らせんは、見ようによっては行きつ戻りつのような形でもあります。

右へ行き左に行きながら、統合を進め、今いる位置から上昇していきます。それには右と左、その位置での双方の両極や相反する要素を経験することも時には必要です。これが迷いや悩みにもつながっています。

もしあなたが、何か悩みや迷いについて、よい気づきを得たり、ふっきれ、すっきりしたという場合は、それを直接でなくてもいいので、誰かに伝えましょう。心の中で、「私は気づいたよ、だからあなたも私の気づきをプレゼントします」と、心で念じてみるのもよいでしょう。

すると、以前書いた見えないネットワークを介して、ほかの人にも気づきが訪れたり、悩みが楽になったりするきっかけが与えられるかもしれないのです。

そういうものが伝わりやすい時代に入ってきたとも言えるからです。もはや、これからは、一人だけの問題ではないことが、次第に多くの人の間で共感されてくるでしょう。

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