問題と恩恵は、世界観ごとに現れる

スピリチュアルや精神世界、あるいは少しアカデミズム的な心理学から離れたメンタルの世界に興味を持ち、いろいろと学んだり、実践したりしていくうちに、たいていの人は自身に変化や気づきを増していくと思います。

世間一般では、そういうようなことをしている人に、まだまだ冷たい視線や、現実離れしているおかしな人たちという思いで見たりするかもしれませんが、以前よりかは、だいぶん、穏やかに認められてきているところもあるように思います。

何事もバランスで、やり過ぎたり、傾倒し過ぎたりすると、問題となることはあります。現実逃避の手段として、そうしたものが使われる場合もあるでしょう。

しかし、マルセイユタロットの自己成長の絵柄と言われる図を見ていると、どんなに人にも、多かれ少なかれ、精神や心の次元、スピリチュアリティに関心を持つ機会は現れるのではないかと想像します。

もちろん、普通に生きるだけでも、多くの学びと経験、人生への気づきがもたらされますが、どうしても、現にあること、実際に存在していると思えるもの、生活にダイレクトに影響するもの以外には関心が行きにくい傾向にあります。

言ってみれば、普通の生活に埋没していると、地上生活(地上性)と物質性中心に意識にならざるを得ないということです。

しかし、それでも人は、何か人生でうまく行かないことが続いたり、精神的なことで悩んだり、肉体的にも病や年齢によって、うまく機能しなくなってきたりすると、別の観点での原因や対策を求めていくようになります。

こういう時に、新たな世界が開くチャンスでもあるのです。

でも、早いうちから(と言っても中年からくらいの人が本格的には多いでしょうが)、精神やスピリチュアリティの世界に関心を抱き、それなりに追及していくと、いわゆる現実や通常意識で見ていた世界とは違うものがあることがわかってきます。

言ってみれば、私たちは、複数の次元や世界で生きているようなもので、今まではたったひとつの現実・物質世界があるだけと思い込んでいたわけです。

さて、ここからが本題で結論みたいなものですが、そうすると、複数の世界と世界観が存在することになります。これはいいこと(面)もあるですが、悪いこと(面)もあります。両方を受け入れ、浄化・解決し、統合していくことで、私たちは本当の意味で成長がなされます。

ということは、自分の問題が、肉体や現実(通常意識)でわかる範囲だけに起因しているのではないということも、段々知ってくるようになるのです。

例えば、最初は物質だけの次元から、心理・メンタル次元の問題があることがわかってきます。

まあ、これは普通の意識においても、最近は心・メンタルの問題が大きく取り上げられるようになり、精神の安定が重視され、外向きではなく、内にある本当の気持ちの自分に注目するように言われるようにはなりましたので、日常的にも、このレベルと次元の扱い(つまり問題性も含めて)は認知されてきたとも言えます。

環境や外の現実の世界に問題があるというか、その影響だけで自分の問題や悩みがあるという認識から、自分の心のデータに問題や不具合があり、それか外とうまく調和していないから、問題として現れているということに意識がシフトしていくわけです。

一方で、占いや運命学のように、世界(宇宙)は、ある種の流れや法則、規則のようなものがあり、それが個人(宇宙の法則とリンクする、生まれもった性質、星や命があると考え)にも当然影響し、それを読み解き、うまく乗り切ることで、自分の人生を好転させて行ったり、望みを叶えたりしていく術に興味を持つ人も現れます。

ここの世界観を取り入れると、自分の運命や人の運命、目に見えない運気のような流れについて関心が向くことになります。

これも別の意味で、地上性、現実性を超越した話(世界)に向かうわけです。そして、当然、この世界での問題性(運の良し悪し、悪運や自分の質に合わないのことにならないようにする選択)ということもフォーカスされます。

さらには、メンタル次元・世界とリンクしつつも、詳細に見れば、またひとつの別の世界のような次元があるのにも気づいてくる人がいます。(最初からわかっている人もいます)

それはいわゆるサイキック・心霊的な次元・世界です。心のエネルギーが特殊に変化したものの世界と言ってもいいかもしれませんが、念という言葉があるように、(ではない存在も含む)の意識・感情・気持ちのエネルギーが、ある種の実効性を持ち、想念・思念体としての影響や、呪縛、霊障的な問題として現れることがある世界(観)です。

この世界の問題性は、時代や場所を超え、一代限りではないということも特徴があります。いわゆる過去世データ(輪廻転生説ではなくても、ずっと続いてきた先祖からの血縁的なもの、遺伝で受けがれるもの、意識や残存思念が少なくとも三世代前の家系の人から根差しているものなど考えられます)のようなものも入ってくるわけです。

ここまで来ると、もはや通常の意識では、わけがわからない世界になってくるかもしれませんが、こういう世界観が実際にあり、エネルギー的に、特にメンタルにも影響してくることは知られています。

さらには、個人だけではなく、人類の集合意識や、地球・惑星、星系規模の世界(観)、次元の問題も上(下ともいえます)には見えてくるような人もいるでしょう。

つまり、スピリチュアル的なことに足を踏み入れれば、科学的に事実かどうかは別として、意識的には、多数の世界やレベル、次元の認識に進み、同時に、それぞれの世界・レベルにおいての問題性も意識されるようになってくる、あるいは意識されなくても、洗い出されてくる仕組みがあるように感じます。

スピリチュアルなことや、精神世界に興味をもったがゆえに、逆に普通は起こらないことまで起きて、苦しむこともあるわけです。

しかし、これもまたマルセイユタロットの絵図から見て言えることですが、それらの苦しみや問題性は、いずれ、どこかで向き合わねばならないことが多いものだと考えられます。

遅いか早いかみたいな問題性です。この早晩については、、自分の人生一代の時間でのこととは限らず、過去から未来にわたって、もっと大きな時間、長期的視野に立ったものになります。

スピリチュアル的な適当な言葉で言うとすれば、カルマ的なものということになりますが、自分の今の人生においても、少なくとも、メンタル・心の次元・世界で物事を見ることは有用だと思います。

いかに普通の地上的意識では、気が付かないことが多いのか、自己探求やスピリチュアルな世界に関心を持たないと、なかなかわからないものと思います。

普通に生きていて、何も問題がないと思っていても、案外、強力なブロックを自分にかけているからということもありえます。

さらにナーバスな人は、普通の人とは違い、人や別の世界からの問題を自分の中に植え付けてしまうことがあります。サイキック的には憑依と言ってもいい現象です。

憑依と言っても幽霊がつくというのではなく(エネルギーとして見ればそういうこともあるかもですが)、残留する、悔いや呪いたいようなネガティブ思念、想念が(生きている人のが多いと言われます)、あるいは親や上司、自分がコントロールされている先生とかカリスマ人物からの思い(その人からというのもありますが、自分の思い込みによる自縛想念もあります)などが、一種のデータのように、自分本来の部分に上書きされていて、プログラム変換されているようなものと言えます。

そういったものを、優しい人や、敏感な人、自分に自信がない人は、自分に受けやすくなっている場合もあるのですね。

自分の考えや行動がうまく表現・調和できず、自分が悪いからだ、意志が弱いからだとか、資源や環境のせいにしてしまって、人生を不運だ、不幸だと嘆いている人もいますが、必ずしも、自分だけのせいではないのです。

つまりは、今見てきたように、いろいろな世界が複合して自分の中にあり、そのそれぞれに問題性や解決性も内包されているわけで、それには、外の影響が自分に入っているという世界(観)・考えもあるのです。

もちろん、他人のせい、環境や現実といわれる世界のせいばかりにしている人、逆にスピリチュアルに変にかぶれ過ぎたせいで、やたらとメンタルやサイキックの問題のせい(いわば、そこさえ解決すればすべてうまく行くと思い込み、現実逃避する人)に過ぎている人も、これはこれで問題です。

精神世界や独特な心理の世界、スピリチュアリティの世界に関心を向け、さらに自己の向上や成長を願う時、今まで現実・地上だけの世界から、次第に複数の世界の扉が開かれて行きます。

その分、見えなかった、わからなかった問題に向き合ったり、出現したりすることにもなり、時には自分では対応ができず、それぞれの世界の専門家に援助を頼むこともあります。

いずれにしても、普通の意識ではとらえられなかった、あるいは出ることのなかった問題性が現れ(それは試練や苦しみの場合として感じられることもあります)、その処理や対応をしていくことで、自分自身が浄化され、本来の自分がますます出やすくなり、つまりは宇宙や大元の法則に通じて楽になり、現実的にも、霊的なにも拡大や成長が促進されるのだということです。

また、自分自身が学びや経験をして、少しずつ、援助側に変わっていくこともあります。これもまた、タロットの絵図で示されていることです。

今日ここで述べたことに関係の深いマルセイユタロットは、「恋人」と「神の家」の関係、そして「節制」へと変化するアプローチみたいなことです。

(スピリチュアルなことを)学んでいくうちに、いろいろな世界や次元があることを知り、混乱する人も少なくありませんが、さすがに古代からの体系図はよくできており、カバラーの生命の木、そしてマルセイユタロットの大アルカナの絵図は、個人的には、そういったことを整理・理解するのには最適なものかと考えます。

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