タロット学習におけるメモやノート

タロットを学習するとした場合、皆さん、ノートやメモを取りますか?

自分のこととして振り返った時、私はたくさんノートを取っていたと思います。

まあ、字が汚いので、あとで読むと自分でも何を書いているのかわからず、困る事がよくありますが。。。(^^;)

それから、これは、フランスで受けたカモワン・タロットの講義の時のことです。その時受講生用に用意されていたボールペンでノートに書いていたのですが、それがどうもインク性能が悪かったのか、あとでノートを見ると、文字が薄く消えかかっていたものがあり、これはちょっとショックでした。(苦笑)

タロットは、絵の象徴の学習であるので、あまり文字を書くこと、ノートを取ることに集中し過ぎても、かえって絵柄から関心をはずしてしまい、よくない場合があります。

日本人の、中年以降の人の学習・勉強方法のスタイルは、学校教育の時に身に着けたものがほとんどで、そのため、先生が板書して、それをノートに書いて、あとでテストの前に暗記する・・・などの形式に慣れてしまっている(固まってしまっている)ところがあります。

ですから、どの勉強でも、そのスタイルが出てきて、結局、ノートに取る事が勉強の中心になるケースが多いのです。

これの欠点は、ノートに書くことによって、いかにも勉強した気分になっしまうという点です。

書いた内容をまだ覚えてもないのに、ペンを動かし、筆記したことで、何か作業した気持ちになり、また講義を聞いているのも事実ですから、自分としては学んだ気分になっているのです。

けれども、その時点では書いた内容を覚えているわけでもありませんし、先述したように、書くことに意識が取られ過ぎていて、肝心の話や、絵・ビジョン・視覚、その他、書く以外で入る情報を見逃してしまうおそれがあります。

従って、タロットに限らず、学習の際に、先生や学校によっては、ノートに取ることを禁止している場合もあります。(その場合は、資料があとで配られることがあり、文字情報は補填されることがありますね)

講義によっては録音が認められることもありますので、書くことにとらわれ過ぎず、講師の話している内容や示される図などに、集中するほうが、受ける講義としては充実していることになるかもしれません。

まあしかし、長年の学校教育の癖はなかなか変えることが難しいので、無理やり、ノートを取らずに話から覚えるという方法をやり過ぎても、かえって、その人にとっては効率が悪いこともあります。

人間、慣れた方法を採るのが楽で、効果的という場合もあるのです。

それでも、タロットを学習する場合は、ノートに書くことだけではなく、やはり、先生の話とともに、タロットそのもの図柄・絵をよく見ていただきたいと思います。

その時、講義の話題やテーマになってるカードを、自分のタロットできちんと手に取り、確認し、見ることです。

時には、先生の説明している以上のものが浮かんてくることもありますし、これまで気が付かなかった絵の象徴、細かな部分などが発見できる可能性もあります。

その時の驚きやインパクトはなかなかのものがあり、そうしたことが印象として刻まれ、ただ単にノートを読み返すよりも、ライブ感覚の学習として効果があるわけです。

特にタロットは絵のカードですから、学習している時、講義を受けている際のシーンも、あとで同時に思い出すような形式にすると(つまり、イメージとして講義全体をとらえること)、さらにタロットの学びに、生き物的な感覚が出てきます。

講師側でも、あまりホワイトボートに書くことをし過ぎると、それを筆記しようと、もう自動的に生徒さん側で働くことがありますから、それを防ぐためにも、講師や先生のほうも、書くことに対しての配慮が必要かと思います。

しかし、逆を言えば、たまに書くこと、あるいは、強調して大きく書いたり、声や話とともに、「これはメモしておいてください」というようなものは、「書く必要が重要なことなんだ」「これは覚えておかねばならないことなのだ」と、聞いているほうも意識しますから、「書く」ことを、どう演出するのかも、大事なことではあるでしょう。

そして、講義を受ける側にとっても、書くことの工夫が求められると言えます。

漫然と、ただ板書されたものを筆記したり、話の内容をそのまま書いたりしていると、それこそ、書くことだけで時間が終わります。

重要なことだけを書くとか、その場合でも、あとでなぜ重要なのかがわかるような、何か意味や目印をつけておくと、なおいいでしょう。

もともと、書かないで学習するほうが好き、そのほうが学びのスタイルとして向いている(体験・実践型)というタイプの人もいらっしゃるので、人は人、自分は自分として割り切って、自らの効果的な学習スタイルを知り、構築し、実践することは大事です。

人が書くから自分も書くという態度ではなく、自分にはこれは書かなくていい、重要ではないと思えば、無視すればいいですし、人が書いていなくても、自分にとっては大切だと感じれば、自分流の形でメモすれば(頭や心にすることもあります)いいと思います。

私の場合は、自分が昔の学校教育に毒されたというか、染まり切ったタイプだということを自覚しているので(苦笑)、ノートを取ることもします。

ただ、やはり、講義やセミナーというものは、せっかく講師と対面してのよい機会ですので、もちろん「これは」という時には、手を止めて、話にも集中します。

また、タロットをするようになって、あまりノートとかメモを取ることは少なくなったのも事実です。それはタロットという象徴ツールを手に入れているので、いわば、タロット自体にメモしているようなもので、タロットを見れば思い出すようになってきているからです。

これ(講義内容を筆記するノート)とは別に、創造的ノートというものがあってもいいと思います。

それは講義が終わったあとで、自分が学習を見直し、自分の気づきや学んだ内容を、新たに書き起こしたようなノートのことです。

例えば、タロット学習の場合、タロットの象徴の意味など、講義で習ったこと、先生が話された内容はノートに書いている場合が多いでしょう。

しかし、自分であとで気づいたことや、自分にとってのカードの意味とか、体験から出てきた内容などは、講義の時ふっと出てきてはいても、なかなか同時に書き留められるものではないでしょう。

そこで、とにかく、講義後の別のノートを作り、自己学習としての創造的ノートを作っていくのです。

こうすると、ノートを取る意味もまた変わってきますし、ノートはただ話や板書されたものを記録していくものではなく、自分の思いや気づきを記録しつつ、そこからアイデアを出したり、自らの(実はもともと持っていた)深い認識を、思い出すため、取り出すための道具として使うことができるのです。

普段ノートを取らない人でも、書く作業によって、現実とのつながりを意識することができます。

いざ、書いてみると、話をするのと同様に、実は自分がわかっていると思っていることでも、あまりきちんと書けないことに気づきます。

抽象的に漠然としたことが、書くことで整理され、つまりは、あなたの想念・思念が降りてきて、現実の世界の枠組の中に入るということなのです。

書くだけで願望実現に近づけるという人がいますが、それはこの仕組みがあるからです。

タロット学習は人それぞれです。グループや集団で講義を受けている際は、先生からの講義は皆に向けて同じでも、受ける側は、自分に合うやり方で受容し、工夫して学んで行けばよいのです。

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