学びの本の探し方
私の講座を受講された方には、以後も継続的な学びをしていただくために、様々なアフターフォローを提供しています。
その中のひとつに、受講者用メルマガというものがあります。
このメルマガは、まさにタロットを学習した者だからこそわかる内容のもので、特別な知識と気づき、学習方法などを記載しております。
そして、そのメルマガでは、時折、本や動画などをご紹介し、課題として取り上げ、皆さんなりに学んでいただく企画もしております。(一冊の本並みの解説書を、取り組んでいただいた方にはお送りしております)
こうした時にも思うのは、課題とする題材を選ぶ難しさです。
よく、タロットの学びに当たっても、生徒さんから、「読むといい本を紹介してください」と言われますが、これは、紹介するほうとしては、案外、難しいことなのです。
いや、世の中に、タロットの本はたくさんあり、選択には困らないと思われるかもしれません。
しかし、占いとしての本は確かに多く存在するのですが、私の伝えたいこと、学んでいただきたいことは、占いに使われる意味でのタロットではないのです。
占いではないタロットの本は、実は非常に少ないです。ですから、むしろ、タロットそのものの本よりも、スピリチュアルや自己啓発、心理関係の本などのほうが、当を得ていたり、学習として効果的な場合もあったりするのです。
時には、映画とかアニメ、ネットで配信されているフリーの動画などのほうが、示唆に富むこともあります。
こうした学びのための題材選びは、あまりマニアック過ぎないことが大事で、それでいて、ライト(軽薄)ではないもの、つまりは新たな視点や知識として、学びとなるものが必要とされます。いわば、普遍的でいながら、それぞれ学習者個人個人に対応する気づきも与えられるようなものがいいのです。
全員に共通するような学びがありつつ、個性(個人)的にも有用である、という一見矛盾した条件があるため、選別は難しいわけです。
さて、タロットに限らず、何かスピリチュアルなことに関心があり、そうしたもの(スピリチュアルや霊的な向上)について学びたい、あるいは何か自己啓発して自分を成長させていきたいと思っている人は、やはり人から学ぶか、そうした関係の書籍に当たって学習するでしょう。
まあ、最近は、ネット教材も無料で探せばいくらでもある時代ですから、ネットの文章や動画で学ぶという方法もあります。
とはいえ、まだまだ本・書籍の重要性は大きいかと思います。
いずれにしても問題は、本や動画など、自分の学びのための教材はどう探せばいいのかということです。
今は、気になる言葉や対象について検索すれば、関連本のタイトルや一部内容とか、紹介している人のブログとか、簡単に探せる時代ですので、当然、ネット検索を使うということはありです。
それに、自分が学ぶ分野の、先輩や先生が紹介してくれる本を読んてみるのも、王道といえば王道です。
現在は電子本が普及してきたとはいえ、まだ実際の本もたくさん出版されていますし、リアルの大きな書店に行けば、手に取って見ることもできます。
例えば、スピリチュアルなコーナーに行って、気になるタイトルがあれば、それをパラパラとめくってみると、自分の学びたい、知りたいことの一部が書いている本に出会うというようなことがあります。
これは、リアルな書店は、紙の本であるがゆえに、タイトルや本の雰囲気そのものが一望できることと、質感も伴っているので、ネットで検索して眺めるのとでは、また違う感覚があり、自分の心(顕在・潜在の意識)が引き寄せるかのような仕組みが、より働きやすいのだと想像できます。
ですから、実際に本屋に行くというのも、探求する本、自分に必要な本に出会うためには、よい行為だと考えられます。
あと、目的を変に絞り過ぎないということも、意外とポイントです。
また、ついでに・・・とか、気になってしまった・・・いう感覚も受け入れるとよいです。
例えば、ある(決めている)本を買いに行こうと足を運んでみると、そばにあった別の本が妙に気になり、手にして中を見ると、予想以上に面白そうだ・・・と思ったら、ちょっとお金はかかるかもしれませんが、思い切って最初に買いたいと思った本と一緒に購入してみることで、新たな知識を得たり、道が開かれたりすることもあります。
私自身の経験でも、こうした目的外の本のほうが、その後のために、案外、役に立ったということはよくあります。
いつもはこのコーナーに行くけれども、ちょっと隣や裏に回ってみようとか、そういうことからでも、新しい本と出会う可能性はあります。その時は買わなかったとしても、メモをしていて、あとで検索して調べて、よければネット購入するという方法もあります。
ほかに、仕事の出張や旅行の際に、訪れた地方や別の都市の本屋に立ち寄ってみるというのも、いい本と出会う可能性があります。
おそらく、いつもと、気持ち、土地の雰囲気も違うので、普段、気づかなかったり、無視していたりする本でも、別の地域の場合だと、意識が異なっているので、見つかりやすくなっている(心にひっかかりやすい状態になっている)のだと推測されます。
それから、学びのためには、乱読と集中というふたつのパターンが、その時々によって、効果的になります。
乱読は、ご存じのように、とにかくなんでも気になったものは片っ端から読んでみるというやり方です。
積読になっても構いません。とりあえずストックしておき、読めるものから読んでいきます。最近は場所を取らない電子本の購入、紙の本を電子化することもできますから、データにしてとりあえず置いておくというのもいいでしょう。
乱読は、とにかく広く浅く知識をつけたり、刺激をいろいろな方向から当てて、自分を磨く(学びをする)という効果があります。また、自分が何を欲しているのか、どうしたいのか、どういう方向に関心があるのかというのも、最初はわかっていないことが多いいので、乱読して、ぴったり、しっくりする分野を見つけるという目的もあります。
一方、集中法は、特定分野の本、同系統の本、あるいは同じ著者の本を集中して読んでいく方法です。
これは深く専門的に知識を得たい場合にはよく、好きな人の思想や考え方を、とことん学びたいという時にも向いています。一人を追いかけることで、その人になりきりつつ、また自分流の道を発見することもできます。
同じ分野でも、いろいろなアプローチ・見方があったり、多くの著者がいたりしますので、集中型といえど、乱読に近い形を取ることもあります。
それでも、一時、ある特定のものにどっぷり浸かってみるという経験も必要で、一通りのことが過ぎれば、自然に次の関心に向かうことができます。逆に言えば、人によっては、中途半端に済ませていると、なかなか先に進めない、足踏み状態が長く続いてしまうということがあります。
知識というものは、入れることを目的としまってはダメです。それは単なるエゴの知識自慢に陥りますし、逆に自分を偏狭なる世界に閉じ込めます。
本を読むにしても、必ず一冊全部読まなくてはならないとか、頭に入れてしまわないといけないとか、縛りをかけなくてもよいでしょう。(あえてルールを決めることで、学びを進める方法もありますが)
さきほども言ったように、知識を入れることが目的ではなく、その知識を使って、さらなる気づきや覚醒、成長を促していくのが本当の目的です。
知識を使うことは、何も入れた知識を肯定的に扱うことだけではありません。むしろ、アンチテーゼや、反対側の意見を自分に出させることもあり得ます。そこで葛藤になるわけですが、その葛藤がまた、統合や自分の進化に寄与していくことになるのです。
思考や知識を嫌う人もいますが、ハートのセンサーを磨いたり、本当の自己の中にある叡智を覚醒させていったりするためには、まずは知識を土台(踏み台)にしていく方法もあるのです。入れた知識、学んだ知識を、最終的には捨てるようなことになっても、捨てるためにはまず拾って確かめておく必要があります。
最後に、本などの学びによる選択は、個人ペース、個人ベースであることを言っておきます。
それは、自分の本棚が、誰か他人とまったく同じ本で埋められている、置かれているというようなことはあり得ないということからもわかると思います。
人には、自分なりの価値観や学びの方法があるのです。
人から紹介されることや、ネットで評判だからというきっかけはあってもいいですし、それから始まることも多いですが、学びの内容、方法は、人と違って当たり前だと意識しておくと、回り道をしているような気分でいても、あせらず、すべては自分のよき成長のために起こっていること、選んでいることだと理解できるようになるでしょう。
そうして、まさに、その時の自分にふさわしい本や知識と出会うことになるのです。
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