ボランティアタロットリーディング
タロットを習う人の目的のひとつに、人に対してタロットリーディングやタロット占いをして、役に立ちたいというものがあります。
たいていは、自分がリーディングを受けて、その体験がすばらしかったからとか、すごく救われたとか、自分が変わったり、癒されたりした経験があって、自分もやってみたい、できるようになりたいと思われることが多いです。
そして、人に提供するタロットリーディング・占いは、それをビジネスや営業として有料で行うのか、無料やそれに準ずるボランティア的な形式で行うのかという分け方ができます。
好きなことを仕事にしたいという人は、タロット(リーディング)が好きであれば、当然前者の、有料でビジネスとして行うという選択になってくるでしょう。
ただ、現実的なことを言えば、令和になったこの時代でも、いまだ競争による経済社会であり、有料で営業していくとなると、それなりの努力や覚悟、さらには自分のサービスを買ってもらうオリジナリティと工夫など、タロットのスキルだけでは不十分なこともあります。
そういう意味では、タロット一本で稼ぎ、経済的基盤を持つ仕事にできている人は、正直、かなり少数だと言えるでしょう。
従って、安全策と言いますか、補助的なやり方として、経済的には別の仕事を確保し、タロットはその仕事の休日や余暇を利用して、サブで行うという方法があります。
しかし、このやり方で、いつかタロットメインに移行させようとするにしても、よほど計画的にやっていかないと、つい通常の(経済確保の)仕事に追われ、心身疲れて、余暇は普通にリフレッシュしたり、遊んだり、休養したりする時間になり、結局タロット活動ができなくなるというループにはまることがあります。
タロットをすることが、その人にエネルギーを与え、休養にもリフレッシュにも真になっているのなら、やがてタロットメインに移行させていくことも可能かもしれませんが。
あるいは最初から掛け持ちでやる、ふたつの仕事という生活サイクル、ライフスタイル自体を目的とすることも考えられます。
ということで、タロットリーディングを有料でメインの仕事にしていくというのは、そのような目的を最初から持って、いろいろと考え、実行していくことが必要かと思います。
まあ、運と実力を頼りに、がむしゃらにやっていっても、やれる人はやれることもありますが・・・そんな人もやはり少数でしょう。
これとは違い、そもそも有料での営業、ビジネス、仕事にタロットはしないと決めて、ボランティアや生き甲斐、趣味の延長としてやっていくという方法ももちろんあります。
むしろそのほうが気分的にかなり楽で、自分の学びになることもあります。
前にも書きましたが、自己研鑽、自己洞察、自分の成長にタロットを使う目的の人であっても、できれば、他人に対してタロットリーディングをしてほしいと私は思っています。
というのは、自分だけでタロットを見ていても、なかなかよい発想が出たり、刺激を受けたりすることが少ないからです。まさに独りよがりの思考に陥ることがあるからです。
それに、この世界の仕組みにおいて、自分の見ている世界と、他人から見られている世界というふたつがまずあり、その統合的な行先に、私たちが(霊的に)認識しなくてはならない境地の入り口があると推測されるからです。
ということは、他人からの視点も意識したり、経験したり、想像したりする体験が求められるのです。つまりは、それが他人リーディングで養われるというわけです。
そのほか、他人のことをリーディングするというのは、少なくともコミュニケーションがタロットと自分だけではなく、自分とクライアントという人と人の世界にまで広がりますから、引きこもりのような状態にはならず、現実・社会との接点もできます。
タロットなどをする人は、人に敏感な人や、現代社会の人付き合いに疲れ気味の人もいます。疲れたら、籠って休む、自然の中で過ごすということはよいことで、これはタロットの「吊るし」などにも象徴されていることです。
しかし、ずっとそのままでは、逃避になってしまい、ますます人や社会とつきあうのが怖くなり、自分に強固な卵の殻を作ってしまうことになります。
タロットや錬金術の象徴にも、ある卵の世界から孵化しなくてはならないことが語られます。自由に空(宇宙)を飛べる鳥になる必要があるのです。
他人をリーディングすることは、他人の卵の殻を破ってあげる力になることでもあり、逆に、自分自身の卵の殻も、人につついてもらい、破ってもらえることになるのです。
他人の悩み・問題は、タロットリーダーとしての自分の経験とは違うのが当たり前です。それは、この世界が誰一人として、まったく同じ人がいない個性の世界だからです。
従って、人の話を聴くことは、自分の世界を広げることにもなります。
と同時に、タロットを通して見た場合、象徴として、別の体験でも同じ本質が共有できてきます。
人に起こっているそれ自体は、人それぞれですが、悲しみ、苦しみなど、人として、皆、同じ感情や思考の本質を味わっているのです。それがタロットを使った相談の場合、自分にわかるのが大きいです。
いわば、他人の体験を通して、自他の世界をシェアリングしているのです。それはお互いの成長や癒しにもなりますし、救済にもなります。(互いの智慧や経験を出し合い、相互に救いあう、カードの「節制」の象徴)
不思議なことに、他人リーディングは、自分の今の問題と関係する人がやってきます。要は質的に同じ悩みや問題を抱えた人が、あなたの分身として現れるようなものです。
たとえリーテイングがうまく行かなかったとしても、カードを展開する時、お互いに何らかの示唆はある(与え合うの)です。言い方を換えれば、そこには、なにがしかの縁が働いており、出会う理由があるのです。
ボランティアリーディングは、経済的なことをあまり考えずに行えますので、競争的なものに自分が巻き込まれずに済みます。
だから、純粋に人に対してタロットリーディングを提供することができます。また、稼がなくては・・・という思いがないですので、自分の心にも余裕ができます。
ということで、ボランティア的な他人へのタロットリーディングを活用することで、タロットを自分の成長に役立てることができるわけです。
これはすでに述べたように、仕事にする目的とは、また別の他人リーディングです。
タロットを習って、自分に活かしたいという人、有料や仕事ではないボランティアリーディングをやってみることをお勧めします。
一方、仕事にしたいという方は、タロットスキルを磨くのは当然で、それがスタートラインだと思ってください。
他人からお金をいただくわけですから、お金を支払ってもいいと思えるレベルのリーディングができるのが当然です。そして、それはプロとしてやる方の当たり前のもの(レベル)です。
タロットを仕事として成立させるには、そこからプラスαが必要です。
それはタロット(のスキル)というより、自分としてのウリとか個性とか、提供方法のやり方などに関わってくるでしょう。別スキルと言ってもいいかもしれません。
タロットを仕事にするために、そのような、タロットとは別のことでも楽しく、あるいは苦労もいとわず頑張っていこうとやれるかどうかです。
面倒だなとか、好きなタロットなのにいろいろと営業宣伝したり、集客の工夫をしたりしていくのはやりたくないなあ・・・みたいに思っていては、普通に雇用される仕事をするほうが経済的には安定しますし、よいかもしれません。
好きだからこそ、それで稼ぐこと、仕事にしていくためのことは苦にならない、楽しい、やってみる価値はあると思える人は、仕事としてやっていける可能性があると思います。
また特別な人の場合、人助けの仕事として、何らかの使命が与えられ、自分の思いより、環境が無理矢理にでも、その方向性(人助けの仕事に向かうよう)に仕向けられることがあります。霊的な存在を感じる人とか、サイキックな能力や血筋の人には結構あります。
自分の強固な意志と実行で仕事にする人と、自分の思いとは別の強い何かのもの(存在や意思)の働きで、タロットを仕事にする人があるわけです。
いずれにせよ、自分の人生は自分のものです。どのようにしようと自分次第です。
タロットを仕事にするのか、ボランティア的にやっていくのか、自分のライフスタイルや目的に応じて、臨機応変に考えてみましょう。
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