タロットリーディングの二方向性

タロットリーディング、タロットを読む方法、そのアプローチの仕方というものは、かなりたくさんあると考えられます。

絵から直感的に読むもの、絵を何か現実のものにあてはめて読むもの、タロットの(象徴的)システムや体系から読むもの、タロットの意味から読むものなど、様々です。

最初は教えられる先生や学ぶ本、動画などからの、いわば教科書的・共通的なリーディング方法を取り入れますが、次第に個性的なものと言いますか、自分らしい読み方に固まってくるものです。(固まり過ぎても問題ではありますが・・・)

まあしかし、最初に教えられる先生、初めに学ぶ元となる教材からの影響はかなり大きく、たとえあとで先生を変えても、その影響は自分の個性的な読み方を形成していく(形成される)うえでも、核となって残っていると感じます。まるで生まれたばかりのひなが、最初に見たものを親やモデルとするかのようです。

それはともかくとしまして、今日の話題は、タロットリーディングにおいて、大きく分けるとふたつの方向性があり、その、普段は気づきにくい、もうひとつの種類の読み方があるということと、それを意識してみるのもよいのではないかという提案です。

普通私たちが行っているタロットリーディングは、最初にも述べましたが、あくまでタロットを自分がどう見るのか、見えるのかという、自分側が中心のスタンスです。

直感的であるにしろ、論理的であるにしろ、対象としてのタロットカードがあり、それを自分が見ているという方向性のものです。

しかし物事の見方は少なくとも二方向、いや、本当はもっと多様なものがあると考えられます。

つまり、タロットとタロットリーダーの関係で言いますと、少なくとも、もうひとつ、タロット側を中心にした視点があるということです。

タロット側の視点とは何か?と考えた場合、これもいろいろな意見はあるかもしれませんが、私は、これがいわゆるタロットの精霊とのコンタクト的なリーディングになるのではないかと推測しました。

ちょっとサイキックや霊的な世界、技法的には西洋魔法的なタロットとの関わり方やタロットリーディングの方法の感覚に近いと思います。

あえて簡単に表現すれば、タロットの精霊が私たちに語りかける、情報を教えてくれるみたいな感じでしょうか。

ということは、タロットリーダーがタロットを見てどう思う、どう見るというのではなく、反転して、タロットが私たちをどう見る、どう思う(笑)みたいなものになります。

これと少し似ているのが、タロット的な象徴や意味から問題を見てみる、捉えてみるという、リビジョン的なタロットリーディングです。

この場合、例えば、「戦車」というカードが出れば、問題を「戦車」のカードの意味に当てはめるて解釈したり、リーダーの見え方で考察したりするのではなく、その問題は「戦車」の視点を必要としている、「戦車」がその問題を扱う、という逆の発想になります。

書いただけ(文章から)では、違いがわかりづらいかもしれませんが、要するに、自分が中心となるよりも、タロットの象徴や枠組が中心になるという発想です。

しかし、このリビジョン的な見方と、タロットの精霊とのコンタクトによるリーディングとでは、タロット側が中心の立場としては同じようでいて、厳密には違うものだと思います。

これも言葉では説明しづらいのですが、タロットの精霊とのリーディングということになれば、タロットの世界に自分が入り混むと言いますか、タロットと一体となって読むみたいな感覚となるでしょう。

例えるならば、自分が中心のタロットリーディングは、昼間の顕在意識が強い私たちの意識の世界、タロットの精霊関係のリーディングは、夜、寝ていて夢を見ている潜在(別の)意識も含む状態の意識の世界みたいなものでしょうか。

ゆえに、後者は、論理性や常識的な因果性が少なく、通常感覚での説得力に欠ける場合もあったり、理解しづらいところもあったりするでしょう。

しかしながら、タロットというものをあくまで、絵のついたカード(モノ・対象物)として、それを自分が見ているという感覚だけで続けていると、タロットの物理的(三次元的)な枠組から出ることができず、当たり前のリーディングや、現実的・現世的な意味での吉凶解釈のリーディングになりがちだと思います。

大アルカナのカードでいえば、こうした精霊的、タロット中心的なアプローチの象徴は、「月」のカードにあると私は見ています。このカードこそが、タロットリーディングの意味において、最も奥義を持つものではないかと想像しています。

月には二匹の犬のような動物、さらには、奥にはふたつの塔、それらが微妙にずれながらパラレルに描写されつつ、水たまりには第三者的なザリガニがいます。

さらに、月自体、顔をもって描かれ、月そのものから視線を受けている構造が見えます。いわば、私たちが月を見ているのではなく、月が私たちを見ているのです。

実際の天体としての月を見ている時(あるいは見ていない時のほうが強いかもですが)、皆さんの中にも、月から見られている感覚を得たことのある人がいらっしゃるのではないでしょうか。

元に戻りますと、タロットの精霊の住む世界や、この通常次元とは異なるタロットの世界があると思うような一種のメルヘン的な想像が、実はこの三次元認識の世界観を壊し、新たな世界に飛翔するためのヒントになることでもあると感じられます。

ただし、あくまで、現実(三次元)意識も保ちながらというのが重要で、完全にあちらの世界に浸かってしまうような感覚だと、これはこれで幻想空間にいるようなもので、問題となるでしょう。(自分が支配されるかのようになります、ルシファー的な悪にとらわれます)

錬金術の言葉でははありませんが、「解体(分離)して統合せよ」というように、タロットリーディングにおいても、タロットを見て自分が読む意識と、タロットから問いかけられている、タロットがささやく(攻殻機動隊の「ゴーストのささやき」を思い出します)、タロットがこちらを見ているといような、あちら側からのものの意識とのふたつを分離しつつ、共同作業にすると、本当に統合されたリーディングができるのかもしれません。

最初にも述べたように、タロットリーディングは個性的な読み方に結局はなっていきますが、その中でも、二つの方向性の読み方を意識しておくと、普遍的なもの(全体的なもの)に近づけたり、修正したりできるのではないかと思いますので、覚えておくとよいでしょう。

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