実践は型にこだわらなくてもよい

「そのようになるよ(そのようなことが起きるよ)」

「そのようになるように頑張ってみようよ」

「そのようになれるよ」

「そのようになるのは(それは)嫌なのかな?」

「そのようになりたいと思っている?」

「そのような気持ちがあるのよね」

「そのように見てみる(考えてみる)のはいかが?」

「そのようなことは無視していいんじゃないかな」

 

これは何なのかと言いますと、タロットリーディングにおけるカードの読み方の一例です。言い換えれば、カードからの情報の取り方でもあります。

 

このほかにも、もっとたくさんあるでしょうが、だいたいこんなパターンでカードについて読んでいるのではないかと思います。

 

私はタロットリーディングと占いとを区別した書き方をこのブログでもよくしていますが、その二つは、ある観点からすれば、同じようなものにもなるのです。

 

「リーディング」は創造的で、クライアント自らの気づきを促すのに対し、「占い」は断定的、クライアントには受動的で、未来予測が中心になると定義することもできますが、それもあくまで一例に過ぎません。

 

上記のように、リーダーの質問や読み方のパターンをこうして列挙してみれば、何のことはない、カードから読み取っている情報という意味では、すべて同じようなものと言えます。

 

強いていうならば、読み取った情報が運命的・決定的なニュアンスなのか、流動的、あるいは、これから作り上げていくか(実現させていくか)の違いみたいなところがあります。

 

ということで、カードからの情報でクライアント・相談者をよい方向に導いたり、癒しや気づきを与えたりするというところでは、やり方やアプローチが違うだけで、実は占いもリーディングも同じ面があるわけです。

 

しかし、その違いを見ていくのもまた有意義で、それはクライアント側からということもあるのですが、むしろ、リーダー側についても言えるのです。

 

というのは、例えば、タロットを読む人、タロットからの情報を扱って、どのように人に提供し、人様の役に立つのかという、自分のタイプとか、向いている方法を知ることができるからです。

 

自分が占いタイプの読み方、情報の与え方をしたほうが、クライアントのためになるという人(それでクライアントに満足してもらう人)もいれば、タロットによって、心理的な内面のブロックや葛藤、トラウマなどに気づいてもらい、それの解放や調整に向けてサポートするという読み方をするのが向いている人もあり、さらには、一種のコーチのように、実現したい目標や状況を、カードの情報や象徴を利用しセッティングして、達成しやすくさせるという方法が向いている人など、いろいろ、個性によってあるわけです。

 

これに、タロット以外の技術を学んでいることもあるでしょうし、自分の興味や関心から、どんなことをしたいのかによっても、またさらに自分のスタイルが決まって来ます。

 

もちろん、方法や技術は目的に適っていれば、数種類を混合させることもできますし、どんなやり方をやってもOKというところがあります。

 

私が実際にタロットリーディングする時でも、最初に書いたような読み方(情報の取り方)のパターンを各種織り交ぜ、時に未来予測的で断定的な占いになることもありますし、心理的な(葛藤や問題パターンに陥らせている)データの気づきに導くこともあります。また、目標を定めるための指標やモデルとしてカードを扱うこともあります。

 

カードリーダーの中には、かたなくなに自分が習った方法に固執し、これでないと絶対にうまく行かないというような人がいますが、それはあくまでその技術や方法の「」を高めることでは有効ですが、実際の相談者に対して、まさに「相談」したり、「セッション」したりして、クライアントのために役立つ情報提供や施術をするということでは、無意味になる(こだわりがかえって問題をややこしくさせる)こともあります。

 

私のブログを読んでいて、タロットの占い活用はダメだと思っている人がもしかするといるかもしれませんが、決してそんな単純な話をしているわけではないのです。

 

確かに、今のタロットの一般的な認識や占いとしてのツールで多く使われる現状を肯定しているわけではないのですが、私も実際に占いの館のようなところに出てタロットリーディングしてきたをことを思い出して見ても、現場のリアルな世界では、本当にいろいろな方が、それこそ「人間らしい」問題や悩みごとを抱えて相談に来られます。タロットの占い活用が、多くの人の役に立っていることがあるのも事実です。

 

予約紹介制ではない、ランダムに市中の人が来られる現場では、机上の空論みたいなものとか、座学で勉強していた読み方など、吹き飛んでしまうこともしばしばです。

 

そこにはどす黒い情念のようなものも渦巻いていますし、逆にあまりにも空虚で機械のような感じになってしまっている人もいます。

 

カードを簡単に定義づけたり、またクライアントの問題のパターンを形式的に当てはめ過ぎたりして、人(やカード)をモノのように扱っていると、とんだしっぺ返しをくらいます。

 

人にはがあり、さらには魂、霊があります。どんな人にも崇高な部分と、低次で貪欲な部分、あるいは破壊や消滅のような願望も眠っている場合があるのです。

 

そんな実際の現場、人を相手に、小賢しく考えた「型通りの理論」など、通じないことがほとんどです。(しかしタイプや型の学習が無駄と言っているわけではありません。それはそれで必要でもあります)

 

タロットで相談していると、人として生きる悲しさや苦しさも思う反面、いつも人の可能性や偉大さも思い知ります。そして、自分など、ただのサポート者に過ぎない、たまたま何らかの縁で関わらさせていただいた立場・存在なのだと謙虚になることもできます。

 

そうですね、いわば、マラソンランナーに対して沿道で声援を送る者で、偶然声が届いたとか、支援する側で水を手渡すことができた人みたいな感じです。主人公はあくまでランナーのほうですし、ランナーがゴールを目指して自分で走っているのです。

 

これは講師として講義をしていても同じで、教えているようでいて、本当に教えられていることが多く、私自身、生徒さんから救われていると実感することはいつもです。ありがたいことだと真に思います。

 

タロットリーディングを営業でやるようになったり、講師のように教える立場になってきたりしますと、どうしても「先生」などと言われ、人によってはえらそーな感じに見えたり、傲慢になってきたりする方がいます。また、逆に「先生」であろうと、必要以上に自分を縛ってしまう方もいるかもしれません。これはどちらも問題でしょう。

 

それでもまだ、自分が先生と呼ばれる立場になったことを自覚して、よい意味でクライアントや生徒さんの(模範や温かく見守るような)先生であろうとすることは悪いことではないと思います。

 

人を救うというのは大げさで、おこがましい表現ですが、仮にも人様から相談を受けようという人は、自分も相手も同じ人間であることを思い、勉強してきたからとか、人生経験・年齢が上だからとか、相談技術を身に着けたからと言って、上の立場でえらそうにしても始まらないのです。

 

共感と言われますが、人は苦しみをわかってもらえたり、悩みを受けて入れてもらえたりして初めて、次の段階に進むことができます。

 

そういうことでは、占いがどうの、リーディングがどうのという違いにこだわることは必要ないです。(違いを意識したり、明らかにしたりすることは、別の意味では重要にはなりますが)

 

タロットを学び、タロットリーダーとして、誰かにの役に立ちたい、リーディングを仕事にしていきたいという方は、あなたなりのやり方で、人様に向き合い貢献し、、クライアントはもちろんのこと、自分自身も成長していくことができればよいかと思います。

 

最初の基礎や技術の型は大切ですが、あなたがどうしたいのか、最初の気持ちでもいいので、そのことをよく思い(出し)、やがては自分流の方法で相談スタイルが出来上がっていくことでしょう。型破りと言われる段階と所以です。

 

その過程は、マルセイユタロットの「手品師」から「戦車」に描かれているように思います。(そして、背景や高いレベルに、ほかのカードたちがあるという印象)

 

特に「戦車」になるためには、その前の(数の)段階、「恋人」が重要だと思います。

 

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