タロットカードのペア性を見る

私は、経歴や自己紹介のところても書いていますように、もともとフィリップ・カモワン氏の教えていた、いわゆるカモワン流のマルセイユタロットから入った口です。過程としては、当時のタロット大学(現イシス学院)で学んでいます。

ですから、カモワン流の考え方は、私のタロット考察の視点には入り混んでいると言ってもよいです。

カモワン流の特徴のひとつには、カード、特に大アルカナをペアやカップル性で見るというものがありました。むしろ、それこそがカモワン流の、特にリーディングの本質と言ってもよいものだと私自身は考えています。(逆に言うと、カード単体で見るようなものは少ない)

以後、独立してからも、私はカードのペア性を、自分なりにもっと考察していくようにしました。カードをペアで見るというのは、タロットの自己活用や、タロットの象徴性でもって真理を探究していくという意味で、非常によい視点かと思います。

カードのペアは、単純に言えば、二枚組の単位でカードを扱う(見る)ということになりますが、その二枚組のコンセプト、組み合わせの基本・考え方のバリエーションによって、まさにいろいろな見方が存在し、言ってみれば、それが宇宙のルール、構造への気づきと理解になってくるのです。

ペアは、低い次元で言えば、男女の恋愛関係に置き換えることもできますし、次元を上げれは、その関係性が森羅万象の陰陽原理にまで引き上げることができます。

もちろん、陰陽原理だけではなく、あらゆる二元性の見方が、カードの二枚組、ペア性によって象徴され、その組み合わせは有限ではあるものの、非常に多くのものがあります。(もちろんタロットの数、大アルカナに限って言えば22枚ですから、ペアになる数は数学的に出せますが)

二枚のペア、組み合わせを、例えば大アルカナで言いますと、カモワン流なら視線が向き合うものをペアと見ることがありますし(例として「女帝」と「皇帝」など)、カモワン氏、ホドロフスキー氏両氏では、並べ方の上下は違うものの(これには理由がありますが)、10の数(セット)を基本に、1(「手品師」)と11(「力」)、2(「斎王」)と12(「吊るし」)のようにそれぞれをペアと見るものがあります。

また、ホドロフスキー氏は、足して21の合計になる数のペアカードも挙げていますし、ある説では、足して22になる組み合わせのカードで見ることもあります。(その他、数をもとにペアで見る組み合わせはいろいろあります)

それらのペアのコンセプト(組み合わている理由)として、何を意味する(している)のか、そのことを考察するだけで、かなり深いところに気づくことができるでしょう。

大アルカナは、そもそも22枚でできていますし、小アルカナも4組を基本とし、宮廷カード16枚、数カード40枚の構成なので、数の上てもペアとなることが可能で、それぞれパートごとに、偶数として二枚で割り切ることができます。

ということはタロットの構成自体、ペア概念をもとにしていると見ることができます。

大アルカナで見れば、構造上、「愚者」と他の21枚のカードと分けることができるのですが、21枚だと奇数ですから、二枚ペアにはなり得ません。

しかし、それぞれ数の順ごとにペアを形成していくと考えれば、ペアは可能になります。

これは「愚者」と「手品師」、「手品師」と「斎王」、「斎王」と「女帝」・・・というように見るような方法です。

この見方は、私たちに、ペアそれぞれにある固有の特質とともに、全体として循環しながら成長する宇宙の原理・運動のようなものを見て取ることができます。最後の「世界」も、「愚者」とペアになれば、最初に戻って、また新たな循環が始まるからです。

カードのペアは、占い的に見ることてもできますし、エネルギーや動きとして、もう片方を要求したり、必要としたりしているもの、欠けているものとしてタロットを出して考察することも可能です。

例えば、一枚、大アルカナからカードを引き、そのペアとなるものということで、残りのカードからまた一枚引いてみます。

最初の一枚は自分の今の状態や特質、持っているもの、わかっているものを示すとし、あとで引いた一枚は、それを補うもの、足りていなかった部分を満たすもの、補い合う人物(他人の場合もあれば、自分の中の違う自分と取ることもできます)やエネルギーとして見ます。

もう少し複雑になれば、最初のカードと次のカードの二枚セットで調和や完全性を示すものと見て、どちらか、あるいは両方において過剰になったり、不足していたり、不調和を来すもの、アンバランスになっている状態の要因としてみて、二枚のエネルギー、表現を正常にすることで、問題を解消していく見方ができるようになります。

私たちの現実意識は、スピリチュアルではよく言われるように、分離した感覚を持ち、それにより、個別性や独立性を味わえることになるのですが、一方で対比することで現れる欠乏感、不安感、問題感も出てきます。

要するに、ペア性の分離感みたいなものです。ふたつのものが反発し、対立し、争うことで、問題や居心地の悪さ、苦しさがあると見ることができます。

それらか調和し、相補し、統合が取れた見方になれば、分離感の苦痛から、満たされた幸せ感に変わるとも言えましょう。

もとは分離していないものではありますが、そういう(分離)感覚に現実世界ではなるのが普通ですから、私たちは、常に相方、もうひとりの自分、もうひとつのエネルギー、表現を求め続けるようになります。いわば、自分の分身であり、「恋人」である存在を探しているのです。(マルセイユタロットの「恋人」カードにも関係します)

そのカードでの表れが、二枚のペア性のカードとなります。

先述したように、二枚の組み合わせは数多くありますが、その時その時に出るカードのペアでもって、いつもは分離している見方(意識)を、二枚同時にセットでとらえることによって、統合した感覚(意識)に引き上げます。

こうして、少しずつ、自分の中に分離した、もうひとつの自分・恋人と出会うことをやっていくわけです。

つまりは、いつも本当は存在している片割れを、タロットによって見出すというか認識するようなことでもあります。

ですから、タロットは、単体で見るよりも、少なくとも二枚で見たほうが、よいこともあるのです。

ただし、二枚を同時に見る、ペア性を意識するということは、単体自体をよく知っていないと始まらないこともあります、よってカード単体の理解はとても大切なのです。

人生で例えれば、独身である自分をよく知ることで、つきあい、結婚する相手と出会え、そして結婚したあとも、お互いの未知であったことを深く知ることになり、さらに子供ができたり、年を取って行ったりして、不調和もあれば(離婚される人もいるでしょう)、問題を乗り越えて、もっと融合した境地へと進んでいくこともあるという感じです。

今、あなたを表し、そしてあなたを補助していくもうひとつのカードは何か、カードの束から引いてみると面白いでしょう。

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