極端な二元リーディングの世界
タロットカードの読み方で、一番シンプルに読めるのは、極端な二元性で見る方法でしょう。
簡単に言えば、よい意味と悪い意味を分けて読むこと、吉凶判断みたいなやり方です。
これをカードの正逆というポジジョンであてはめるか、カードごとにいいカード、悪いカードみたいに区分けするかによりますが、いずれにしても、正反対の意味をカードにあてがうことで、読みとしてはとても簡単に行うことができます。
もし一日でタロット占い師(プロというのではなく、あくまで雰囲気みたいなことですが(笑))になろうとすれば、上述の、いい・悪いの意味をカードごとに決めるか、正逆で正反対の意味(正立はそのカードのよいこと、逆位置は悪いことみたいなもの)を決めて、それを暗記すれば、占えることはできると思います。
78枚を暗記するのが大変であれば、大アルカナの22枚でも大まかには可能でしょうし、それが、とにかく占えるようにしたいというのなら早道になると思います。
こうした、極端な二元性をカードに意味づけすると、確かに物事の良し悪し、それをしてよいかどうかとか、可能性があるのかないのか、吉なのか凶なのかという、当然ながら二元価値観での判断もスピィーディーに行うことができます。
しかしながら、あえてギャグのように言いますが、それだと、コインの表裏や、エンピツころがし、靴飛ばしの表裏などでも、二元、つまりいい・悪いは占えることになります。
結局、占う道具に信頼性や何か神秘性、超越性を持たせることで、そのいい・悪い判断に、特別なリアルな感覚が得られるかどうかにかかっているように思います。
ということは、使う道具と自分との間に信頼感や親近感、特別感があったほうがいいわけです。
タロットが占いの道具によく使われる理由のひとつとしては、こうした特別感や神秘性をカードに持ちやすく、さらに自分(占い師)の手の中で扱える道具であり、カード自体、そこそこの数と絵の種類があって、単純さと複雑さの絶妙なバランスにあるからだと推測されます。(人は単純すぎても、また複雑すぎても、リアルさを感じないものです)
さて、こうしていいか悪いかをカードに意味づけて、占っていくことで、さらにそれが実際の占いデータとして蓄積されて来ますと、今度は「占い」の逆転現象が起きるようになります。
最初は、カードを引いてその意味よって、事柄(問いについて)のいい・悪いみたいなことを判断していたものが、次第に、このカードがこのように出たので、こういうことが起きるはずというように、事件や事柄をカードが引き寄せるかのようになっていくのです。
言わば、「ある事柄→カードの意味合い」の方向性が逆転し、「カードの意味→その意味合いの事柄の発生」というものになるわけです。
※(ただし、これはよく考えると、観点の違いだけであり、どちらも本質的には同じなのですが、なかなかわからないかもしれません)
こうして当たる占い(師)というものができあがっていくことがあります。(当たる占い師は、こうしたことだけではなく、よく言われる霊感のようなもの、特殊能力によって、ある種の見えない情報を取得できる場合があります)
こうなってきますと、占いをしているのか、自分(占い師)が現象を引き起こしているのか、よくわからなくなってきます。
「現象を引き起こしている」とした場合、よいことを示唆すれば、それが引き起こされるわけですから、もしかすると、それこそ、とても「よいこと」なのかもしれません。
しかし、カードを二元的に読んでいる場合、当然、悪いことの意味のカードも出ることがあるわけですから、その意味を告げるとすれば、カードが現象を引き起こしている場合には、悪いことをその人に起こしてしまう事態にもなりかねません。
たとえ、「こういう悪いカード出ましたので、注意してください、そうすれば大丈夫です」と言った場合でも、人は表面的な言葉の意味よりも、感情的なもの、潜在意識に強く残るものなどのほうに本当の意味でリアリティを感じますから、もし、言われたことやカードの絵柄を見て、強い恐怖や不安を覚え、悪いことが起こるということだけが印象的に残っていれば、そのほうの実現性が高くなるおそれもあります。
少なくとも、自分に嫌なこと、悪いことが起きれば、普段は何とも思わなかったものが、占い結果と関連づけてしまうこともあり得ます。
とは言っても、人の悩みは現実世界において、二元で分離されたものの、どちらがいいか悪いかなどの選択のことが多くなりますから、その判定を占いに求めるのもわかりますし、占い師としても適切な現実的(功利的)アドバイスを与えられる能力と、営業のためには、いいか悪いか、吉凶的判断の即決を求められ、それを実施していくのも当然としなければならない事情もあるでしょう。極論すれば、それが現場の占い師の重要な仕事だと言えるかもしれません。
生身の人である限り、いいか悪いかの現実的価値の判断をする、このレベルの占い・アドバイスは必要でしょう。
しかしながら、人は肉体・物質レベルだけで生きているのではありません。
こちらのほうが稼げると言っても、あちらのほうがやりがいがあって、自分らしく生きられるとなれば、あえて後者の選択をする人もいるはずです。
ゆえに、二元性を極端に分けたカード判定ばかりでは、相談レベルにおいては、ある一面や少ない階層、限定したレベルでのものになるので、タロットなら別のレベルで読むことも身に着けていったほうがよいわけです。
実際の優秀で頼れる占い師ともなってきますと、実は、吉凶やいい・悪いの判断は当然として、それ以上(別のレベル)の助言を同時にしていることが多いものです。
それは、極端な二元性レベル(判断)から離れたものになりますので、二元価値で分けるというものとは反対の、分けられない価値での相談になってきます。
一言で言えば、統合へ向かうための助言になりますが、二元価値で分けにくいレベルや階層となりますと、目に見える物質的、常識的価値判断のフィールド・次元から、まずは個人的レベルの内的なものに入っていくことになります。
わかりやすくいえば、個人の心・感情の世界です。
ここは、一般的にはいい(悪い)ということが、個人の心では反対のこともあり、結局、そのいい・悪いは、個人が決めていることに至る視点でもあります。
そうすると、当然、カードごとの吉凶、いい・悪いは決められませんし(決めてしまうと、個人の心もそれに倣ってしまい、自己の価値観=他人や世間の価値観となります)、正逆において正反対の意味になるというように意味を分け過ぎても、かえって読みにくくなってしまいます。
タロットカードたちに、いい・悪いの意味を与えるのではなく、それぞれのカードによる象徴性を見て、カードのフラットな基準から個人の心を観察するような見方になってきます。
それでも、これはカードの使い方(読み方)の中レベルみたいなものです。
次には、個人から全体にさらに転換し(しかし、常識レベルの全体性とは別のもの)、霊的な視点でカードを読むというレベルになってきます。
しかし、巷の占い現場では、その読み方は求められていないのが普通です。ですから、必ずしも高度な読みがタロットリーディングの必要条件とは言えないこともあります。
タロットリーディングやタロット占いは、多くの人はいろいろなレベルを混同させたままにやっていて、自分がどの層の読みをしているのか、クライアントはどのレベルを求めているのかわからず、ただカードの一般的な意味を読んでいるだけということがあります。
他人へのタロットリーディングの目的として、クライアント、相談する者が満足できればいいわけなのですが、自他ともに成長し、拡大していく視点を持つと、それだけでは一時的なものになってしまったり、固定した世界観に囚われてしまったりすることがわかってきますので、タロットリーダー側も、多様性と多元性を理解しておく必要があるかと思います。
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