ふたつの悪魔

マルセイユタロットの「悪魔」のカードは、読みにくい(意味が分かりにくい)カードかもしれません。

特に、タロットカードに吉凶判断や、いい・悪いをあてはめて解釈する人には、「悪魔」という名前と、一般的な感覚からして、なかなかフラット(中立)に見たり、ポジティブに読んだりすることはできないでしょう。

これは「名前のない13番」のカードにも言え、こちらのほうは、絵柄の印象がネガティブなものを想起させる感じです。

一方、「悪魔」は、上述の通り、悪魔という一般イメージそのものが、このカードに、いわば、悪いもの、悪意のようなものを見てしまうからネガティブになりやすいと言えます。でも、「悪魔」の絵柄自体は、13よりも強烈ではなく、むしろ愛嬌があるくらいではあります。(笑)

とはいえ、「悪魔」のカードが何を表しているのか、やはり悪魔だけあり、このカードはなかなか一筋縄ではいかないものがあります。

「悪魔」に、ネガティブなイメージが一般的にあるのは当然ですから、無理矢理ポジティブに読もうとせず、そのまま悪い印象を受け入れて見ることで、理解を深めることができることを紹介いたします。

さて、皆さんは悪魔(カードの「悪魔」ではなく、悪魔という言葉)にはどんなイメージがあるでしょうか。

人をそそのかし、悪いことをさせる存在、欲望を焚きつけ、堕落させる存在。犯罪や戦争など、人類のネガティブなものを操作する存在・・・いろいろ一般的にはありますね。

結局、一言でいえば、悪いことと結びつく存在です。

ところで、悪いというのは、逆に、よいこと、正義という概念があってのことです。正義と悪という対比でよくされます。

面白いことに、「7」という霊的成長の段階を示すと言われる数をもとにした場合、マルセイユタロットでは、「正義」が8で、これの7段階あとが15の「悪魔」となっています。ちなみに、「正義」の7段階前は1の「手品師」で、大アルカナの数では、「愚者」を除いて最初の数のカードになります。

タロットカードは、人類全体としての象徴の型を示すと同時に、それゆえ、個人一人ひとりの心理構造のような、見えない世界をも象徴します

そこで、「正義」と「悪」というものを個人の中に見た場合、これは誰しも持っている価値観のようなもの、信念体系になっているものと言えます。

全員、自分の中において、「正しいこと」と、それに対比される「悪いこと」の区別・考えがあるはずです。(これは、逆もそうで、悪いと思うものがあるから、いいもの、正義と思うものもあることになります)

ただし、一人ひとり個人で見た場合、その区別や線引きは、まったく同じ人がいないのも確かでしょう。すなわち、悪魔は(正義も)誰しも同じでないのです。

あなたの心の悪魔と、相手の心の悪魔は別なのです。しかしながら「悪魔」としては共通しています。

一人ひとりの中に住む悪魔、これはあなたが思っている「悪」というものの概念(というより観念や信念に近い)の権化と言えます。

さきほど言ったように、悪は正義と一対のものになりますから、あなたの正しさ、よいと思うものも、あなたの中に同時に住んでいます。ただ、マルセイユタロットの数的な象徴性から言えば、むしろ、悪(悪魔)が正しさを規定していると言ってもよいのかもしれません。

従って、あなたの悪魔が非常に(あなたの考え方や行動を規定するものとして)大事になるのです。

悪魔はあなたの中の正しさの裏返しであり、正しくあろうとするものに対して、反抗やレジタンスを担う存在でもあります。

あなたがあなたの価値観で正しくあろうとすればするほど、または正しいと判断(ジャッジ)すればするほど、反対の振り落とされた悪いもの、「悪」は、あなたの中に潜在的に蓄積されていきます。

本来、あなたの線引き・価値観を取り除けば、判断される物事というものは中立で、よいも悪いもありません。別の人からすれば、そのことは、あなたの反対のことと判断されるかもしれないものです。

ということは、本質的には中立で、どちらでもない(どちらでもある)ものが、白黒のように分けられると、元のひとつに戻ろうとする働きも起こるのではないかと予想されます。

あなたが切り分けた悪と正義も、ひとつのどちらでもないものに結合しようと、いつかは動くのかもしれず、その時、かつてふるい落とされた「悪」側のほうは、その存在を主張するために、何らかの形で現れる(アピールされる)ことになるでしょう。

物語風に言えば、魔王の復活であり、正義に対して、戦いを挑んでくるみたいな話です。

勧善懲悪のストーリーでは、悪(魔王)は正義(の味方)に返り討ちにあい、めでたしめでたしとなるのかもしれませんが、そんな単純な話ではスカッとするだけで、話や人間性に深みがないのは、ご承知の通りです。

むしろ、悪が一時的に正義を支配し、時には今まで正義と思っていたものが悪で、悪にも理由があり、見方によっては正義にもなり得、さらには正義と悪が統合されて、新しい考え・境地・世界に至るというほうが、物語的にも面白いです。

悪魔を中心として見ると、あなたか悪いと思って避けていたもの、見下していたもの、あるいは、本当は魅力を感じたり、そこに大きなエネルギーを見たりしていて、しかし、それに引き込まれるおそれ(強大なので翻弄される危険性があること)によって、あえて拒否していたもの「悪魔」にあるのです。

正しいと今まで信じてきた世界に自分を押し込めてはいたものの、次第に狭い世界に自分がいることに気が付いてきて、悪魔の呼びかけが起こっていることに悩みながらも、殻を破ろうという力が出できます。

だいたいにおいて、自分にとって正しいと言われている世界は、誰かから押し付けられた信念・ルールであることか多く、それは依存幻想でもあるのです。

「悪魔」自体、依存性や幻想世界への囚われを象徴するカードですが、逆に、私たちが誰かからの「正義」によって、悪魔につながれたことと同じようにされている(している)場合もあるのです。

その意味においては、「悪魔」は解放者となります。

要するに、「悪魔」は、あなたの正しくあろうとするものの破壊者であり、救済者でもあるのです。

そのレジンタンス性は、正しさの世界ではテロリストみたいなものにも見られるかもしれませんが、あなたの信じる狭い正義のために、あなたが窮屈になって、自由と自立心を失っている状態へ、強烈なカウンターとして、悪魔があなたを救いにやってきているのです。

その時は、あなた自身が悪魔になります。

それまでは、あなたの中に、別の悪魔がいるかもしれません。それはある面では、あなたを支配する存在で、もしかするとあなたのあこがれであったり、あなたに強い影響を公私ともに及ぼしている実際の人、あるいは体制とか組織かもしれません。

その「悪魔」は、あなたを保護してくれますが、あなたを利用しているか、あなた自身がその人に支配されたり、依存していたりすることも考えられます。

それでも、居心地はよく、あなたも正しい世界、安心できる世界にいると思っているでしょう。

もし、どこか今の世界に疑いを持ってきたり、今まであこがれていた人、安心だと思っていた状態に対して、何かしら疑念のような変化の心が出て来たりしたのなら、あなたの中にある「悪魔」が存在を主張し始めたのかもしれません。

こうして、ふたつの「悪魔」によって、あたたは成長していくのです。

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