責任・原因は、自分か他人か?
今起きていること、さらには過去や未来の問題まで、それは果たして、自分が引き起こしているのか、他者や環境によって起こされているのか、このテーマは、難しいところがあると思います。
常識的には、自分だけが問題を起こしているわけではなく、不慮の事故や災害、こらちは何もしていないのに、相手側から理不尽なことをされるなど、たぶん、皆さんの経験的にも、とても自分だけが原因とは思えないものでしょう。
しかし、精神世界とかスピリチュアルな話、または、ある心理的な分野では、実はこの世界は自分が創造しているため、すべては自分に責任がある、つまりは自分が引き起こしているという考えを述べる人もいます。
あるいは、因縁とかカルマみたいなことで、結局、どれも自分に関係しているという話(無関係に偶然起こっているわけではないという話)もあります。
おそらく、自分だけとか、他者・環境側のせいだけにするとか、そういう、どちらか一方的な原因に帰することは、バランスを欠き、葛藤を呼ぶのではないかと思います。
すべての問題が、自分だけの要因からと見ると、どうしても、見えない世界とか、常識を超えた分野を考えないとならなくなり、それは、現実の通常意識では、完全に把握することは、「悟り」にでも至っていない限り、困難だと思われます。
さらに、その態度(自分にすべて原因がある)では、過剰に自己責任を思い、やらなくてもよいこと、考えなくてもよいことまで負担して、自己犠牲を多大に払ってしまうことになるかもしれません。
これでは、生きるのが苦しくなるだけです。自分の人生は過去(世)や未来(世)の自分より、まずは「今現在の自分にある」ことをしっかり自覚したほうがよいでしょう。
反対に、自分以外のことに全部原因や責任があるとしてしまうと、それこそ、無責任な話になり、成長することができませんし、他者に迷惑がかかります。
私はマルセイユタロットを見ていまして、問題の自己の責任・原因と他者(その他の要因による)責任・原因とのテーマは、ある種のルールや世界観を考えて取り扱うと、うまく行くのではないかと思っています。
まず、1.常識や現実的な世界観と、2.心の中の世界観、さらには、3.見えない世界、スピリチュアルのような、総合的な世界観を想定し、それぞれの違いを考えます。
1の世界では、物質や見える世界が中心ですから、あまり見えない世界のことよりも、実際にわかる、計る(計算できる)、実体として把握できるようなことで、責任の範囲も決まって来ます。もしくは、決めて行きます。
つまりは、自己の責任と、他者の責任との範囲が明確にあるということです。
もちろん、状況によって、その区分けは変わってきますが、ここで言いたいのは、この世界観では、自分だけとか他者だけとかという決めつけではなく、分相応に、しかも見えない、得体の知れない原因ではなく、きちんと見える範囲とか法律・ルールに基づいたうえで存在するということです。
逆に言えば、法律とかルールで決められていないところは不明確になりがちなので、あやふやな面もあります。そういう場合は、次の2に移行することもあります。
2では、心の中の世界なので、自分がどう思うかによって決まってくる世界観です。従って、この世界では、自分(の原因)がほぼすべてになってきます。
自分の心によって、自分の感じ方、行動も変わってきますので、逆に言いますと、自分の思い(心)が変われば、自分の世界(見え方、解釈、行動)も変わってくることになります。
ただ、心の中の世界は、自分が自覚している部分と、潜在的・無意識的な無自覚部分とがありますから、無自覚なところが原因のものは、場合によっては専門的探査と、それによる自己の気づきが必要になります。
わかっちゃいるけどやめられないとか、現実の世界での見方では、どうしても原因がわからず、同じような問題を引き起こしてしまう、続いてしまっているというような時は、こうした潜在意識の中の問題が要因と考えられることもあります。
また、現実では、他者や環境が存在しますから、そうしたものが自分に働きかけたり、原因として刻まれていたりすることもあります。
しかし、その場合でも、自分がどう思うか、感じるか、解釈するかの世界が心の世界なので、結局、自分の原因が主となってくるのです。(現実の世界観を無視するのではなく、現実の世界観での原因を見ることも併用し、例えば環境を変えるなどの自分の心や思い方以外での対応策も試みることです)
最後は3になります。これはもう、見えない世界を含むことですから、常識や現実認識の世界観の考え方は通じないものとなります。
この3の世界観に立てば、一言で言えば、2の世界観とは別の意味で、自分がすべての原因となりますが、他者も自分みたいな世界になってきますから、いわば世界をひとつとして、すべて関係する(過去・現在・未来という時系列を超えての考えも含む)と見ることになります。
こうした世界観では、自分が原因とか、他人が原因とかとの区別もなくなるわけです。
もう少し、個別的な意味で考えるとすれば、すべての問題は、自己の成長のためであり、自分(意識する自分にとっては)「起きている」ことになり、意識していない自分においては「起こしている」となるでしょう。
問題を受け入れ、淡々とこなしていくというような心境で、「ありがたい」という気持ちが、どんなことであっても、大なり小なり、生じるかもしれません。
以上のようなことで、同じ問題であっても、このように世界(観)を分けて考えてみることで、自分の責任、他者の責任、自己の要因、ほかの要因というものをバランスよくとらえることができるのではないかと思います。
まあ、平たく言えば、「世界」の使い分けです。
どうにも原因がわらず悩み切った時は、最後には3で考えたほうが楽になることもありますし、仕事の面では、1のほうが納得することもあります。
2などは、自分が中心ですから、たいていのことは(解釈の意味では)自分で何とかしてしまえることになります。心の達人になれば、同じ環境に遇っても、いかに自分の世界を楽にしてしまえるかが、2によってわかります。
あと、タロットがあると、実際に、どの世界(観)を自分は、このことで適用すべきかがわかることもあります。
タロットカード、大アルカナの最終境地と言われる「世界」のカードから見れば、ほかのカードは、臨機応変に世界観を変えていくための示唆と考えることもできます。
このように、まさに「世界」の見方を変えてくれるのが、またタロットの良さと言えるでしょう。
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