タロットの78枚と私たちの個性

タロット、そしてこのブログの主題となっている「マルセイユタロット」は、78枚もの枚数があります。

これら、一枚一枚が違うカードであるのは、もちろん絵柄から見ても違いは明白であり、だからこそ、数多の物事をカードで例えたり、事象をシンボル(象徴)として扱うこともできるわけです。

このことは、ごく当たり前のことを言っているのですが、それでも、実は、ある意味、重要なことなのです。

それは逆から考えてみればわかります。

占いでもリーディングても、タロットを引くことで、それが私たちの生活や物事、さらに心まで表していることを知りますが、ということは、この世界は、タロットの数だけ、いやそれ以上のバラエティさ(違い、種類)があるのだということになります。(たくさんの枚数を持つタロットが、私たちの世界を表すことができるのなら、私たちの世界も多数からできていると考えることができるという意味)

タロットの枚数が多いのも、私たちの世界を象徴させるためには必要だったと考えられます。

このことを踏まえて、改めてタロットを見ますと、マルセイユタロットにおいては、すでに「手品師」によって示されていたのでした。「手品師」のどの部分がそれを表すのかということは、暗号事項にもなりますから、ここではふれませんが。

ともかく、結局、この世界は、個性や違いでできていると言ってよいでしょう。

ところが、タロットは、現実の世界だけを象徴しているのではありません。

さきほど、「心」についても言及しましたが、心は自分や他人の部分として目には見えませんが、実際的であると言えます。それは、「(心が)ある」ということを、普通は意識できるものだからです。

しかし、もっと大きな範疇とも言える、宇宙の真理とか、集合的な意識など、全体的ともいえる目に見えない領域になりますと、あやふやなものになってきて、どうとらえていいのか、わからなくなります。

すると、タロットで言いますと、78枚に分離した、それぞれのカードの個性という見方ではなく、ある括りや、グループ、統一された概念、法則のようなものを見ていくことになります。

面白いことに、マルセイユタロットはそれさえも可能なのです。

ということは、マルセイユタロットは、私たちの(現実的な)世界の表現だけではなく、もっと何か別のものまで表している、または表すことができるのだと考えることができます。

とまあ、ここまでは前提の話、前振りです。(笑)

さきほど、私たちの世界は、個性の世界で、タロットで言えば、78枚のそれぞれの世界だという言い方をしました。

タロットでは、一枚一枚、本来はいい・悪いの意味はないのですが、シチュエーションによっては、ポジティブ・ネガティブな意味合いに取れることもあります。占いの場合は、明らかに、吉凶に分かれるカードの区別を持つ(区別をつけている)こともあります。

個性の世界(つまり現実の世界)では、それぞれが別々の価値観や思いを持つことになりますから、タロットカードのように、一枚一枚、つまり一人一人や各物事ごとに、違い(個性)を帯びることになり、それには、いい・悪いとか、良し悪し、ポジ・ネガみたいな見方も当然出てくるわけです。

仮にあなたが、ポジティブ、よいことだと思う個性を持っていたとしましょう。その個性は、皆からも認められ、賞賛され、言わば、華々しく自分の個性を表現できている状態と言えます。

ところが、こんな自分はダメだとか、劣等感のごとく、ある自分の部分が嫌だとかという意識でいますと、それはある意味、ネガティブな個性とも言え、自分で自分の個性を認めたくない、忌避したくなる心境となるでしょう。

加えて、周囲からはあまり良く思われず(実状は、自分がそう思っているだけのことが多いのですが)、とにかく、自分を認められず、そんな自分と周囲であるこの世界(現実)をも、否定したくなるかもしれません。

要するに、ポジティブな個性では自分の人生がよいように感じ、ネガティブな個性では、悪く思ってしまうことになります。

ネガティブな個性を自分自身が信じ、それに凝り固まってしまうと、なかなかその心境から抜け出せなくなります。先にも述べたように、ネガティブな個性にあると認めてしまうと、人生そのもの、いや、自分の生きている現実世界そのものが、悪くなってしまいます。

タロットカードで言えば、ある一枚に悪い意味を付与して、その意味だけで解釈してしまうような状態です。

できれば、自分は悪いカードになりたくありませんよね。(笑)

ここで、余談ですが(しかし極めて重要なことでもあるのですが)、「自分はネガティブな個性でもよい」と、あえてネガティブを選んでしまう人もいます。

それはなぜかと言いますと、たとえ悪い意味でも、目立つからです。いや、むしろ、悪ければ悪いほど、強烈な個性を放ち、周囲から埋もれることがなくなります。まあ、悪目立ちみたいなものです。

こういうタイプの人が恐れることは、没個性になってしまうことであり、凡人であること、普通であること、無視されることなのです。また、何らかの事情で、ある特定の人か、グループに向けて、自分の存在、すなわち個性を訴えなくてはならないと(潜在的に)思っているケースがあります。

すると、悪かろうが良かろうが、とにかく自分が目立てばよい、注目してもらえればよい、気づいてもらえればよいとなり、簡単なのは、むしろ良いことでよりも悪いことでのほうなので、その選択を自覚・無自覚に関わらず、やってしまう場合があります。

自分の問題(状況)、例えば、経済・健康・恋愛・人間関係等、よくある人の悩みは、これが起因していることもあると考えられます。

さて話を戻しますと、人はネガティブな個性を自分で認めてしまうと、人生や世界が悪くなる(ネガティブになる)と言いました。

ならば、自分の個性をポジティブなものに書き換えたり、思い直したりすればよいわけです。

そのための、特に実際的方法や、心理的技法などは、いろいろと紹介されたり、セッションされたりしていますよね。

結局、自分がどう思うかのことなので、自分の心と関係するのですが、自分への思いというのは、環境や他人によってもかなり影響されますから、外側から働きかける(環境の変化、実績づくり、成功体験、自分をよい意味で認めてくれる人たちと交流するなどの)ことでも、ポジティブな自我(個性)認識は可能です。

もちろん、心理的に、癒し・浄化、書き換えなどで、ポジティブな自分への変換ができます。どちら、あるいは両方をやってもよく、自然に人は、誰ても、何からの方法で、ネガティブな自分認識を、ポジティブなものへと、変えようとはしていると思います。

ただ、ネガとポジの関係は、次元(世界)が異なれば、実は表裏一体なものであり、ネガ、もしくはポジを意識すればするほど、その逆の性質も増えたり、強くなったりする仕組みがあります。

タロットカードで言いますと、ネガティブなカードを作れば(意味を与えれば)、逆のポジティブな意味のカードも同じだけ存在しないといけなくなるようなものです。あるカードの意味を変えたところで、ほかのカードが代わりに、その意味を受け持つだけです。

そこで、こういう方法を考えます。

それは、「統合」の概念や意識を使うということです。ポジもネガも表裏一体であるのなら、その表裏一体が見える(認識できる)位置にまで、意識を上昇(統合)すればよいのです。

タロットで言うと、一枚のカードにネガもポジも、両面の意味を見るということになりますし、78枚をバラバラで見るのではなく、ある種の統一感(法則、原理)をもって俯瞰するような形になります。

いい・悪いでカードを受け取ったり、78枚のそれぞれの個性を別々にして意味を見ていたりすると、いつまでもバラバラな次元(バラバラでつながりのない世界)に閉じ込められた見方に固執してしまいます。

それは、言い換えれば、私たちの現実世界で、個性をよい・悪いで見てしまって、いちいち起きる事柄に、吉凶的運命を感じ、喜んだり、悲しんだりする状況とも表現できます。

従って、自分の個性を、現実の常識に照らし合わせて、ただよい・悪いと判断するのではなく、そもそも個性とは何かとか、個性を超越した統合的本来的存在が自分であると認識することによって、少なくとも、ネガティブな個性を思って、自分と自分のいる世界を闇に変えてしまう恐れからは脱却できます。

タロットカードで言えば、カードを個々に、吉凶的に見る(と意味を覚える)状態から、カード全体を俯瞰し、グルーピング化を図り、最終的には78枚を巨大な一枚にしてしまうような感じです。

すべてのカードは我(われ)であり、違いと見えていた世界から、本質的に同じであると認識する世界への移行(旅)です。スピリチュアル的に言えば、自己アセンションとなりますし、心理学的には、人格統合、ユングの個性化のプロセスと言ってもよいでしょう。

言い換えれば、複雑で個性あるバラエティの世界から、単純で、ひとつであり、無(でいて、有)である世界に変わっていく過程です。しかし、不思議な言い方になりますが、同時に、正反対の方向にも進んでいることになります。(例えば、複雑から単純の方向でもあっても、裏の見方では、単純から複雑にも進んでいるということ)

正反対も同時発生しているというのは、なかなかわかりにくいと思います。ですが、タロットを見ればイメージができるのです。

タロット(マルセイユタロット)も、「手品師」と「世界」とか、小アルカナの数カードのエースと10番の関係、宮廷カードの小姓と騎士の関係などから、そのようなことが見て取れます。

ですから、個性を消すことでよくなると言っているのではなく、逆に、個性において、ネガティブもポジティブも受け入れ、認めることで、本当は進化し、悩みや問題もなくなっていく(本当は、なくなるのではなく、認識が変わる)ことを述べているのです。

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