「吊るし」のメッセージ

今日、浮かんできたマルセイユタロットのカードは「吊るし」でした。

時々、このように、ふと浮かんでくるカードをテーマに、記事にすることがありますが、タロットと親しくなってきますと、自分からだけではなく、タロット側から、自然とメッセージやアドバイスのようなものを送ってくることがあります。

この理由・仕組みとしては、いろいろな考え方ができますが、霊的なことやサイキック的な意味合いで見るのがあまり好きではない人は、心理的に思えばよく、つまりは、自分の普段は意識していな部分からの、心の領域が見せているものと説明することもできます。

それには、タロットカードの意味と象徴が、自分の心にはっきりと入り、整理がある程度できていればこそですが、タロットは意識の元型も描いていると言われますから、実は意味がわからない初期の頃でも、見た(なんとなく記憶している)カードが、無意識のうちに浮かんでくることがあります。それはやはり、何らかの(心の)理由があるからと考えられます。

さて、私がカードを思い浮かべる時、個人的なことよりも、ブログを書いたり、タロットの講師をしたりしていますので、読者や生徒さん対象ということもあると思っています。

ということは、「吊るし」のメッセージや示唆は、これを読んでいる人には、必要なのかもしれません。

このカードは、大アルカナの中で、唯一、逆さまが正立という不思議な図像になっています。(逆さまの人物自体は、ほかのカードでもいますが、メインであるのはこのカードだけです)

タロットは単体で考えるだけではなく、全体を含めての構造・システム・ストーリーで見る必要があり、そうした場合、大アルカナのシステムの中でも、このカードは異色で、しかし、やはり数の前後、すなわち、11の「力」、「名前のない13」の間にある理由が明確にあります。

その詳細な説明は、講座に譲るとしまして、ただ、それでも、このカードが、かなり特別なポイント・位置になっていることは挙げておきたいと思います。個人的には、霊的にも、今の時代を象徴しているもの、いや、こうなる必要がまずあるのだという意味で見ています。

大アルカナの流れから見る理由でも、また図像の象徴から見ても、「吊るし」は、一種の停止状態や保留を表し、その名の通り、吊るし、英語で言えばペンドしている様子とも、とらえられます。

ただ、これを消極的に「保留しなければならない状態」「固まってしまって、動けない状態」と取るか、あえて、こうした状態を取ると見て、積極的に休息したり、落ち着きを取り戻そうとしたり、様子見したりしていると見るかで、かなり印象が違ってきます。

ほかのカードでは、犠牲的な、何か吊るされて罰を受けているかのような苦しい意味、閉塞的な状況で読まれることも多いと聞きますが、マルセイユタロットでは、基本、能動的な(自らの意志で行う)吊るし状態と見ます。

吊るしという状態を取ることが、いかに重要てあるかは、これまでの記事でも述べたことがあると思いますし、皆さんも、動くばかりでは、ますます事態が悪くなることは経験済でしょう。

ですから、そのことは今日は取り上げませんが、ほかの「吊るし」のテーマも、ふれておきたいと思います。

そのひとつが、逆さまの姿勢から来る象徴と意味です。最初に、「吊るし」は逆さまが正立の変わった図像だと言いました。

だからこそ、そのまま、逆こそ正しいみたいな考え方ができるのです。まさに、発想の転換と言いますか、反転したモノの見方、今までとはまるで違う考え方が必要だと言っていることがあるわけです。

実はこの「転換」にも、段階があり、「吊るし」の図像にそれは描かれています。数カードと併用すると、さらに効果的にわかるのですが、それはまた、受講生のセミナー等で教えたいと思います。

発想の転換は、普通、急にできるものではありません。「吊るし」の人物が、なぜ手足を縛っている(縛っているかどうかは本当は不明ですが)ように見えるのか、これも転換や反転に関わると考えられます。

発想の転換と言いますと、自由性をイメージしますが、自由は、その反対に、束縛あって、その自由性という概念が把握できます。

そう、ここにも、反対、逆さまのことが出るのです。全部は言いませんが、(さらなる)自由になりたければ、束縛されているもの、縛っているものを認識しないとならないわけです。

また、制限が逆に、発想の転換を生むことがあります。

一般的な「吊るし」のカードは、吊るされ人(吊るされた男)と言われますが、たとえ吊るされていたとしても、ただ死を待つのではなく、縛られた手足の縄抜けを図るなどして、脱出を試みているかもしれないのです。

その意味では、ただ待つのではなく、待ちながらも、脱出や見えない範囲で打開の計画をしていくという、よい意味での逃げも想定できます。

あと、「吊るし」は単独性や孤独性を、絵柄から象徴するのは確かですが、同時に、他のカードとの組み合わせによって、それこそ、発想の転換ではありませんが、意外性を発揮するアイデアマンのようなカードになります。

そもそも、今までとは別の視点を持てと言われても、それができないから「問題」となっている(問題の解決策がわからない)わけです。

それは、端的に言えば、自分の世界にどっぷり浸かり、新しい世界が見えないからで、こういう場合は、自分だけではなかなか自己の世界を打ち破ることは難しいものです。

そこで、「吊るし」と一緒に引くなど、別のカードの助けを得ることで、苦境を脱するアイデアや行動方針が見えてくることもあるのです。「吊るし」の縄抜けを援助する方法が見つかるという感じです。

ただ、ほかのカードの出方によっては、「吊るし」の基本的意味である。停止や保留、熟成するなど、そのまま動かない姿勢が強調されることもあります。

余談ですが、「吊るし」は、時に、神社の鳥居もイメーシさせ、そうした神的な領域、聖域と聖なるものへの帰依や奉仕を象徴する場合もあります。

このカードを見て、思うところがある人は、縁のある神社や聖域などに行ってみるのもよいでしょう。

いろいろと書きましたが、やはりこのカードは、外的なものより、内的な力・叡智を認識するための特別な姿勢状態であり、内なるものに沈潜しつつ、新たに自分を浮上、再生させるための、「吊るし」の期間と言えるのです。

一枚引きでこのカードが出れば、基本は待ちであり、停止で、むやみに動かず、内を見つめることです。あなたの神性が計画するのを待ちましょう。

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