時間の流れと過去の自分

心理技法などでも、未来の自分になってみる、想像してみるという方法があります。

そしてもし、なりたい自分があるのなら、それを強くイメージしていけば、未来像の自分が本当に訪れるという人もいます。

この場合、時間の方向としては、イメージしている自分は、現在から未来の方向ですが、別の見方をしますと、未来の自分が現在(未来からすると過去)の自分を形成していると言え、時間は未来から現在(過去)へと、逆に流れているみたいになります。

時計的な時間の流れでは、過去→現在→未来に進むと私たちは認識していますが、想念の世界では、逆方向もありますし、時間は関係ない場合もあると言えます。

ちょっと余談ですが、普通の人と同じく、惰性的に、ただ時計的に時間の流れを見てしまうと、私たちは時の奴隷になるのかもしれません。

時間を超越するのは現実的には無理かもしれませんが、少なくとも、未来から過去へというように、逆方向の時間の流れを意識的にすると、かなり世界の認識が変わるのではないかと思っています。それが本格的にできた人は、成功したり、覚醒したりするのかもしれません。

さて、私が使うマルセイユタロットの展開技法では、現実の普通に流れる時間の次元と、想念の、いわば時間の流れがひとつではない世界の次元とを同時に見ることがあり、想念の世界に意識を向けることで、時間と言いますか、平行存在している(平行世界の)自分を確認することが可能です。

そして、これまた不思議なことに、「今」の意識が変わると、最初に認識していた(当てはめていた)平行存在の自分が、物語(ストーリー)とともに、変わっていくのが普通です。

言ってみれば、想念の世界で時間旅行をしながら、自分で自分を癒したり、希望を持たせたり、問題にあらかじめ対処したりしているわけです。

ということは、時間操作そのものが自己の操作(その逆もあり)に近く、ほとんど同意義かもしれません。

このことは、マルセイユタロットの「運命の輪」の、重大な象徴事項ではないかと推測しています。

ところで、私たちは未来について、明るい、あるいは理想の想像をしやすい人と、そうではない人に分かれるような気がします。

まあ、ポジティブ思考の人とネガティブ思考の人の区分けに似ているでしょうか。

そして、さきほど、「今」の意識が変われば、平行世界存在の自分も変わるという話をしましたように、結局、今がどんな状態であるかによって、未来のイメージもよくなるか、悪くなるかが違ってくるように思います。これは当たり前と言えば、当たり前の話です。

だいたい、今が好調であれば、未来も明るく希望に満ちたものになりますし、逆に、今が不安でいっぱい、八方塞がりのような状態では、未来に希望と持てと言うほうが無理です。もし日本の未来に希望が持てない人が多いとすれば、それは、今の状況によるわけです。

ということで、ネガティブ思考の人、今があまり思わしくない人は、なかなか未来を明るく照らすことは難しいのは当然かもしれません。

そこで、未来の(明るい)イメージが難しいのなら、逆に過去に目を向けるという方法もあります。

というと、過去のトラウマとか、潜在意識のブロックなどを解放・癒して行きましょう、みたいな話が多くなりますが、今回は似ていますが、それではありません。

もっと当たり前で、誰でもできることです。

例えば、あなたがすでに読んだ本とか、学んだこと、かつて深く関わっていた人との文章やメール、仕事やプライベートの写真、動画など、何でもよいので、とにかく、結構自分が色濃く関わっていたとか、熱心にしていたとか、取り憑かれていた(笑)というようなもので、過去の何か(物質的に残っているもの)を取り出してみてください。

文章とか絵などが一番よいかもしれません。

そして、それを“今の”あなたの目線、思い、知識で冷静に読んだり、見たり、手に取ったりしてみてください。

どうでしょうか?

当時を思い出すことはあるでしょうが、おそらく、当時とは違う感覚があり、どこか冷めていたり、反対に、当時とは別の意味で、感動したり、心を打たれたりしたのではないでしょうか。

そう、あなたは時間を超えて、過去には戻りましたが、今のあなたは、すでにその当時から変わっていますので、昔のままのあなたではなく、明らかに変容した自分が、過去(の自分)を見ている形になるのです。

そして、ここが肝心なのですが、今のあなたは、その過去のあなたが種をまき、成長(変化)した人なのです。

過去のその時は、とても大変だったり、時には思い出したくなかったりすることかもしれません。それでも、そのことは確かにあったわけで、過去のその自分は、いまだ存在としてはある(あなたが振り返るまで存在していた)と見てもよいです。

その存在がいるからこそ、今のあなたへと移行することができたとも言え、過去の自分は、ひとつのステーションやターミナルとして、あなたを、またそこから新たに旅立たせていたのです。

さらに、今のあなたが過去の自分(存在)を再訪問したことで、過去の自分もまた変化し、新たなストーリーの位置に収まります。(分岐すると言ってもいいでしょう)

未来から(それは「今」でもありますが)のあなたが、過去の自分に想念的に関わり、両方が変化し、新たなストーリーが紡がれます。

もしかすると、過去では「失敗だった」とか「あのように選択すれは良かった」と思うことでさえも、まったく同じ環境というわけには当然行きませんが、時と設定を変えつつ、今後、似たようなことをやり直す(やり直せる)こともあるのです。

これが、未来から過去への時間の流れの効果です。

過去は終わっていません。「終わった」「変えられない」という集合意識的な事実のように思われている出来事は確かにあります。

しかしながら、個人になればなるほど、まさしく個別のことなので、自分がどのように思うかによっては、過去は記憶でもありますから、変わることは本当にあります。

公的な事実のように思われている世界の歴史も、国よって認識が違い、その世界はある意味、国よって別物(別世界にいる)と言えます。

そして、なかったことが今からの働きかけで、あることにされるこありますし、反対に、あったことが、過去ではなく、これからのやり方で、なかったことにされることもあるわけです。

時間が流れて行けば、そのことは事実として固まってしまうことさえあります。おそらく、歴史なんていうものは、そうして作り上げられた部分も少なくないのだと思います。

今回言っていることは、マルセイユタロットの「隠者」(後ろ向きに歩いていると言われます)と「運命の輪」(運命・時間・巡りを象徴)の合体のような意味で、過去を見ながら、過去から見れば未来の自分(それは今の自分でもあるわけですが)、その存在が、かつての自分と出来事(の意味)を変えていくことができ、それが積み重なることで、新たな「自分の歴史としての過去」が誕生し、今の自分(過去からすると未来の自分)と、さらに、未来の自分(今の自分から見た未来の自分)さえ、変わってくることがありますよ、ということです。

無理矢理、未来に希望を持たせよう、明るくさせようとするよりも、このように、過去に目を向けることで、結果的に自然に、未来に希望が見えてくるようになるのです。

そうすると、もしかすかると、マルセイユタロットの「正義」も「節制」も、別次元の自分の姿ということが言えるのかもしれません。裁くのも、救済するのも自分だということです。

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