質問の受動と能動、自他の救済
タロットにおける質問について、今までも何度か書いておりますが、ここで、今の時期に特に重要だと考えられますので、タロットへの質問をネタにしながらも、人生における質問・問いについても言及したいと思います。
私の中で、タロット占いとタロットリーディングの違いを決定的にもたらせているのは、「質問」と「それに答えるタロットの読み方」にあると考えています。
占いは、一言で言えば、「どうなる?」「(これ・あれ、あの人は)どうなの?」みたいな質問と、それに答える方法でしょう。
そして、リーディングは、「どうすればよいか?」「どう考えればよいか?」というような問いと、それへの回答と言えるかもしれません。
言わば、状況推移(予測)や運勢の流れのようなものを見て、それを基準に選択を示すみたいなものが(タロット)占いで、タロットリーディングは、過去から続く要因を探り、未来の予想も立てますが、今、どうすればよいかを「創造」していくものと考えられます。
ですから、占いはどうしても運命論的にならざるを得ませんが、リーディングはストーリーを創るという点もありますので、自分が運命を創る、変えるみたいな観点になって行きます。(たとえ大元の運命のようなものがあっても、その範囲での自由意志や選択、創造があると見ます)
タロットカードをどう読むのかは、もちろん、カードの意味を知ることが大事ですが、その意味をどう解釈するのか応用するのかにもよりす。
それが、実は質問によって左右されることが、意外に知られていません。
「どうなる?」という質問をすれば、当然、「こうなる」というような答えになりますし、「どうすればよいか?」という質問ならば、「こうして行こう」「このように考えよう」というように、能動的・創造的になれます。
これは、人生における私たちの態度にも関わってきます。
受動的にただ、運命に翻弄されるかのように、何か問題やピンチが起きた時に、「どうしよう」「どうなるんだろう・・・」と思う(自問自答する)より、「これは(深くは)何の意味があるのだろう?」「どんなことを私に学ばせようとしているのか?」「どうすればこれを乗り越えていくことができるのだろう?」と問うほうが、波をコントロールして、創造的に生きていくことにつながるのは明確です。
ただし、私も弱い人間ですので、「うわー、どうなるんだろう・・・」と先を心配したり、不安になったり、未来の推移・予測をただ見たい、知りたいと思ったりする感情はあります。むしろ、人よりそれは強いかもしれません。(苦笑)
ですから、必ずしも、受け身の質問が悪いわけではなく、それは当たり前の人としての気持ちだと認めることも大切です。
その意味(人間的欲求や感情に応えるため)では、時には占いをしてもよいかと思います。
しかし、未来予測なんてものは確実でもないですし、皆さんももう薄々わかってはいると思いますが、未来の選択肢、ゲーム・アニメ的表現で言えば「世界線」がたくさんあり、ぞの世界をどう選ぶか(創るか)は、ある程度(と言うより、かなり)自由があるということです。
過去・現在・未来と時間は流れますが、本質的には時間はなく、すべてが今にあると言われます。
そうすると、今をどう思うか、どう行動するかで、未来も(過去も)、今現在のここに集約的に「運命の輪」があると言え、その輪を回すことができるのは、ほかならぬ自分自身でもあるのです。
「運命の輪」をどう回すのかによって、まさに世界線、これからが(過去の認識も)変わるのです。
今の混乱にある世界の中で、悲惨で望みのない、あるいは前のまま何も変わらない状態に戻ることをひたすら思っても、それは受け身に、ありもしない、でも自分が強く不安として願うと実存してくる「運命」に身を任す、犠牲することと同じだと言えます。
過去・現在・未来という時間の流れを反転するか、今に集約されていると見てください。
不安や恐れは、これまでのパターン・型が「過去→現在→未来」と続くと思っているから、出てくる「根拠」なのです。
その根拠は通常の時間軸の流れにありますが、反転したり、今に集約したりすれば、根拠は揺らぎます。
いい意味で、どうなるかわからない、のです。そんなところなので、占いをしてみても始まりません。
だからこそ、どうするのか、どう意味を考えるのか、自分にテーマが与えられていると見てみましょう。
できることは限らていても、あなたが通常の時間軸に囚われた根拠から導く不安や恐れ、迷いから自分を解放し、未来へ向けた新たな希望、生き方、世界へのよい意味での変貌を創造(想像)していくことで、今この時から、あなたと世界の、まさに「世界線」は変わっていくのです。
一人一人は救済者になれるのです。あなた自身を救えば、それは他人を救うことと同じになります。
そのためには、最初の「どうなる?」という質問から次第に抜けて、どうすればよいか、どう考えればよいか、何を教えてくれているのだろう、何を学ぶのだろう、ここからどう希望とよい変化を見い出せていけるだろう・・・というような質問に進歩させましょう。
これができなくても、「どうすれば自分を助けられるだろう?」でもいいのです。
もっと極端に、「どうすれば助けてもらえるのだろう?」でもいいかもしれません。
一見、依存的ではありますが、つまりこれでも、助けをただ待つ姿勢(得体の知れない運命に任せること)から、助けを求める、協力し合う、解決策が見つかる、他人も助けられる、みたいな、能動的に自力を動かし、他力と合体し、新たなものが生まれる流れになる可能性があるのです。
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