今の世の中と「太陽」のカード

マルセイユタロットで、アルカナナンバー19のカードに「太陽」があります。

太陽と言えば、今話題になっているあの存在の名前の由来にもなっており(苦笑)、去年発生したので、数も19というものがつけられています。

本当に、偶然かこじつけか、天の計画なのか、今はなぜか「太陽」に着目しなければならない情勢になっているわけです。

「太陽」のカードといえば、見ての通り、カードの上部には、まさに燦燦と輝く太陽があり、下部には兄弟にも見え、パートナー同士にも見え、さらには友人や仲間のような同志たちにも見える、双子のような二人組がいます。

この二人組、さきほど、双子のようなと言いましたが、双子というより、自分ともう一人の別の自分と考えることもできるでしょう。

以前にも、もう一人の自分との統合の話は、何度かしたようにも思います。

今、奇しくも世間を騒がせているアレが、偶然にも太陽関連であることをあえてこじつけてみますと、私たちが忘れていた、あるいは心の奥に閉じ込めていた「もう一人の自分」というものに注目せよという暗示なのかもしれません。

例えば、アレによって起こっている不安や恐れ。こういうのも、アレがきっかけではありますが、もしかすると、もともと自分の中にあったものがこれをきっかけに表面化した、あるいは、いずれ対峙しなければならなかったもの早く出てきたといえるのかもしれません。

それも、いわば、押し込めていた(抑圧していた)ほうの、もう一人の自分が担当していたことです。

また、アレによる危機によって、死の裏返しである「生きる」(生)ということを真剣に見つめる人もたくさん出てきているでしょう。

今までは、通常の自分として、ただ何となく生活していた自分、小さな問題や不満のある状態ではあるけれど、それなりに楽しく、何とか日常を平穏に過ごすことのできていた自分、あまり深く考えることもせず、忙しく流されるままに生きてきた自分・・・こういう自分がいながらも、異なる次元と言いますか、無意識や潜在意識のような中では、もう一人の別の自分の存在があったのです。

それに気づいていた人もいますし、気づいていない人もいたでしょう。

でも、気づき始めていた人も多かったと思います。いわゆる「本当(本来)の自分」というものに近い、精神や魂のレベルで考える自分です。

精神(心)の自分の場合は、よく言われるような、本当にやりたいことをしている自分とか、他人や親、社会の期待・評価に迎合する自分ではなくて、自己本来が独立(自立)した時に現れる、まさに本当の気持ちに素直な自分自身という存在と言えます。

低レベルにおいては自我(エゴ)の欲求をかなえたい自分として現れるでしょうが、それも別の自分と言えば別の自分です。ちょっと複雑ではありますが、タロット的に言っても、この低次欲求の自分も、本来自己の種のようなもので、悪いものではないと考えています。

ですが、その欲求のままに表現しようとすると、単純にいえば わがまま、自分勝手な、他人や社会に迷惑な存在となります。

つまりは大人でない自分でもありますが、癒されないインナーチャイルドと関係していることもあり、結局、低次欲求の子供的な自分も、抑圧や無視みたいなところに起因していると考えられ、それを受け入れる、認めるという「太陽」的なものが求められます。

霊的・魂的意味での自分となりますと、単なる欲求のレベルや自分の感情の表出とは別の次元で、本来的自己、魂が満足するものを表現しようとなるでしょう。

いずれにしても、もう一人の自分たちが、普段のあなた、世の中が平穏でいた時にいたあなたとは別に存在し、このような危機的な時に、誰でも多かれ少なかれ、別の自分の存在が顕著に現れてくるのだと言えます。

ところで、タロットでは、「太陽」の前のアルカナナンバー18は「月」のカードです。「月」のカードは、月明かりはあれど、太陽になる前のまだ闇とも言えます。

この闇に隠していた(まぎれていた)、閉じ込めていたものが、「太陽」になって露わになり、迎え入れなければならない状態になるのです。

ここまで、「一人の人間」と、その中に潜むもう一人の自分、及び、普段の自分との話を「太陽」の二人に置き換えて言及しました。

しかし、「太陽」の二人は、必ずしも人物とは限らないと考えますと、別の意味も現れます。

それは、表の社会と裏の社会というふたつとしての見方で、物質的なことが中心の社会と、精神的・霊的なことが中心の社会との二面性、その統合です。

二人(ふたつ)は、実は上空の太陽(神とも言えます)の位置(視点)からは、決して別物のようには見えず、双子のような存在であり、ふたつは結局同じものであるという示唆が見えます。

また、入れ替えと言いますか、物質的なものに価値を置く社会から、霊的なものへの交替が行われているようにも感じます。

ここで、面白いこじ付け的(笑)な数の話を聞きましたので、紹介したいと思います。(タロット関連や太陽神関係は、私が付け加えたものです)

世界の問題のアレですが、これは語呂合わせで567と数で表せます。

これを合計しますと、18になるのです。18は先ほど、タロットのナンバーでは「」であるとも言いました。

それで、「太陽」カードの太陽は、ある意味、太陽神とも言え、古代で信仰されたミトラ神とも関係する可能性があります。

このミトラは諸説ありますが、マイトレーヤ、弥勒菩薩だとも言われます。(阿弥陀如来という話もあります)

弥勒菩薩は369と、語呂合わせの数で示されることがあります。この369も合計すると18です。

タロット的に言えば、「月」から「太陽」に向けて、一人一人がもう一人の、抑圧していたり、忘れられていたりした自分を取り戻し、人類としてもこれまでの価値観で成り立たせてきた世界とは別の、もうひとつの(隠された、封印されてきた)世界を迎え入れることで、新たな次元の世界へと移行するための事件として、今起こっているのではないかと考えられます。

※ちなみに18は、さらに足すと9になり、タロットでは「隠者」として導く者の象徴です。ただ陰謀論などでは、18は、666などで、悪い意味にとらえられることはあります。

グノーシス的に言えば、自身にある神性を回復すればするほど、太陽のように本当の光輝く自分と世界になるのだと言えます。

日本人的な言い方をすれば、おひさま、お天道様にかなう生き方を、一人一人が試されているのかもしれません。

の尊さを思い、自分が押し込めてきたもう一人の自分を思い出し、その自分の存在を表に出す時が来たと言えます。

魂は永遠だとしても、現実世界では限りある命です。永遠の時間と限定的な時間の統合も、「太陽」は意味しているのかもしれません。

そう思うと、誰にために・何のために生きるのか、そして無駄(無為)に生きようとしていないか、それを今一度、思い起こすことだと、私たちは「太陽」から問いかけられているのかもしれません。

あ、それからこれはまた別の時に書きたいですが、「太陽」の二人で、今の自分が逆にいまいちであったり、調子の悪い自分であったりした場合、もう一人の自分は、望ましい自分とか、元気な自分、大丈夫な自分としてイメージできるものであり、鏡を見て自分を励まし、勇気づけるような意味でも、象徴的なカードと言えます。

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