変わりたくても変われない問題
人間の生活は選択の連続だと言います。
毎日、朝から晩まで、食べるものから着るものまで、人はあらゆることを選択し続けます。
それが習慣的になっていて、選択の意識はないのかもしれませんが、たとえ毎日同じことの繰り返しであっても、同じことを“選んでいる”ことには違いないのです。
ここに、選択による人生の違いを生み出すヒントがあります。
現状に何か不満があって、向上や違い・変化を求めている場合、それは昨日(今まで)と同じ選択ではいけないわけです。
当たり前のような話ですが、同じ選択をするということは、同じことを起こすことや、同じような状態を保ちたいからであり、それが無意識であれ、自分は同じ毎日を繰り返したい(変化したくない)と、心のどこか、あるいは自分の中のもうひとりの自分が望んでいるためだと考えられます。
例えば、命の危険など、本当に自分に危機が訪れた場合、このままでマズイぞと、何らかの違う対処や行動をするでしょう。
ということで、変わりたいと思っても同じことを繰り返している場合、変わりたい意識<同じでいたい意識と、右側が勝っている状態だと推測されます。
なぜ同じ状態の継続のほうが意識的に上回っているのか、これを分析すれば、意外と自分の変われない要因というものが明らかになるかもしれません。
まあたいていは、今、本当には困っていないから、改革するのは面倒でエネルギーを消耗したくないからというのが、結構、理由としてあります。
パートナーを持ちたい、結婚したいけどできない、別れたいけど別れられない、売上を上げたいけど上げられない、仕事を変わりたいけど変われない、独立したいけどできない、親と離れたいけれど離れられない・・・こういう悩みは実際に多いですし、タロットの相談でもよくあるものです。
これらには、現実的・実際的な理由とは別に、心理的・無意識的な理由があります。
しかし現実的な理由も、結局は心理的な理由に行きつくことが多いです。
要は不安との戦い、あるいは何かしらのメリットを得続けるため、保身のための弁解・理屈づけということがあるのです。
たとえ話をしますが、深い峡谷にかかっている、向こう岸に渡るための橋があるとします。こちら側は森になっていて、そこからあなたは来たのですが、向こうに渡る目的は、森の中に猛獣がいて、いつあなたを襲うかわからないため、向こうの土地に渡りたいと思っています。
ただ橋はボロボロで、今にも崩れ堕ちそうです。ぼやぼやしていると渡ることができなくなるかもしれません。
かと言って、このままま渡らずにいれば、いつか猛獣が襲って来る危険性もあります。どうしたものか、足が震え、結局、立ち止まったままです。
ここで、もしかすると猛獣はもう誰かの手によって倒されたかもしれないとか、そんなに猛獣は数としては少ないのたから、ここまで来ないかもしれないとか、何とか橋を渡らずとも逃げられるかしれないとか、そもそも猛獣がいるというのは思い込み(笑)だとか、今自分がピンチにいるからこそ(か弱い者だからこそ)、王子様とか戦士が現れて助けてくれるかもしれないとか・・・いろいろと自分の都合のよいことを考え、橋を渡る恐怖から逃れようとします。
森や猛獣はあなたが実際に見てきた、経験してきたことなので、たとえ恐怖であっても、まだなじみというか、理解ができますが、橋を渡ることは未知で、まだ経験していないわけですから、想像の域でしかありません。
すると、怖いこと、マズイ状況であったとしても、橋を渡るイメージ上の恐怖と比べればましだと考えて、渡らない選択のままに固定されることもあるわけです。
ここで、橋をきちんと冷静になって調べて、重さに耐えられそうだと判断できたり、橋ほ補強する何かの方法とかツールが発見できたりすれば、渡ることの現実性・リアリティも出てきます。また他人の助け(たとえば、向こう側の人が現れるなど)があれば、なおさら可能性は高まります。
新しい世界に移行することは、マルセイユタロットでは、「愚者「と「世界」でもっとも象徴されますが、総じて人物が右側に視線を持つカードが関係してきます。
それらのカードは、新しい次元や世界を拓くための象徴的意味合い、示唆が図像にこめられています。しかし、それら単体だけではなく、いわば、「愚者」と「世界」のセットのように、人物の視線も右と左のものが相まって、移行の確実さを表現します。
それはそれとして、結局、望みたい方向に行くためには、自分におけるメリットの天秤が入れ替わる必要性があるわけです。
簡単に言えば、現状以上のメリットが、選択する将来のものとして、特に心理的に見えてくるかどうかにかかっていると言えます。
逆に言えば、(望む)新しい方向や世界に行きたいのであれば、そちら側に行った時の具体的メリットが、現状を超える形、あるいは今受けているメリットを捨ててもいいと思える替わりになるものがあればよいことになります。
現状を超えるメリットは、たいてい変わりたい方向性には明確に見えているわけですが、それを実現するには努力とか恐怖とか不安、茨の道も想像できるので、橋のたとえ話のように、向こう岸(新しい世界)へ渡れなくなるわけです。
今の状態は不満で嫌だけれども、怖いことになるのなら、苦しいことになるのなら、まだ今のほうがましだとなって、踏み出させない選択をしてしまいます。
ですから、選択したい将来像への恐怖や不安を軽減していく、移行ステップ、アドバイスがあればよいことになります。「こうしていけば、そんなに怖さを感じなくても進めるよ」みたいなことです。
これは自分一人ではできないことが多いので、向こうの世界(自分の望む世界)にいる人、向こうを経験した人、向こうの常識を知っている人などに、助けてもらうとよいです。(手を引いてもらう、実は「愚者のカードにも犬がいて、一人ではないことが示されています)
もうひとつは、時間・スパンを長期にして選択を見直す、あるいは、地上意識(実際的な損得、非難賞賛から来る不安・恐れ)ではなく、天上意識から見直すという方法があります。
前者は、言ってみれば長い目で見る、一生から見るようなことで、後者は、神とか天からの目線で見るみたいなことです。
すると、どちらでもないとか、何を選んでも結局同じ(何を選んでも選ばなくてもよい)ではないかというインスピレーションが起きてきます。
タロットでいえば、四大元素・4組に分かれている小アルカナの世界から、それらを統合した大アルカナの世界に上昇するような視点です。(大アルカナにもレベルの区別はありますが)
結果に固執するか、経験を楽しむかみたいなものと言い換えてもいいかもしれません。
究極的には、一人一人の人生ですから、他人や世間のことより、自分が何がしたいのか、何を大切にするのかで、選択も決まってくるでしょうし、たとえ迷いに迷って決められなくても、天上的視点から見れば、その迷いこそがすでに選択であるという話もあるのです。それは「恋人」カードにも描かれている通りです。
選択には直感を信じるとか、本当の自分と会話するとか、いろいろとスピリチュアル的に、よい選択のやり方が言われますが、それらの方法は、実はなかなか漠然としてわかりづらいこともあります。
現実生活の場面、仕事や営利的なことでは、確かに選択の正解、間違いというレベルはあります。
ただし、それも天上的な意味では、間違いも正解もなく、また、エゴに従ったから悪いとか、直感や本当の自分の選択だったからよいとか、これさえも、別の視点からすると、そうとも言えないかもしれないのです。
ですから、いろいろと迷い、悩みつつ、自分なりに努力したり、情報を集めたり、学んだりしつつ、それでもわからなければ、まさ神にお任せでははないですが、なるようになる、迷いや間違いも「経験としての選択をしている」という感じで、選んだことに後悔しないようにだけすれば、案外と人生、うまく行く(そんなに悩まない)のでないかと思います。
本当に変わらなければならない人は、自分の意識にも変化が出てきますし、変化の必要性があるのに無理に留まっている場合は、環境的・肉体的に、強制的変化が要請されて実際に起きることが多いので、宇宙の調和・調整機能は普遍的なのだと気づかされます。
そして、変わらない選択をするのも、またあなたの選択のひとつで、それはそれでいいも悪いもないのかもしれません。
人は変われたようでも、実は何一つ変わっていない、本当の意味では変われないのだという説もあるくらいですから、変わることへの思いも強すぎると執着になるので、自然に任せるのもありでしょう。
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