三つの分野の成長性
3年前の同時期の記事ですが、ちょうど最近思っていたことが、すでに記事にあって、驚きました。(ちなみに私は、書いたことはほとんど忘れています(苦笑))
この記事でもふれていますが、マルセイユタロットの絵図にも示されているように、人の統合的(総合的)な成長は、大きく分けると、三つの分野にわたって行われていくと考えられます。
まず、私たちは現実的に様々な体験・経験をするわけですが、それは事実と客観データとして蓄積され、脳とか、どこかに記録されています。
しかし、その体験をどう解釈するか、どう思うのか、どう受け止めるのかは、一人一人異なってきます。
同じ学校・クラス、会社・組織に属し、同じ一年を過ごしながら、それぞれまったく違う思いを持っているように、個人の印象、解釈におけるデータはまた別です。
さらに、その個人データを凌駕するかのように、全体的・統合的・魂的なデータや見方もあると考えられます。これは宗教的に言えば、神の目線、神の思し召しみたいなものです。私たち(の魂)には、これも内包されていると考えられます。
最初の現実の経験によるデータも大事です。これがそもそもないと始まらず、分析も解釈も刺激も起きないと言えます。人生ゲームの舞台や装置のようなものです。
次に、個人個人のデータ・解釈ですが、これは心や精神の問題ともつながるでしょう。ここを操作することで、実際の出来事の意味、以降の受け止め方も変わるのです。ゲームでは個々の能力や特殊アイテムみたいなものに相当するかもしれません。
しかしながら、最終的には、統合的・全体的・魂的なレベルのデータ・視点があり、私たちの成長は、そのレベルに至ることで、本当の意味と成長を実感できようになっているのでしょう。
言ってみれば、ゲームそのものを見る視点、ゲームからはずれた外の世界からの視野という感じです。
最初から全体的視点で見ても、面白くはありません。例えば、すばらしいゲーム・イベントが用意されていても、それに参加しないという感じでしょうか。
イベントに参加することで、嫌なこともよいこともそこで経験して、そのうえで元の場所に戻ってきた時、現実の世界でも旅をして帰ってきた場合のように、自分の変化や成長は実感できることでしょう。
スピリチュアルに興味のある人は、最初から全体的視点を獲得しようとする人がいますが、それではプロセスを飛ばしているようなもの、あるいは、避けているようなものと言えます。
現実(実際・物質)→精神(心)→霊(魂)と、関心や深さを進めて行き、しかも同時進行的にも見ることで、三つ(分野)の統合もうまく行くのでないかと思います。
面白いことに、現実データ視点と魂データ視点は一見全く違うようですが、普遍性・客観性では似ているところがあり、一方個人のデータ・個人の心の世界は特別であり、主観です。
このことは、現実から逃げる意味でも、また現実を大切にする意味でも、とても重要だと思いますが、今日はこのあたりにしておきす。
言いたいことは、下記の記事の内容で、それを今の私の視点から、ちょっと補足的に書き足してみたのが、今日の記事というわけです。
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