数の情報で得るタロットの関係性

マルセイユタロットでは、数も無視できない情報です。

というより、かなり数はタロットに深く関わっているものと言えます。

ですが、ここでも何度か書いたことがありますが、タロットはあくまで図像がメインのものですから、数秘術的なものを中心にタロットを見てしまうと、それこそ、数秘術の補助の位置にタロットがなってしまいます。

もっとも、数秘術を中心としてリーディングや鑑定を行っている人の場合はそれでいいわけです。

しかし「自分はタロットが中心」「タロットリーダーである」と考えている人は、数はタロットを構成するひとつの要素であると見て、タロットの図像をメインとした情報・解読の取り扱いをしたほうがいいかと、個人的には思います。

さて、そうは言っても、最初に書いたように、数とタロットとの関係はなかなか強いものがあります。

数の観点から、タロットの、特に出た展開のカードのつながりを発見することは楽しいものですし、意外な情報や示唆を与えてくれるものです。時にはリーディングの重要な手がかり、理由の根拠になることもあります。

今日は、そんな数のつながりで見るタロットの話です。

マルセイユタロットの大アルカナは22枚ありますが、これを、「ある数によって分けるやり方」がいろいろとあります。

マルセイユタロットを研究するカルト映画監督の巨匠、アレハンドロ・ホドロフスキー氏は、その著書でも、大アルカナを「10」をベースにした数で分ける(分けつつも統合した見方の)方法を語っています。

それによりますと、アルカナナンバー「1」のカードから「10」のカード(「手品師」から「運命の輪」)と、「11」から「20」のカード(「力」から「審判」)のグループに分け、それらがコンセプトには同じながらも、レベルや階層の違いをもって二段組で構成されるとする見方が提示されています。

なお数を持たない「愚者」と、「21」という数はありますが、完成や完全性を意味する「世界」のカードは、ある意味、数を超越したものとみなし、このふたつのグループからは、はずれることになります。(はずれはしますが、全体像からは、重要な役割や意味を持つことになります)

そうすると、結局、「1」から「10」までの数をベースにした二組ができ、その同じ数を持つカード同士の関係性が強調されることになってきます。

つまり、1には11、2には12、3には13・・・という具合です。

数秘的にも一桁の数は重要で、すべての数の核となるものと言えますが、ここに二桁の数「10」を加えることで、一桁的には「10」も、いわば「1」(1+0=1)と言えますから、数的には、元型的な一桁の数に、レベルや表現の違う二種類の「1」を加えることで、理想や想念の世界とも言えるもの(言い換えればイデア)から、現実的・具合的な次元へとシフトさせる意味も包含させていると考えられます。

大アルカナ自体は、元型的世界を描くものと想定されますが、大アルカナを「10」の数世界で分類していくことにより、現実的な分野にまで範囲を下ろしていく見方もできるわけです。

普通は、小アルカナで現実次元を象徴させるものではありますが(それゆえに小アルカナ数カードは10枚ずつのグループになっています)、大アルカナはすべてを表現できるものでもありますので、こうした「10」でのくくり方は興味深いと言えます。

さて、ここで、「10」枚ずつのグルーピングをした大アルカナに対して、どちらのグループが理想・想念的か、逆に現実的・具体的であるかですが、「10」の数を採用していることから、どちらも現実性は含まれると見ていいかもしれません。

しかし強いていえば、やはり、数の多いほうのグループ、「11」から「20」の10まとまとりのほうが総じて解釈が難しく、イデアや想念、抽象的と言えるのではないでしょうか。

ですから、「11」から「20」のそれぞれが、同じ一桁の数を持つカードたちによって現実化されるという見方もできます。反対に、「1」から「10」のカードたちは、「11」から「20」のグループによって、秘密が開示され、解放されて、より高みや深みに導かれると考えることもできるでしょう。

ここに例として、「8」という数で見た場合の、10グループの二枚を見てみます。つまり、「正義」と「月」で、8と18の「8」つながりカード同士ということになります。

「正義」と「月」、見比べると、まるで違う(意味の)カードたちに思えます。数をベースにしないと、この二枚は無関係にさえ感じられます。

しかし、よく観察してみると、「正義」には天秤があり、「月」には二匹の犬のような動物がいて、吠えあってます。

ふたつのもののつり合い、関係性と見れば、天秤も犬も何やら似たような意味も見えてきそうです。と、同時に、「正義」には剣があり、「月」にはそのような鋭いものはほぼなく、曖昧模糊とした図像になっていて、両者には、かなり異質性が見えます。

ですが、「月」にはザリガニのようなものもいて、はさみを持っています。二枚はまったく違うようでいて、よく探せば、似た部分もあるのがわかります。

「正義」の天秤で見ると、何かを測り、つり合い・バランスを取ると思え、一方の月の犬たちは、つり合いというより、向き合い、吠えあって、何かを訴えているようにも見え、ただ、二匹は二匹で、片方だけではない、二匹なりのバランス関係にあるとも言えるかもしれません。

言ってみれは同じバランスを見ても、「正義」と「月」のそれでは性質が異なり、しかしながら、バランスという意味においては同じコンセプトもあるとわかるのです。

またカード的にも、「正義」できちっとしたものが、「月」ではぼやっとしたものに変わっていて、「正義」の囚われは「月」によって解放され、逆に、「月」の不確かさは、「正義」のルールによって明確化します。

こうして見ていくと、「正義」と「月」は、(ほかにも)何かしらの共通したものがあり、それはなかなか無造作に絵柄だけを見ていたり、意味だけを覚えていたりしていても気づくことは難しいものかもしれませんが、「8」という数において関係している二枚だと最初から見て行けば、その発見が早くなる可能性が高まります。

さらにその発見した共通点が、「8」の数秘的な意味と関連していることにも、気づくかもしれません。

そうやってタロット全体(一組)に思いを馳せれば、マルセイユタロットの精緻な構成、合理性、整合性の感応に至り、つまるところ、宇宙のモデルとしてタロットができていること、逆に言えば、宇宙はオーガナイズされた数的にも美しい世界であることがわかってくるように思います。

皆さんなりに、「10」をひとまとりにした分け方で、一度、大アルカナを考察してみることをお勧めします。

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