過去を受けれ入れること

タロット占いでは、質問者が、未来の、特に選択事項に関心があることが多いため、時系列的に過去を象徴する位置のカードを引いたとしても、「こういうことがありましたね」みたいな確認に留まり、あまり深く読むことは少ないのではないかと思います。

もし占い的な意味があるとすれば、当たる当たらないの目安として、過去が当たっていると確認できることが一番大きい理由になりそうです。

過去が当っているのなら、未来もまた当たる(当たっている)だろうというわけです。

しかし、私たちが行い、講座でも提供しているのは、“タロットリーディング”であって、“タロット占い”ではありません。

採用しているスプレッド、並べ方も、過去の位置に一枚だけおくようなものではないので、過去を読むにしても、単純なことだけには終わらないのです。(シンプルなケースも場合によってはありますが)

タロットリーディングにおいては、過去を読む理由は、占いのように、過去が当たっているかどうかとか、ただあったことを確認するためだけとは限らず、もっと別の意味と目的があります。

それは講座において論理的に説明していますが、簡単に言えば、過去はたとえ事実であっても、当人の解釈によって起こった事象は変わるからだと言っておきましょう。

もうひとつ加えるならば、人は時間に支配されている部分と、支配されていない部分があり、その両方をタロットは扱うことができるため、過去というひとつの時系列を見るのは、いろいろな意味で重要だからです。

ところで、最近、ネットである記事を見ました。

それは、とある方面では名の知れた人の話で、自分には才能があり、その才能を活かしたものに進む予定ではあったものの、周囲からの勧めで、あるオーディションを受けることになり、合格して、その方面での活躍は一時的にはできたものの、世間からはその方面での人物とレッテルが貼られ、本当にしたいこと、目指していたことができなくなり、長年、悔やんでいるというものでした。

自分には開花すべき才能があり、本来はそれで認められ、活躍するはずだったものが、あらぬ方向に回されたため、道を間違え、自分の才能を活かすことができなかった、あの時、自分の意思を貫いていれば今の悩む自分はない・・・と何十年も後悔し続けているというお話でした。

これを読んで、いろいろと思うところがありました。

まず、よく最近、言われるように、自分の本当の気持ちとか、自分のしたいことに向き合うという大切さです。

やはり、自分に嘘をついて、だましだましの選択とか行動をしていると、いつか後悔することになって、重荷を背負い、たとえ物質的には成功しても、心や魂の安寧は訪れないのかもしれないという点。

ただし、これは、だから自分の本当にしたいことは必ずやったほうがいいということを述べたいわけではありません。

大切なのは、自分の気持ちに対しての正直さ・誠実さであり、その気持ちを抑圧したり、ごまかし続けたりすることへの懸念です。

自分のしたいままに、自由に望み通りの人生を送り続けられる人はそうはいないでしょう。

やりたいことができなかったり、、逆にやりたくないことをやらされたりすることは、普通にあることです。ですから、ライトスピリチュアルのような、気軽に、「自分の本当にしたいことをやれば幸せになれる」と簡単には言いません。

ですが、自分の気持ちを大切にしないことと、本当にしたいことがやれないのは別です。

自分の気持ちは受け入れ、認めたうえで、現実といかに調整し、向き合っていくかというところなのです。

人生に葛藤は当たり前で、それでも、自分の気持ちは無視しない、抑圧しない方法を考えようというわけです。

そして、もうひとつは、自分の過去(選択したこと、起きてしまったこと)を受け入れられないと、つらい人生になってしまうことです。

ここが、最初に書いたように、タロットにおいては、過去をリーディングすることにつながってきます。

一言で言えば、自分の過去に感謝できるかどうかになります。

感謝まで行かなくても、実はそれほど思ったより悪い選択(過去)ではなかったと、自分の過去を受け入れることができれば、今の自分は間違いなく変わるでしょう。

すべてを受け入れることは難しくても、一番重荷だと感じ、葛藤し続けていることに対して、感情的エネルギーを変換できれば、かなり違ってくるわけです。

人や周りの環境・社会のせいではなく、よい意味で自己責任(ただしこれは自分に罪がある、すべては自分が悪いというのとはまるで違います)であることを認めていくことになります。

あと、「あの時、こうしていれば今の(不幸な)自分はないはず」と後悔する人もいますが、()の部分をそのまま(幸せな)に換えれば、真逆のことにもなってきます。

つまり、今の幸不幸の原因を過去に帰することは、必ずしもできないということです。

まさに、マルセイユタロットの「運命の輪」の中の動物たちのようなものです。幸不幸がクルクルと入れ替わるように、いいと思うようなことでも、実は悪いことの始まりであったり、そのまた逆の、悪いと思う状況が、いいことのきっかけになったりもします。

誰も、あの時の選択が本当の意味で間違いなのか正しいのかなど、わからないのです。もしかすると、正しいと思っていた選択肢が、今よりも不幸と思えるような結果になっていたかもしれません。

時系列として、自分か現在にいるから、過去の意味が決定しているだけであって、過去(の意味を)決めているの自分自身なのです。

現実の時空間の中では、確かに成功や失敗、間違いと正解というのも、一般認識ではあるでしょう。

しかし、私たちの本当の意識(自己)は、制約ある時空間の外に存在していると言われます。

ならば、本来の自己から見て、間違いも正しいもなく、すべてエンターテイメントな経験であるとみなすことができ、それならば、マイナスと思えるようなことであっても、ドラマがあったほうがむしろ面白いかもしれないのです。

事例にあげた、とある方は、もしセラピーのようなものを受け、過去の自分を本当の意味で受け入れることができれば、過去、間違ったと思っていた選択が、実はすばらしいものであったこと、それによって得た財産(物質・精神ともに)が、不幸だと思っていたことと同等くらいにあったことに気付くでしょう。

すると、時間の流れとしては変わらないものの、この方にとっての過去・現在、そして未来さえも、一気によいものに変わる可能性が高いです。

過去・現在・未来が変わるということは、これすなわち、人生そのものが変わることと同意義です。

後悔を語る人は、それを聞かされ続ける人にもつらいわけで、場合によっては、過去にその人と関わった人に嫌な印象を与えているどころか、その人たちの過去自体も暗いものになっている(させている)おそれもあります。

ですが、過去の認識が変わった人であれば、今度は周囲の人を明るくし、気持ちのよい状態にすることができます。そして、自分と過去に関わった人の記憶も変え、その人たちの人生の意味もまた変えて行きます。

ということは、過去を受け入れた人の囲む宇宙そのものが肯定的になり、その人を支えていくことになるわけです。

しかしながら、当人しかわからない苦しみ、悩み、葛藤はあります。他人事だから、簡単に言えますが、長い間苦しみ続けるには、それだけのこだわり、強い思いがあるわけです。

そうしたご本人の苦しみに配慮することも、人として大事かと思います。

人間、年を取ってきますと、それだけ過去が積み重なってきているわけですから、簡単にはいかないこともあるでしょう。

それでも、後悔した人生で終わるより、霊的にも、とにかく生き切り、自分の人生にそれなりの意味を見出し、心を軽くして、現実界を旅立ったほうがよいように思います。

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