生きづらさの原因

この世に対して、生きづらいと感じている人は、少なくないのではないかと思います。

実は私もそうなのです。

生きづらさを、もし他人に対して述べると、たぶん、いろいろと慰めてくれたり、この世は捨てたもんじゃないよとか、励まされたりするのではないでしょうか。

まあ、人によっては、「そんなことどうでもいいじゃないか」「つべこべ考えず、働け、ただ生きろ」と言われるかもしれません。(苦笑)

そして、たいていはカウンセリングとか、心理療法、自己分析、自己探求の学び、セルフケアーみたいな方向性に向かいます。

そのことでおそらく、ほとんどの人は、自分の生きづらさの原因がこれだったのだとか、こうすればましになるというものに行き当たるとは思います。

しかし・・・です。

それでも、何か、どこか、やはり生きづらさを感じている・・・何らかのおかしさ、違和感のようなものをずっと覚えている。。。

こういう人もいるのではないでしょうか。

つまりは、心理的要因や療法だけでは完全に納得できない、すっきりしないところがあるわけです。(この場合、外側の環境要因については理解している、あるいは改善、克服しているとしたうえでの話です)

すると、結局、行きつく先は、スピリチュアルの領域、霊的な分野になってくるように思います。

逆に言えば、人は、大きく分けると、肉体的・環境的レベル、精神的・心理的レベル、霊的・スピリットレベルで生きていると言えます。

このようなことは、グノーシス思想では、すでに数千年も前から語られていることでもありますし、スピリチュアルに興味のある方ならば、人の体や意識の領域が、数段にわたって多重性をもっていることは、半ば常識でもあります。

ということで、本当に生きづらさを解消するには、自分の意識の多重性について気づき、それぞれにおいて、受容・ケアー・解放していくことが必要なのだと考えられます。

が、今日は難しい話ではなく、物語・メルヘン風に、生きづらさの解消について考えてみたいと思います。

それには、ズバリ、この世を仮想現実の世界として見ることが、まずあげられます。

その前提であるとすると、大きくわけて、生きづらさについて、ふたつの解決方法が考えられます。

●ひとつは、仮想現実社会をゲームとして楽しむこと。

●もうひとつは、仮想現実世界からの脱出を目指すこと。(覚醒、ゲームからのログアウト)

いや、そもそもこの世を仮想現実の世界と設定するのがおかしいのではないかと思うかもしれませんが、あくまで「生きづらさ」を感じている人に焦点を当てているので、その場合、この世が本当にひとつだけの現実であり、動かしようがない、変えようがない世界だとしてしまうと、救いの道が閉ざされてしまうから、仮想現実の世界としておいたほうがいいのです。

この世が仮想現実、つまりはバーチャルリアリティの世界だというのは、今ではよく言われるようになっており、SF映画やアニメの世界では、非常によく見られるもので、人気の設定になっています。

それが本当かどうかというよりも、そういう考えを受け入れることで、生きづらさを感じている人には、実は一筋の光明となる可能性があり、その意味で、この世が仮想現実であると、とりあえず設定しておくわけです。

そして、仮にそうだとしても、やはり生きづらさは自分としては感じているので、それをどうするかということになります。

すると、さっきの二通りの道が出てくるわけです。

しょせん、この世はゲームの世界だから、割り切って、楽しんだり、経験したりしよう、生きづらさも何も、ゲームのキャラだったら感じて当然であるし、それが本質的(キャラを動かしている本当の自分)には実は問題ではない(生きづらさは本質にはなく、仮想現実のキャラと世界だけにある)ということになります。

そうは言っても、なかなか割り切れないですし、この世はあまりにリアル過ぎて、つらいし、痛いし、苦しいし、仮にアバターである自分であっても、生きづらさを味わうのは苦しいということもあります。

ゲームであっても、ゲームにのめり込んでいる自分としては、ゲームの自分と本質の自分とが一体化していしまい、仮想そのものが、もはや真の現実と区別がつかなくなってしまっていることも考えらます。と言うより、ほとんどの人はそうです。

従って、自分がゲームの仮想世界にいることを思い出し、本当の自分に戻る方法を取っていくことが求められます。

一部の人には楽しいゲームかもしれませんが、生きづらさを感じている人には、そもそもゲーム設定が間違っていて、ひどいくそゲー(笑)を選んでしまった、あるいは難し過ぎるゲームに手を出してしまった・・・ということになり、言ってみれば、ゲームと言うより、ギャンブルをやっているようなもので、間違った楽しみを選択したおそれもあるわけです。

だからこそ、一刻も早く、このゲームからログアウトし、本質の自分に戻るか、別の(真実の)自分が本当に楽しむことのできるゲームをやるほうが、生きづらさから逃れるためにはよいと言えます。

ほかの方法としては、「いやいや、なかなかこのゲームはやり方やコツさえ覚えれば、楽しめるものなんだよ」と、ゲームの達人から教えてもらうのもありかもしれません。

では、ゲームから脱出するにはどうすればいいか?

という大問題(苦笑)があるのですが、これこそが、古代から連綿と続く、秘儀や密儀としての教えであり、一部には宗教の形で伝えられているものなのです。

もちろん、現代的な方法もいろいろと探索されており、様々な方が、いろいろな方法で研究、実践されているところと言えましょう。

マルセイユタロットも、大アルカナは、この脱出を目指す方法の絵図であり、小アルカナはゲームを楽しむほうを示していると言えます。(しかし、その逆の考え方もあり得ます)

脱出・ログアウトの道はかなり難しいかもしれず、たいていは、仮想現実世界としてのゲームを楽しむ、充実させるほうを選択してしまいます。確かにそのほうが、別の意味で現実的です。

ただ、これからの時代は、個別ではなく、全体として「皆さん、そろそろログアウトしませんか?」という問いかけと言いますか、お知らせがゲーム主催側から言われている(マルセイユタロットでは「審判」のラッパのようなもの)ように思います。

このゲームにしがついている時代は、終わりを迎えようとしているのかしもれません。

もしかすると、そうやって、私たちはいくつものゲームを乗り換え、遊んできた可能性もあります。

いわゆる天使とか、宇宙人とか、次元上昇した人など、ライトスピ系で言われる高次の存在は、そのように、多くのゲームを経験し、クリアーしたり、卒業してきたりした方々かもしれません。

その人たちはその人たちのレベルで、また高度なゲームにチャレンジしているのでしょう。その中には、私たちのゲームに入り込むような設定のものもありそうです。

まあ、とにかく、生きづらさを感じている人には、あなただけのせいではないですし、心理的問題だけとも限らないのですよ、ということが言いたいわけです。

人のせいとか世のせいにしてはいけないと多くの人は言いますが、本当にそうなのか?この世界の設定そのものが、どこかおかしいのではないか、と疑ってみると、生きづらさ自体は感じでも、案外、これまでよりかは楽になれることもあるので、お話したまでです。

もっと言うと、生きている価値がないと思う人は、それはその通りですよという、普通ではありえないアドバイスもできます。(笑)

これはあなた自身に生きる価値がないと言っているのではなく、こんな世の中、ゲームの世界なので、生きるも死ぬも、仮想の設定であり、価値そのものは、ゲーム体験自体でのものなので、本質のあなたとは無関係であるという意味で述べているのです。

だから「生きているだけで価値がある」というのも、この視点からすれば、ゲームに参加していることそのものに価値があることで、なかなか体験できるゲームではなく、それゆえ、ゲームキャラが簡単に終わりになってしまってはもったいないので、生きている(ゲームにログインしている)だけでも、それはすごいことに値しますよ、とも解説できるのです。

とは言え、もう飽きた、このゲームはそもそも嫌てす、という人もいるわけで、それが生きづらさの本当の理由である場合も、もしかするとあるかもね(笑)、みたいな話なのです。

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