小アルカナ的人間関係の問題と解決

前回のコメント企画、ご協力いただきありがとうございました。

これは、私の中で、小アルカナと大アルカナの使い方を検討する意味で、少し皆さまに、試していただいた次第です。

今回の意図や詳しいことは、私の生徒さんのZoom勉強会やメルマガでお話したいと思います。

一般的にマルセイユタロットを扱う方の場合、どうしても、その絵柄の違いから、大アルカナだけを使うことが多く、小アルカナの活用がおざなりになってしまう傾向があります。

何事も、使えば使うほどなじんできますし、反対に、使わなければ、いつまでたっても疎遠な存在になります。

小アルカナに関しては、食べず嫌いのところが、多分にマルセイユタロット使いの人には多いのかもしれません。

しかしながら、そもそも使い方を説明されないと、どうしていいのかもわからないのが実情だと思います。

私も、自分がタロットを習った時は、ほとんど小アルカナのことは説明されませんでしたが、今は自分なりに研究と実践を進め、おそらく、ほかのところでは言われていない活用法や考え方を開発してきました。

私の生徒さんで、ほかでマルセイユタロットを学ばれた方でも、初めて小アルカナの有意義な活用法を知る人もおり、それは非常にシンプルな方法なのですが、知っているのと知らないとでは、かなり実用度においても異なるところです。

そして、活用法とは、それが生まれた原理や背景をきちんと知っておかなければ、本当の意味では、使いこなせません。なぜそれが言えるのか、そう使うことができるのかの理由です

技術だけをただ教えられても、応用度が低くなります。学ぶ側は、先生のコピーであってはならないのです。

さて、今回のコメント企画では、比較的人間関係に悩んでいる方が多くいらっしゃったように感じました。

そこで、小アルカナの基本である4組をベースにした、人間関係についての処理とか扱い方について、簡単に記したいと思います。

小アルカナの4組とは、すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コイン)と呼ばれるスート(組)のことで、それはもとは四大元素という、世界を構成していると考えられる要素として見る西洋の古代概念です。

この4組の応用範囲はなかなかすばらしく、古代思想とはいえ、さすがによく練られている象徴概念だと、タロットを使っていると感じます。

それで、人間関係の問題と解決にも、この4組で、とらえたり分類したりすることが可能です。

詳しく説明すると長くなるので、ここでは簡単なことだけ言いますね。

●剣 考え方を変える 関係を断ち切る 離れる 環境を変える ルールを作る

●杯 思い方(感情・トラウマなど)を変える、浄化する、 人間味のつきあいをする

●杖 使命や目的の見地からつきあう、行動を変える、相手に仕事(役割)を与える

●玉 仕事やお金のためと割り切る 自分を守る 金銭や利害を調整する

人間関係の問題は、主に、自分でどうにかできる部分と、他人や外部からの助力を必要とする場合、もうひとつの分け方は、自分の思考や感情の中での問題と、明らかに客観的に見ても相手にも問題や否があるというケースがあります。

これらも4組で分類が可能であり、錬金術(現代的なお金を生み出す意味ではなく、古代中世の四大元素の性質を見る意味)的な応用から、4組の組み合わせ(相性や反発性)を検討することもできます。

まあ、自分がその人と付き合わないように移動したり、引っ越ししたり、関係を断ち切れたりすればよいのですが、職場が同じだとか、友人として関係を続けたい(修復したい)、事情があって割り切れない・・・などがある場合は、結局、相手自身をなかなか変えることはできませんから、自分の思考や感情を変えるか、行動・環境を何らかの形で変えるかでないと難しい場合があります。

まあ、しかし、タモリさんではありませんが(笑)、友達なんかいなくても生きていけるわけで、いい意味で自分中心、エゴイスティックになったほうが、結果的には相手も自分も楽になることが多い気がします。

誰しもがペルソナ、社会的、場面的役割をもって、自覚・無自覚において、いわば演じているわけで、夫婦関係や恋人関係ですら、お互いがそういう役割になっているわけです。

つまりは、真の自分など、どこにも現実的生活の中にはいないわけで、そうであるならば、助け合える人、比較的わかりあえ人は、それはそれでそういう役割同士の関係だと見て楽しくつきあえばいいですし、逆に嫌なやつ、面倒な人、攻撃してくるような人は、これまた、そういう役割の人と割り切って(自分が嫌ったり、避けたりして)考えることもできます。(真の人間同士としてのつきあいではないから)

ですから、相手との関係における「自分自身の役割」も、その人と関係してしまう役から、ほとんど関係しない役にするとかで、自分の心の中では決められるわけです。

そんなことでは問題は解決しないかもしれませんが、相手を憎んだり、自分を卑下したりせず、心の中でお互いの役を変えて、相手を飛ばしてしまうイメージでも持ち続けていれば、現実の関係性が変化することもあり得ます。

要は、相手を意識し過ぎると、それだけ強く自分の中で存在と役割が刻印されていくので、ますますその悪い関係性が固定されるという悪循環に陥ります。

自分に向かってくる意識ではなく、自分から離れてしまう意識やイメージ(願望や祈りにしてしまうと、また意識が強まるので、ゲーム的な方法がよいかと思います)を持つほうが、実際的にはいいのだ考えられるわけです。

うつ病になった私が言うのもあれですが、たとえ人に嫌われても、最終的には自分を守り、自分を大切にしたほうがよいと思います。

自分が壊れてしまえば、その回復に多大な時間を要しますし、もしいじめている相手からすれば、それこそ思うつぼと言いますか、悪い相手を守ったところで、あなたには何の恩恵もないのが普通です。

自分さえつぶれていなければ、人間関係など、別の人とまた新たに結ぶこともできますし、あなたと相性のいい人とか、理解してもらえる人とかと出会う可能性もあります。

魂は永遠ですが、今の人格、人間としては有限の時間の中に生きています。

限られた時間は貴重であり、できれば幸せに、あるいは自分が楽に、思うように生きたいものですよね。その決断を、ただあなたがすればよいのです。※不幸や困難をあえて選択する生き方もありますし、それは自由ですが。(苦笑)

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