「運命の輪」から見る、それぞれの視点
マルセイユタロットに「運命の輪」というカードがあります。
このカードは、マルセイユタロット以前の古いタロットカードにも、同じようなモチーフのカードがあり、かなり昔から、西洋では共有されている「運命」というものの象徴表現ではないかと考えられます。
まさに、人が思う運命というものは、「運命の輪」の絵が示すように、回転している様、回っている何かに乗せられているような感じでイメージされたのでしょう。
そう思うと、運命というものは、私たちをグルグル回転させる何かなのかもしれません。
また面白いことに、輪は人為的な機械・マシーンとも言え、マルセイユタロットでは、その輪には、人ではなく動物のようなものが描かれています。
ということは、運命に振り回されているのは、人ではなく、動物ということになり、これを逆に解釈すれば、私たちは動物状態になっている時は、運命に振り回され、操られる存在であると言い換えることもできます。
そして、運命というものは、何か私たちは神のような、生命的で意図や意味があるような印象も受けますが、カードから見る限り、それはマシーンで機械的なものであり、さらには一定のリズム(回転)で動いているものと解釈することもできます。
「運命の輪」に描かれている動物は三匹ですが、よく見ると、輪の中にいる二匹と、輪の上に乗っている一匹という違いがあります。
特に、この輪の上に乗っている動物は、ほかの輪の中の二匹に比べても異質であり、あまり見たことのない(現実に存在しない)動物のように思えます。事実、私たちマルセイユタロットを学ぶ者は、この動物のことを「スフィンクス」と呼びます。
あのエジプトにあるスフィンクスと無関係ではありませんが、むしろ、かつてローマの植民地であった一部のフランス地方で出土したスフィンクス像に似ており、いずれにしても想像上の動物であることがわかります。
スフィンクスの特徴は、想像上の動物であることから、単なる単独の獣ではなく、何匹もの獣が複合しているところにあります。
マルセイユタロットには動物は何匹か描かれていますが、たくさん出ているカードと言えば、やはり「世界」のカードが挙げられるでしょう。
「世界」のカードは、真ん中の人物の周囲に、四匹の生き物が描かれています。
テトラモルフともいわれるこれらの動物たちは、伝統的な象徴性を持ち、キリスト教でも取り入れられていて、教会の入り口にイエスとともにレリーフされていることもあります。
詳しくは言いませんが、このテトラモルフと「運命の輪」のスフィンクスが関係していると見ることは可能です。
ともかく、私たちは、運命というものに対して、単独の獣のような状態になるのか、複合するスフィンクスのような視点を持つのか、その違いを強調しているように、「運命の輪」から感じられるのです。
さきほど、視点と言いましたが、「運命の輪」の動物たちは、そのまま、(輪=運命に対する)それぞれの視点や態度を示すものと考えることができます。
何か強烈な運命に対峙した時、私たちは上がるか下がるか、はたまた、上りも下がりもしない視点でもって、それを受け止めると言えます。
ラッキー・幸運に歓喜し、不運・不幸に落ち込み・・・というのが普通の態度です。
しかし、不運にも幸運にも動じず、「運命の輪」の回転を冷静に読み、その波・リズムに乗っていく姿勢とでも言いましょうか、それがスフィンクスの位置・視点と表現できます。
この場合、ちょうど大波・小波の上を船に乗って進んでいるかのように想像すると、その船の安全性がわっかていれば、波の揺れはかえってスリルのように楽しむことができるかもしれません。
また、下手に抵抗せず、まさに波乗りのように、波に身を任せ、上や下へと、波と一体化していると、自分は波そのものなので、沈没や転覆することはないでしょう。
その境地に達している者にとっては、ほかの二匹の味わっている運命の波、まさしく翻弄する波は、翻弄されるものではなく、予測可能で純粋に楽しむことのできるアトラクションに変わるわけです。
これだけでもすごいことなのですが、タロットはその先も、数の順を考えると示しており、実は最終目的地の半分くらいの状態だということもできます。
おそらく、通常の運勢学、占いの基本である運命学みたいなものは、このスフィンクス状態を目指すことを想定されている、あるいはそれが目的みたいなところに置かれている(本当はそうではなくても、学ぶ者や活用するものの意識レベルがそれになっている)のがほとんどでしょう。
運勢・運命(のシステム)を学び、それを活用したり、コントロールしたりして、現実の人生を豊かに充実したものにするという目的です。
それが、マルセイユタロット大アルカナ全体像から見れば、まだ半分の段階なのです。(真の目的ではない)
その理由は、マルセイユタロットを学んでいくと次第にわかってきますが、最初の段階では何が何だか意味がわからないと思います。
まあ、しかし、あまりに高いレベルを想定し過ぎると、それは絵空事ともなりかねませんから、レベルを下げて、「運命の輪」(の象徴性)を見ていくことも必要です。
大事なのは、やはり三つ(三匹)の動物の位置、視点と言えます。特に、先述したように、輪の上にいるスフィンクスと、輪の中にいる他の二匹の動物との関係、さらに輪自体が回転しているということも重要です。
輪は運命だけではなく、回転するものの象徴にもなりますから、世の中に回転しているものをイメージすれば、いろいろな意味合いで、とらえることができるでしょう。
回転は、漢字を入れ替えれば「転回」となり、同じ音で「展開」というのもありますので、日本語の妙味で、これらが関連してくると言えなくもないです。展開するには転回し、回転しくてはならないのです。(笑)
回っているものといえば、地球もそうであり、自転・公転により、あるものが生まれています。
あるものとはすなわち、時間です。
このことから(それ以外からの理由もあるのですが)、この輪は時間も象徴します。
すると、時間に対する私たちの態度もまた、三つあることになります。時間コントロール、時間の活用にもつながってくる話でしょう。
さらに言えば、このマルセイユタロットの「運命の輪」には、取っ手がついているのがわかります。
ですから、回されるだけではなく、回せる意味もあるのです。これは見落としがちですが、意外に大事なところです。
輪の回転の影響を受けていない者は、説明したように、この絵ではスフィンクスになるのですが、もう一人、描かれていない存在があるのです。
それが取っ手を回す者です。
自らが回すのですから、輪の影響を受けないどころか、輪の回転そのものを創造しているとさえ言えます。
当然、輪に対して受動的ではなく能動的になります。
それはいったい、何者で、誰なのでしょうか?
そういうことを考えると、マルセイユタロットを見ているだけで、とても面白くなるのがわかるでしょう。
あなたも、「運命の輪」の輪、動物の三匹、そして取っ手を回す者・・・これらについて想像を巡らせてみませんか?
それだけで、あなたの悩み(波・闇を短縮すると「なやみ」です(苦笑))や問題に対しての、解決の糸口が見つかるかもしれません。
ちなみに、(神話の運命の)糸とも「運命の輪」は関係しており、まさにこのカードには、何かの「糸口」が象徴されているのかもしれません。
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