タロットの視覚効果
タロットカードは、絵でできているカードですので、当然ながらビジョンやイメージという視覚的な効果と関係します。
視覚と言っても、実際に目に見える部分と、心で想像(イメージ)して見えている(気がする)部分とがあります。
前者は誰でも同じに見えますから(厳密には、同じものを見ていても、ひとりひとり違うでしょうが)、一般化や元型として、言わば人の共通のパターン・あり方などを見ていくのに機能します。
つまりは、軌道修正であったり、調和を図ったり、自分の立ち位置を見たりして、客観的に判断するのに向いているわけです。
一方、後者の場合は、個人個人でカードから心の中でイメージするものなので、それは人によって異なるシーン・絵を見ていることが想像できるでしょう。
ということは、個人の心にあるデータ、思い込み、願望のようなものが現れてくると言えます。
ですから、カードを心でイメージすることは、個人的な問題の解決やセラピーを目的とするのには有効な方法だと考えられるわけです。
ただし、カードの絵を見て、心でイメージする(させる)場合、ある程度、カードの意味を知っておいたほうがよいです。
マルセイユタロットの場合、誰が見ても同じようにそのカードから感じられるような内容になる仕組みがあるのですが、それでも、意味を説明されないと、そのカードがどんなもの(こと)を描いているのか、わからない部分もあります。
そもそもイメージというのも、意味や内容がある程度わからないと、湧きにくいものです。
従って、カードの意味・概要を知ったうえで、改めてそのカードのことを心でイメージしてみるというプロセスが重要になります。
比較的やりやすいのは、大アルカナのカードの意味を知り、そこに描かれている人物になり切るようなイメージをしてみる方法です。
そうすると、イメージしやすい人物とイメージしにくい人物とに分かれるかもしれません。
イメージしにくいものは、思い出したくないもの、過去(記憶)に問題のあることが多く、イメージしやすいものは願望、あるいは実現できそう(可能)なことなどを示す場合があり、時制では現在から未来方向の指針である傾向があります。
また、イメージをした時に、自分の気持ちの状態によって、ブロックや抑圧、その逆の、願望や期待する夢を見出すことも可能です。
とは言え、カードを見ての心の中に作るイメージは、もとは実際に目に映るカードの絵から始まっていますから、先述したように、実際の絵は客観的でもあり、カードからイメージする心の絵(心象)は、逆に主観的と言え、主観と客観、両方が相まっての想像(創造でもあります)になっているわけです。
主観は自分の感じ方ですから、意味を知らなくてもよいのですが(むしろあまり意味にこだわり過ぎると思考に傾き過ぎ、イメージが制限されることもあります)、客観としての絵は意味が必要と言えます。
言ってみれば、カードの絵の一般的象徴性(客観)によって、主観的(心に浮かぶ像や感覚的)なものを精査、新たに意味付けするような感じ(役割・働かせ方)です。
このあたりのことは、タロットが、例えばロールシャッハテストなどのような、心理的投影を見るだけのものではないことを意味します。
ということで、カードの絵からのイメージを使う方法でも、やはり、カードの勉強(カードの意味を知ること)はある程度しておかないと、うまく機能しないのです。
カードの意味がわからないと、ただ主観のみになり、心でイメージしたことが何の意味を持つのか、あるいはそのイメージをどう扱えばよいのか、わからなくなります。そして、カードの概要がわからないと、そもそも心でイメージする手がかりもつきにくいのです。
もうひとつ付け加えると、このように、人は主観と客観によって、より自分を知ることができますので、同じタロットを学んでいる他人との共同作業で、カードを使ってやると(自分を知るのに)効果は高いと言えます。
マルセイユタロットの「月」と「太陽」ではありませんが、主観と客観、自分と他人、二つの見方や立場の違いがあるほうが、実は本質が見えやすく、もし自分があるレベルに留まって問題状態であるのなら、そこからの脱出、成長も図りやすいと言えます。
タロットは心理カードとしての活用度は高いツールと言えますが、さらに霊的な活用まで目指すとなれば、カードが個人的にどう見えるか・どう思うかだけではなく、カード(タロット)そのものの象徴性を個別と全体でとらえ(体系・システムとして見る)、その設計シンボルと調整・調和させていくような視点が必要だと思います。
ですから、繰り返しますが、感覚だけではなく、タロットの学びが不可欠で重要となってくるのです。
学び、感じ、考え、スパークし、今の自分を超えて、新しい世界や自分と出会って行きましょう。
これは、言い方としては、成長とか新しい自分に向かっての脱皮みたいに思うでしょうが、実は本当の自分を思い出す旅のようなものなのです。換言すれば、元(本来に)に戻ることであり、忘却からの回復です。
こういうものが、タロット活用の醍醐味でもあると私は思います。
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