2020年の終わりに。
今年は、世界的規模で大変革、大きな事件の年と言えました。そう、新型コロナウィルスのパンデミックです。
この影響は来年以降もさらに続きそうですが、一方で、このことで、今年ほどいわゆるバランス思考のような、物事の中立性を感じた年はなかったと言えます。
つまり、マイナスにはプラスあり、悪いように見えても、観点を変えれば同じくらいよいこともあるという考え方です。(当然その逆の、プラスにもマイナスありになります)
コロナ禍は、「禍」というように、かなりのマイナス面が一般的に見てありますが、これがきっかけで見直されること、よいこともあったはずです。
例えば、リアルで人に会いにくい世の中になりましたが、反面、ネットコミュニケーションが飛躍的に活用化され、距離に関係なく、あくまでネット環境ではありますが、映像でオンライン会話することが普通になりました。
今までもツール環境(ハード・ソフト面)としては整っていたにも関わらず、コロナ禍にならなければ、オンラインで会話すること、リモートで仕事することはあまりノーマルにはならなかったわけです。
そして、今年、移動する(移動して人に会う)こと、距離というのが感覚やブロックとしては、なくなってきたと言えます。
一面では、実際会えないわけですから、距離は物理的には今まで以上に離れてしまった人も多いわけですが、オンラインでは距離を感じず、つまりは精神的な距離は近づいた人もたくさんいたのです。
もしここに、翻訳機能が普通に付与されるアプリが出て(おそらくそれは実現は近いかと思います)、さらにバーチャルな空間とか部屋とかがホログラフィック的に共有されるようになれば、もはや、物理的距離は、世界的に、ほとんど意味がなくなってくるかもしれません。
ところで、私たちが現実としての三次元にいるという感覚を持つには、物事の差異(の感覚)が必要です。
その代表的なものが、距離と時間です。グノーシス的には、悪魔、デミウルゴスの本質と目されていたり、人間を縛る仕掛けとされていたりするので、(グノーシス)神話的にも面白いのですが、とにかく、このふたつは現実認識には重要です。
それで話を戻しますと、さきほど、距離は、特に精神的にはなくなってきたことを述べました。距離は長さとしての空間的差異です。それが精神的には意識されづらくなってきたわけです。
とういうことは、精神的には、私たちの現実認識が変わろうとしている、いや、自然に変わって行く可能性もあると言えるのではないでしょうか。
物事の見方の変化は、物理環境が変わることと、もうひとつ精神的な変化があることです。
今は、普通の人には、精神と物質がまったく違う次元で、別物だと目されていますが、距離の感覚がなくなってくることで、次第に、ココロとモノの間にかかっているベールが巻上がり、ふたつが同じ次元や構造で見えてくる方向性に進んでいるのではないかという気がします。
コロナ禍という大きなネガティブな問題の発生は、人々に現実認識を変える土台そのものへの変容を、自然に促しているようにも思えます。
来年以降はさらに、コミュニケーションというものが、方法だけではなく、質的にも、かなり変わって来るのではないかと予想されます。
人々は次第に、言葉だけではない伝達方法、交流方法を身につけるようになると思います。いや、身につけるというより、思い出す、復活させると述べたほうが適切かもしれません。
今もすでに、文章・言葉よりも、映像、そして動画のほうが伝わりやすい時代に変化しました。
文章がうまい、しゃべりがうまいという技術的な評価と効果は、これからも残っていくとは思いますが、今までのように、それがコミュニケーションや宣伝での王道的評価ではないことが当たり前になってくるでしょう。
伝え方、伝わり方の幅が拡大し、人々は好みのようなもので選ぶ(あるいは表現する)ことがもっと評価されたり、許されたりすることになり、しかし、それは従来のような単純な好き嫌いとか、エゴや欲求に基づく好みというより、思考・論理とも一体化した、新しい形の好みでの選択というものが出てくるようになると予想されます。
いわば芸術的な感覚に近く、大小、レベルはさまざまですが、多くの人がアーティスティックになっていくものと思うわけです。そうすると成功概念も観念的なものとなって、かなり多様性を帯びることになります。
ただ、よく言われるように、選ばれる自分らしさや、尖った自分のウリを出すみたいなこととは違うと感じます。
相互関連と言いますか、もっと広い視野で、他者、社会を含めた自己実現、自己の特質を発現するようなものと言えるでしょうか。
ですが、その基礎は、今の単純な好きとか嫌いとか、安心感や違和感というものにあると考えられます。
ですから、自分の今の感性もないがしろにせず、しかし、自分勝手にならず、自分が心地よくも、無理に相手に気に入られたり、認められようとしたりせず、自然に相手も自分も認められるような接点、着地点を目指し、どちらも幸せになっていくような方向性が、よいように思います。
まだまだモノのあるなし(多寡)が評価の中心になってはいますが、質というものが見直され、量と質が同じように見られる意識が普遍化していけば、お金・経済についても大きな変質が起こり、もっと多くの人が生きやすい世の中になるのではないかと思います。
とにかく、今の世の中、悪いことばかりではなく、宇宙には正しい方向に進んでいくエネルギーがあり、それに多くの人々の意識は向かっていると個人的には感じます。
現実的には楽観できない年の切り替わりではありますが、見方を変えれば、本当によいことも見えてくる、そんな2020年から2021年だと言えます。
希望をもって、新しい年に向かいましょう。
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