マルセイユタロット「手品師」について
マルセイユタロットに「手品師」というカードがあります。
一般的なほかのタロット名では、魔術師と呼ばれることが多いかもしれません。
ウェイト版のタロットでは、明らかに魔術をしているかのような絵柄なので、魔術師と呼ぶ方が適当かもしれません。(そもそも製作者のウェイト氏は魔法団体所属の人です)
マルセイユ版の「手品師」は、例えば、数年前に出版された、著名な映画監督でタロット研究・実践家でもあるアレハンドロ・ホドロフスキー氏の本「タロットの宇宙」では、このカードのことは「大道芸人」と訳されいます。
別にこのカードの人物は、ウェイト版のように、魔術をやっているわけではなく、まさに大道芸人のように、出店で手品という芸を披露しているように見えます。ですから、呼称するには、大道芸人でも、手品師でもよいわけです。
しかしながら、ただ大道芸をやっているだけの人物では、それこそ芸がありません。(笑)
見た目だけのものではない、口伝的内容が「手品師」の象徴性にはあるのです。
なにも「手品師」だけに留まらず、ほかのカードたちも同様であるのがマルセイユタロットの特徴です。つまりは見た目や見せかけの意味と、隠された意味とがあるということです。
この裏の意味を知らないと、カードをきちんと扱うことができません。もし表だけだと、それはタロットが普及した一番の意味であるカードゲームとしてか、カードの絵柄に芸術性がある場合に美術鑑賞用のものとしての意味(価値)しか見出せません。
何よりも、そのことを大アルカナの最初のナンバーを持つ「手品師」のカード自身が示しているのです。(大道芸人・手品師の絵柄と道具に隠された意味があること、それらの本当の意味を認識し、使いこないことが暗示されています)
さて、この「手品師」、さきほど述べたように、裏の隠された意味合いなどもあるわけですが、もちろん表・見た目だけからでも出る意味もあります。
この「手品師」は、手品をして観衆からお金をいただくことをしているので、彼にとっては「仕事」をしているとも言えます。
そこで、「仕事」ということが意味としても表されるわけなのですが、タロットは象徴であるので、「意味=カード」という図式が成立するわけではありません。カードから意味が出るのであって、意味をカードにあてはめるわけではないのです。
ですから、たとえ「仕事」という意味や言葉があったとしても、それは「手品師」だけの意味とは限らないのです。
タロット学習において、カードの意味を暗記する人もいますが(それは悪いわけではありませんが)、方向性(「カード→意味」であり、「意味→カード」ではないこと)を間違えないようにしないと、意味を覚えたのに、リーディングできないという事態に陥りますので、タロット学習において注意が必要です。
「手品師」は彼にとっての仕事をしていますが、大規模なビジネスをしているわけではありません。屋台をはって営業している大道芸人ですから、しょせんしれている規模です。
ですが、カードは成長性も示し、特に大アルカナの数が増えるごとに成長していくという考えがあります。そこからすると、「手品師」の彼は、「皇帝」とか「戦車」へと発展していく可能性も秘めているのです。
すると、やがて大きなビジネスに成長していくかもしれず、その可能性は「手品師」にあるかもしれません。
たとえば、今は彼は、道端で手品を披露しているだけの一人の芸人かもしれませんが、やがて経験と年を経て、手品師団体や組織を作り、会社みたいにして、多くの手品師・大道芸人を雇い、経営していくことも予想されます。
若い時だと体も無理がきき、また新しい芸を覚えて披露することも柔軟に、スピーディーにできますが、次第に年を取ってくると、そうもいかなくなってきます。
しかし、経験や知識は増え、直接、体や芸を資本として稼ぐより、違う方法(稼ぎ方)を思いつくようになるでしょう。
そうやってタロットを見ますと、「手品師」のカードの人物はわざと若い人物のように描かれているのがわかりますし、テーブル上の手品道具も種類があり、それらを扱うように用意されているのが見て取れます。
それと同時に、表情はちょと自信なさげでもあり、まだ経験不足のところも見受けられる感じです。
こうして、若さで仕事する特徴が、手品師には描かれているわけです。すると、タロットは見ようによっては、仕事やビジネス、あるいは人生そのものの流れ、成長、発展を、やはり(全体として)表しているのではないかと推測することができます。
「手品師」は、その若さもあり、好奇心旺盛な人とも言えます。新しい道具、ツール、技術にも関心が行き、それを使いこなそうとするでしょう。
現代においても、好奇心旺盛な人は新しいものに目が行き、それを採り入れよう、使ってみようという人が多いですし、そういう人は比較的成功する素養があると言えるかもしれません。
もちろん、なんでもかんでも目新しさに飛びついていては損をしたり、危険な目に遭ったりすることもあるでしょうが、やってみないことには始まらないということもあります。
「愚者」と「手品師」を合わせる(並ぶと)と、まさにベンチャービジネスとか、新しい仕事にチャレンジみたいな意味で見ることができます。
たとえサラリーマン・アルバイト的な人でも、新しい職場に行くとか、転職するとか、新規の気風が漂います。
古いことを守っていくことも大切ですが、仕事・ビジネスというのは、現実の状況(経済情勢・景気・情報等)に多分に関わって来る分野ですので、新しいもの、移り変わる世の中の情勢に関心をもっておくことが成功の鍵でもあるでしょう。
そして「手品師」が道端で実際に芸を披露しているように、現場、実際のフィールドに出ること、そこからの情報と経験を活かすことも示されているように思います。
「手品師」の次の数の「斎王」(一般的には女教皇)は、「手品師」と違い、本を手に取り、静かな環境で控え、勉強しているような雰囲気ですが、まず「手品師」というカードが出ていることは、学びばかりし、引きこもったりしていても始まらず、とにかく一通り覚えたらのなら、世間(実際)に飛び出し、やってみることが大事だと、タロットは言っているようです。
まあ、これは、タロット、特に大アルカナ中心に、数の順に物事や人物が成長、発展していくという前提で見た場合のことです。
これとは違う見方があり、それによれば、まず「手品師」になってみよう、「手品師」のように行動することが一番、というわけではなくなります。
人には得意不得意、向き不向き、言わば個性があり、「手品師」や「愚者」のような人もいれは、「斎王」や「隠者」のような、保守的で慎重な人もいます。
いわゆる経済的な成功分野は、現実としての経済(お金の世界)が重要で、それは数値で計れて、ある程度の成功法則があると言え、理論・良質な(あるいは斬新な)情報・アイデアとともに、実践・行動、そしてそこから得られた結果とその修正、再チャレンジというサイクルの、特にスピードと行動性が重要視されます。
しかし、人は経済や物質だけで生きる存在ではありません。
価値と目的が変われば、目指すもの、過程も変わってきます。
本質的には、どの分野であれ、実は同じ要素や順序、法則のようなものがあると考えられますが、目的・レベルによっては、入れ替えとか、ルート、表現が違ってくる場合もあります。
「手品師」が仕事をしているというのなら、現代的にいえば、仕事をして経済的糧を得て、人生のある程度の安定を得るか、さらなる(経済的)発展・成功を目指す人となるでしょうが、最初にも述べたように、「手品師」(その他のカードも含めて)には裏の意味もあるわけです。
それを見れば、「手品師」が行うこと、学ぶこと、主題は別にあると言えます。
それは実際の年齢とは関係なく、あなたが年を取っていたとしても、今から「手品師」としてスタートすることもできるのです。ここにおいては、若さの絵は完全に象徴化されます。
または、すでに「手品師」の意味すものをやっていたことに気付く段階があるかもしれません。
「手品師」は「1」という数を持ち、この数は、大アルカナにおいて、ほかに「11」の「力」、「21」の「世界」と続きます。それらのカードには共通した象徴・シンボルが描かれています。
またローマ数字においても象徴性があり、ローマ数字の1を持つ数も、関係します。
そのようなことで、あなたが、どのタイプの「手品師」になるのか、あるいは、どのタイプの「手品師」の学び・実践が必要とされ、自分の傾向としてある(合う)のか、それはまた、「手品師」のカードと会話することで現れてくるのです。すべてはカードの絵柄に描かれているのです。
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