タロットの図像と天使

マルセイユタロットの絵柄には、細かい象徴・形がたくさん図示されています。

精巧なタイプのものだと、それらひとつひとつに正当な理由や意味を見出すことが可能です。

図像の中でも、代表的な図柄(すなわち象徴)と言えるようなものもあり、その中のひとつには「天使」の図があります。

マルセイユタロットの天使の図像については、以前にも何度か書いたことがあります。

私自身は、ブログの内容をほとんど覚えていないので(笑)、いつどのブログであったかは定かではないですが、比較的新しいもので、天使の現れるカードを具体的に指摘して、その違いや共通点などを書いた記憶が一応(苦笑)あります。

気になる人は、過去ブログを読んでみてください。

ああ、そう言えば、この前、生徒さんにも言われたのですが、私のブログ、どうやら2000記事にもなっているようで、何か特定の記事を探すのは大変かもしれません。ブログ内検索ができるのならいいのですが・・・

それはともかく、今日の天使ネタはまた別の観点です。実は、天使の図像だけに関わらず、ほかにも言えることが含まれます。

ところで、タロットにおける(に描かれている)図像・象徴(シンボル)と、同じシンボル図像であっても、一般的に言われているものや、国とか地域、はたまた歴史によってなど、その意味とか解釈が違っている場合もあります。

いや、細かいことを言えば、すべて異なっていると言ってもいいくらいです。

ただ、やはり根本的なことと言いますか、そのシンボルが表す元型的な意味合いは、どれも共通していると考えられます。

私のタロットの講義でも詳しく説明していますが、象徴・シンボルというものは、言葉にすると、すでに象徴・シンボルの大元から微妙にはずれていくことになり、つまり具体性を増せば増すほど、象徴からかけ離れた意味も出てくるということなのです。

例えば、マルセイユタロットの中に、「」の象徴・シンボル図があります。

皆さんは「蛇」と聞くと、何か邪悪なもの、怖いもの、悪魔の手先とか、凶兆のようなものとして、一般的には思われるかもしれません。

しかし、蛇皮などを財布に入れる人もいて、金運をよくするものとか、吉兆的なシンボルとして見る人もありますよね。

宗教や文化の違いによってもとらえ方は変わり、西洋のキリスト教観の蛇と、東洋の私たち日本人の思う蛇、中国やインドにおける蛇とかは、西洋とかなり異なるところもあるはずです。

このように、同じ象徴・シンボルと言っても、厳密に言えば別のものと言ってもよいことがあるのです。

マルセイユタロットはその名の通り、ヨーロッパ、フランス中心に作成されたタロットです。従って、象徴・シンボル図の基本が、西洋的なものの意味を成していることは、当然想像できることです。

このため、「天使」の図像も、ヨーロッパにおける「天使」の存在、意味合いを考えていく必要が、まずあるわけです。

そうすると、どうしても宗教的にはキリスト教からのものを想定しなければなりません。キリスト教が精神のバックボーンとしてあるのが西洋だからです。

ところが、マルセイユタロットは、深くには、キリスト教とは異なる思想が描かれてあり、それが秘伝的内容になっています。

ということで、「天使」ひとつとっても、表向き・一般的なその地域(タロットが作られ、流布した地域)における象徴の意味、文化的背景と、図像に隠された、裏の意味を知ることが同時に必要となってきます。

このあたりはまさに象徴学といってもいい分野になってきますので、それゆえ、マルセイユタロットを理解し、使いこなすには、それなりの知識的学習がいるのです。

もちろん、タロットは感性やインスピレーションによっても使うことが可能です。

ですから、何も知識的アプローチしか理解の道がないと言っているのではありません。

いわゆる私たちの思う「知識」というレベルも、高度の感性を支えるものに過ぎず、本当の理解は日本語の智慧に相当すると考えられ、それは、感性的なもの統合した高度の知識・理解と言えましょう。

さて、そうした感性的(この場合は少し低次になりますが)にタロットの図像・シンボルを見た場合で、「天使」をどうとらえるか、です。

感性的なものは、言わば自分が感じ、思う、イメージの世界からの情報ですので、言葉としての知識的なものからの意味合いとは異なってくることが多いです。

その分、個人や個に沿った意味になることがあり、言い方を変えれば、その人の天使のイメージとかリアリティの度合いによって変わってくるものです。平たく言えば、その人の思う(考える)天使のイメージが出ると言ってもいいです。

この場合、天使を実在的にとらえる人と、非実在性として見る人との大きな違いがあります。

前者は、実際に天使の存在をリアルに認めている人で、天使の存在をエネルギーや映像のように、見たり感じたりできている人と言えましょう。

いわゆる「スピリチュアル系」の人たちで、例えばチャネラーの方とか、西洋的なエネルギーヒーリングをしている方、西洋系の神的存在のサポートを受けたり、縁があったりする人たちに、このようなタイプはいらっしゃいます。

後者は前者と比べると一般的と言え、天使がいるかどうかというよりも、天使というのを象徴的にとらえて、現実におけるサポート的存在だと見るような人になってきます。

前者の人たちにとって、タロットの天使図像は、そのまま文字通りの天使を意味することがあり、天使の描かれているカードへのリアリティ、インパクトも違ってくるでしょう。まさに、(あなたが実際に感じている)天使からのメッセージだと解釈してもよいのです。

一方、後者の人たちには、天使はサポートや癒し、愛などの、あくまで”象徴や比喩”であるので、それに関連する、現実の人間や事柄を表す場合もあれば、自分に向ける内的な状態や、外(他者)への態度などを示すこともあるでしょう。

天使の図像が具体的に描かれている単体の大アルカナカードは、「恋人」「節制」「審判」「世界」ですが、「節制」を除き、天使単独では出ておらず、ほかの存在と一緒であり、しかも人であれ、動物であれ、結構多人数です。(逆に、「節制」の天使はそれだけほかとの違いが強調されていることになります)

このことから、天使のサポートは、縁によって運ばれるとか、多数や混沌の中でも必ず救いの天使がいる(天使が紛れ込んでいる)と見ることができ、それは天使の実在性を思う人にとっては、本当に天使存在であり、そうでない一般の者にとっては、あなたを助けてくれたり、癒してくれたりする人や物事ということになるかもしれません。

どちらの人にとっても共通的に見ることができるのは、天使的色彩とか使命を帯びた「縁(えにし)」が働いているという解釈です。

つまり、天使が実在していても実在していなくても、何らかの救済的な縁が連なり、あなたに救いがもたらされようとしているという見方です。

天使が見えていない人には、天使が背後に働いているものの、現実の救済的な出来事(目に見える形)としてそれが発生し、天使が見える人には、天使の意を受けた人や物事がやってきている(天使が動いてくれているのがわかる)という見方もできます。

また、あなた自身が天使になる(天使の意を受けた人となる)ということも言え、実際的には誰かの助けになる、癒しを行う、援助する、みたいな解釈もできます。

ある(マルセイユタロットに関係する)神話では、一人一人に天使がついていると言われます。

その導きによって、私たちの魂は真の霊的世界、天上世界へ帰還しようとしており、その際に、他者の天使(目覚めようとする人間も含め)とも協力し、いわゆる悪魔的な存在によって眠らされ、麻痺のような状態になっている人間を治癒し、覚醒させていく役割もあるとされます。

メルヘン的ではありますが、この意味合いは、実はとても深い象徴性があります。

タロットで天使のカードが出た時、皆さんの中の天使を感じてみるのもよいでしょう。

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