前世について

前世とか過去生とかと呼ばれる概念があります。

簡単に言えば、今生(今生きている自分)ではない過去の人生があったという考えです。

これと似たようなものに輪廻転生説というものがあります。いわゆる「生まれ変わり」で、人は何度も生まれ直し、それを繰り返しているという説です。

何のために輪廻転生するのかは、様々な考え方がありますが、だいたいはカルマ的な説明でなされることが多く、スピリチュアルに関心のある人には、人間の向上、ひいては人類全体、宇宙の成長のために行われていると解釈する人もいます。

輪廻転生説を取れば、必然的に前世(それは人間の歴史の過去の時代とか宇宙ではないとする説もありますが)があるということになってきます。

マルセイユタロットでは輪廻転生を表すシンボルがいくつか伝えられており、このことから、マルセイユタロットの図像を伝える者、その解釈の中には、生まれ変わりによる修行、そして今の人生だけではない前世(あるいは未来世)というものが設定されている(デフォルトの考えとしてある)ことがわかります。

ところが、一口に前世と言っても、一人の個人がそのまま過去で別の人生を送っていたというものから、多数の者の過去生データのようなものから取捨選択され、一人の人間の前世として再構築されているという考え方まで、多岐にわたります。

個人的には、一人の人間がそのまま(記憶を忘れ)生まれ直すという単純なものではないと思われ、従って、たとえ前世というものがあったとしても、それは今の自分そのものではないと考えています。

まず、その理由のひとつとしては、単純に魂の数が合わないから(笑)というのがあります。現代のほうが人口が昔より明らかに多いので、そのままま過去の人間が転生してくるようになるには、魂の数が足りなくなるでしょう。

もっとも、転生スピードとか回数、スパンに違いがもしあるとすると、魂の数の単純な問題はクリアーできなくもありませんし、動物とかほかの生き物が人間に転生するみたいな話まで入れると、この問題もなくなってきます。

しかし、魂の数が足りないということを考慮すれば、魂を分けて新たに再構築するかのように、新しい魂を生んでいく必要があるように思います。

その場合、一度巨大な人類全体の「生と死」全体の記憶データバンク・データベースのようなところに記録は預けられ、その後、何らかの法則(神や宇宙、そして個としてはカルマなど)に基づき、データが分解・再構成されて、それをダウンロードされた魂が新たな命として生まれるという仕組みではないかと想像しています。

ですから、たとえば同じ時に生きた複数人のデータの一部が入り込むことも可能で、すると、その新たな魂は、同じ時代に生きた人間のデータ(の一部)を共有することになります。

過去生において、同じ時代の数人の記憶が混交するようなケースが見受けられるパターンがあると言われますが、その場合は、前述したような複数人のデータによって魂が構成されていると見ると、納得できるものがあります。

前世療法・ヒプノセラピーなど、退行催眠療法によって、自分の前世がイメージとして出てくる場合があります。

それが果たして、本当に自分の(忘れている)過去のものなのか、あるいは、先述したように、まったく他人の記憶として自分に埋め込まれているものなのか、はたまた、単なる妄想なのか・・・これも受ける側の考え方次第と言えますが、セラピーと名付けられているように、それを見る(感じる)ことによって、今の自分の心理的な問題等が癒され、消失することもあるのです。

それは今の自分ではわからなかった理由が、前世の自分(あるいは誰かの前世のデータ)を見ることによって得られたからです。「なるほど、こういう理由で私はこのような問題とか症状を抱えていたのか」と気づいて、癒しも起こるのです。

今の(今生)の自分では理由づけができなかったもの(救われなかったもの)が、前世という設定と解釈によって納得でき、今の自分が救われたわけです。

でもよく考えますと、このような仕組みと言いますか、メカニズムは、別に前世でなくても起きていることです。

それは、顕在意識と潜在意識の関係と言ってもいいですし、単純に自分が覚えている記憶と忘れている記憶意味や理由がわかっているものと、それがわかっていないものとの関係と述べてもよいでしょう。

要するに、自覚している意識が納得できたり、因果関係が見い出せたり、知覚・説明できたりする以外の領域との関係性です。

自意識が納得できない、わからないものの理由は意外に多く、それに対して、無意識で自覚できていない層や領域を探ると、意味がわかったり、理由が判明したりすることもあるのです。

逆に言えば、私たちは半分の領域でしか生きていない、知覚できていないというわけです。

もうひとつの領域のひとつに、前世というものもあるのだと考えることもできるでしょう。

しかしながら、こうも言えます。

すべては思い込み、想像の世界であると。前世があるかどうかなど、生きている人には通常わからないですし、合理的・科学的証明も今のところ不可能です。

人間の記憶というのは実にあやふやなものです。

たとえば、同窓会で昔あった出来事をシェアして思い出したとしても、一人一人の記憶は結構異なっていることがあります。私たちは、一年前の記憶ですら、実はほとんど忘れていますよね。

となれば、前世の記憶ともなれば、かなり昔のことですから、たとえ忘却システムがなくても、完全には思い出せないでしょうし、そもそも私たちは普通、前世の記憶がないことを考えますと、本当は必要がないから、あるいはそのようなもの(前世)はないからという理由なのかもしれません。

私たち人間の記憶は、機械や純粋なデータのようなものではなく、一人一人の個性・とらえ方によって違ってきます。それは、起きた現象を色メガネで見たり、変換装置によって組み替えていたりするようなものです。

すると、記憶というのは、ほとんど個人的に解釈したストーリー・物語だと言えます。

今生の生きている間の記憶でさえそうなのですから、前世のようなものがあったとして、それを思い出せたところで、それは「今の自分」が解釈・作り上げたストーリー色が強いと考えたほうがよさそうです。

結局、人はストーリーで生きているようなものなので、前世があろうがなかろうが、ひとつのストーリーのデザイン、種類だと思えば、皆一緒(今生も前世も未来世も)になるのではないかと思います。

ストーリーなので、そのストーリーを書き換えたり、想像(創造したり)することもでき、都合の悪いストーリーは変えればいい理屈にもなります。

しかし、ストーリーだからと言って、何でも自由に組み替えたり、創造したりすることができにくいのも、人間なのです。それはある程度、現象に左右されるからです。

解釈するにしても、起きる(起こった)出来事、環境、経験などという「もと」がないと、解釈すること自体できません。物語の材料・基盤とでもいうべきものが前提にある世界(現実世界では)です。

それを勝手に自由に作ることが、普通の人はできないので(笑)、解釈する前に経験することによるストーリーの骨子(運命とか宿命と言っていいもの)がありますから、普通は、自分の都合のよいように解釈した空想の世界で楽に生きられるわけではないということです。

前世の話に戻りますと、前世も含めてすべて自分の解釈するストーリーだとしても、なぜにそうした前世に自分が関心を持つのかという点は重要かと思います。

前世があるかないかというよりも、思い出したり、ある特定の過去の国とか人間、生活、物語に自分がひきつけられる(感応する)こと(嫌いとか怖いとかの特別感情を持つことも含む)のほうが大事だと言っているのです。

物語・ストーリーにはがあります。それは神話などで昔から伝えられ、人々の集合的な(無)意識の中に刻印されているものと言えます。

前世のストーリーは、多くの場合、そうした「型」に象徴的には関係しています。今の自分が、その型を通じて、何かに気づこうとしているのかもしれません。

マルセイユタロットにはその型が描かれていますので、前世とも関係した話を、タロットから見出すことも、象徴としてですが、可能な面はあるでしょう。

繰り返しますが、前世がある(あった)かという事実や、その証明よりも、前世の話とシンクロしたり、関係があるかのように感じたりするあなた自身に意味があると言えます。

前世という材料で、大きな変容・統合がなされようとしているのかもしれないのです。

そして、前世に関心を抱くタイミングもまた、大きな流れの意味では重要かもしれません。

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