選択と可能性

現実の人生は選択の連続とも言えます。

毎日、習慣化されているとはいえ、起きて何をするのか、服を着るのも、何を食べるのかも、選択しているわけです。

ただ、さきほど、習慣化されていると述べたように、些細なルーチン的なことは、ほぼ定型化・パターン化されているので、いちいち選択について考えることはありません。

それのほうがエネルギーも使わず、でもあります。

しかしながら、何でも二面性があり、楽ではあるものの、変わらない選択をしているわけですから、いい意味ならよいのですが、悪い意味で変わらないのは問題となります。

つまり、今の状態がよいのなら、そのままでいいのですが、現状がよくないことを自覚しているのなら、何らかの方法で、選択を(意識的に)変える必要性があるわけです。

さて、選択においてもタロットカードが使えるかというと、結構、活用できます。

むしろ、現実的なタロットの使い方としては、選択の参考にカードを引くということがあげられるくらいです。

タロットには、大アルカナと小アルカナというふたつのパートがありますが、現実生活における選択には、小アルカナを活用すると、より実際とのリンク性が増します。

ただ、大アルカナも一緒に使うことで、選択もしやすいですし(読みやすくなる)、特に、変化を求める選択においては、大アルカナの示唆が有効になります。

ところで、現実の生活における選択のシーンでは、短期的なこと(今決めたいこと)が多いと思います。

ですから、ついタロットカードを展開しても、短期的な目線でカードを読もうとします。

選択に迷い、困っているケースでは、何とか決着をつけ、すっきりさせたいと思っているところがありますので、短期的視点になって、あせる気持ちもわかります。

ですが、ここで少し、選択への視点を長期的なもので考えみることを提案します。

長期的というのは、言い換えれば、可能性の拡大(的視点)ともいえ、マルセイユタロットていえば、「世界」のカードのような観点で、「手品師」を見下ろすみたいなことになります。(これは私のタロット講座を受けている方ならば、ニュアンスがわかるはずです)

例えば、Aという選択肢を選べば、どれほどの可能性が増えるのか、あるいは減るのか、同様にBだとどうなのか?と考えます。

短期的に判断していると、見えてこない事柄が、長期的可能性(あるいは問題性)としてならば浮上してくるはずです。

マルセイユタロットでは、拡大や可能性を示唆する細かな象徴が隠されていますので、そういうものが出ている選択肢を選ぶというのも、特に現状変化を望む場合は有効かと思います。

単に可能性といっても、偶然や自然に起こるものを想像するだけではなく、同じ音としての「創造」も意図するとよく、その選択肢を選ぶことで、何がどのように創造できるのか、創造の可能性をイメージ(想像)できることが、選ぶ基準のひとつにもなってくるでしょう。

特にお金を使っての選択(何かの購入、申し込みなど)は悩むこともよくあると思いますが、その選ぶものへ投じた金額と同等か、それ以上のリターンを想像と創造できるかによって、決まって来るところもあるでしょう。

その選択をすることで失うお金のイメージが、回復の望みも、方法もわからない・・・お金を失って気分が暗くなるだけの想像がある場合は避けたほうが無難です。

また、気持ちの不安が高いのに、それを無視して、「何とかなる!」と、無理矢理強引にお金を使う選択をするのも問題です。どちらにおいても、創造の想像ができていないからです。

※ワクワクするという気分だけのものではなく、どのように投資したお金の価値が回帰してくるか、人生の楽しみと幅が、一時的ではなく、中長期的に広がるかというイメージが想像できるかということです。ワクワクだけならば、一時的な快楽的満足、あるいは中毒症状継続の選択になってしまっていることもあるのです。

超長期的(一生を超えるような目線)で見れば、選択に間違いというものはなく、ただ選んだ経験をするのみ、ということなので、そのような考えも持っておくと、後悔というのも少なくなると思います。

さらに言えば、最近ではよく言われるように、自分の意思などなく、本当はすべて最初から決まっているという説もありますので、選択に迷うこと自体、プロセス(演出)でしかなく、悩んでも仕方ない(選択に悩むのはよくても、あとて選択したことを後悔して悩むことは必要ないということ←それさえも決まっていたことかもしれませんが)わけです。

※とはいえ、人間的・実際的・短期的・空間的には有効性、効率性、正解性というのはあり得ると考えますが。

そして、ここが実は本当に言いたかったことなのですが、現実での選択という行為そのものが、私たちが霊的な解放を目指すのか、牢獄のままで意識を眠らせておくのかの、まさに「選択」となっているのです。(詳しくはここでは述べませんが、マルセイユタロットの「恋人」カードにヒントがあります)

ですから、タロットを使うにしても、「どちらを選べばいいか?」の質問と活用をメインにしていると、マルセイユタロット的には、「運命の輪」に囚われ続けることになるのです。

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