「世界」からの視線
このところ、暗く悲惨なニュースなどがあったところですが、冬至を越えた翌日、太陽の一層の輝きも見え(これは地域によりますが)希望というのも感じました。
私たちは日々悩み、生きています。
時には何のために生きているのか、わからなくなることもあるでしょう。
無理に生きる意味を見つけようとしなくてもよいとは思いますが、些細なことでもいいので、「このために生きる」とか、とりあえず「この理由があるから」という、こじつけ、短期的・長期的、何でもよいので、自分にとっての生きる意味を持っておくことはよいのではないかと思います。
まずは短期的なところからでもいいと思います。
例えば、おいしいものを明日食べたいとか、疲れているので癒されに行こうとか、あの作品は面白うそうなので見てみようとか、しょーもなくはあるかもしませんが、小さくとも、生きるモチベーションにならないわけではありません。(苦笑)
あと、長期的というのも、時に有効です。
人間、意外にゴールと言いますか、遠い目的地を決めていないがために、現在迷ったり、どうしていいのかわからなくなったりすることがあります。ひいては、生きる目的・力を見失うことにもなりかねません。
どこに向かうのか、わからない状態では、現在地に迷うのも仕方がないというわけです。
自分が達成したいこと、あるいはそんな具体的なことではなくても、人生の最後の目的、せめてこうなっていたら(こういうもの(境地とか精神でもよい)を得ていたら)OKという遠いゴール設定をしておくと、今の自分に、その目的地からの光が当たります。
マルセイユタロットには、人間成長の道筋・指針としての大アルカナ図があります。これは数順に並べていくものですが、最終カードは、大アルカナの最大の数を持つ21の「世界」となります。
つまりは、マルセイユタロット的に言えば、この「世界」から数の少ないほうのカードを向く(見る)、ということになります。
面白いことに、「世界」のカードに描かれている中央の人物は、これまでの道を振り返るかのように、向かって左側を向いています。
この、自分にとっての「世界」のカードに該当するものを決めておくと、今の自分の立ち位置、またはそれがわからなくても、何をすればいいのか、何を評価し、何をあまり悩まなくていいのかが明確になります。
目的地・ゴールが、精神的な充実や満足感なら、物質や環境的なことに一喜一憂しても仕方ないということになりますし、その反対に、物質的に恵まれて終わりたいということであれば、お金の稼ぎ方とか使い方も逆算して、より具体的になってくるのではないでしょうか。
タロットだけではなく、カバラーの「生命の木」を使えば、中央の柱を文字通り、中央・基本として考え、一番上のケテル、真ん中のティファレト、イエソド、マルクトと、それぞれを段階別の目標として、抽象性から具体性へと降下して思考すれば、現在(現実・通常)の位置・次元とも言えるマルクトで何をすべきか、どう生きればよいのかという「イメージ」が出てくるでしょう。
もちろん、タロットでもそれは可能てすし、タロットの場合は絵があり、その絵柄自体が象徴ですから、自分の生活・人生とリンクさせることがしやすく、迷子になってて、空しくなっている自分に、「世界」(のカード)から光明を指すことができます。
それはまた霊的には、「隠者」の光(ランタン)でもあります。
グノーシス的には、水(透明ゆえに光を通し、輝くことになります)とも関係し、キリスト教の洗礼の儀式ともつながりますが、水といえば、タロットでは天使が象徴されますから、天使の絵柄が、私たちに光を見せてくれているのだと言い換えることもできます。
目的地から今やることを見るというのは、目的地まで予定通り到達していない自分にいらだちや、不安が襲って来るようにも思えますが、ここで言っている目的地からの視点は、むしろ、今を楽にするためのもので、「これだけやっていればOK」「これを得ていたらよしとする」みたいな感じで、カードの「13」の象徴とも関係するものです。
言わば、本質と表面の違いを区分けするようなものて、目的(地)の本質を見ていれば、今の自分、過去の自分、これからの自分の「本質」のみをたどって行けばよく、その他のことは、表面的・演出的なものであるとわかって、安心することもあるという話なのです。
コメントを残す