タロット観、前提として理解するもの。

マルセイユタロットの中でも、日本ではカモワンタロットという名前で、フィリップ・カモワン氏とアレハンドロ・ホドロフスキー氏が共同で製作したタロットがあります。

私も、もともとはカモワンタロットから入った口ですし、一番よく使用しているカードも、いまもってそのホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロット(通称カモワンタロット、現在入手困難)です。

カモワンタロット自体はひとつでも、製作者のお二人の考えはいろいろと異なるところがあるように思います。

ですから、厳密には、同じタロットを使っても、カモワン流とホドロフスキー流とがあり、さらには、カモワンタロットを使う方でも、この両者とはかけ離れた流儀や方法をもってされている人もいます。

しかしながら、それぞれの思想や技法を混同してしまっては、まさに混乱を来すばかりなのです。

それでも「違い」を知る人は実際には少ないですし、カモワン流はカモワンスクールが日本でもありますが、ホドロフスキー流の場合、正式なスクールのようなものは日本にはないと思われますので、ホドロフスキー流技術を日本で駆使されている方は見つけにくいと言えます。

また、技術の前に、思想や考え方、タロットに対する思いのようなものが各人あります。

そのタロットの技術を理解し、使いこなすためには、考え方を知る前提がいるわけです。でないと「仏作って魂入れず」ではありませんが、タロットも技術も活きないと思います。

まあ、そのことは、製作者の思いだけに関わらず、そもそも、あるタロットを活用していくのなら、そのタロットに流れる思想や歴史なども知っておいたほうが、はるかに「魂」が入り、使い方の質が違ってくると考えられます。

人間と同じで、ただの他人だと思っていた人も、その人の背景・内情を詳しく知れば他人事ではなくなり、特別な存在と見ることができるように、です。

一方で、あまり技法にこだわり過ぎるのも考えもので、結局のところ、大きな括りとして「マルセイユタロット」とすれば、自分の目的にかなうならば、誰のどの技術・考えを使ってもOKだという、柔軟な姿勢も大事かと思います。

とはいえ、まったくの無知では、柔軟性を出そうにも、そもそもがよくわからないので、いい(柔軟性ある)選択ができないと言えます。

ですから、やはり最低限の知識はつけておいたほうがいいですし、できれば、学びのうえでも、知識的な分野を多く身に着けたほうが、タロットの扱いに長けることになるでしょう。

言い換えれば、直感だけのタロット活用というものは、しょせん半分(一部だけ)のアプローチに過ぎないということです。(逆も言え、知識ばかりで直感性を無視するのも問題です)

さて、カモワンタロットの製作者のお二人、カモワン氏とホドロフスキー氏のタロットについて、カモワン流では「秘伝カモワン・タロット」という本と、ホドロフスキー流では「タロットの宇宙」という本が、日本で出版されています。(絶版や入手困難にはなっていますが)

残念ながら、本格的で大著である「タロットの宇宙」に比べて、ややライトで入門書的な「秘伝カモワン・タロット」とでは、質の違いが顕著です。(カモワン流が劣っていると言っているのではありません)

しかも、「秘伝カモワン・タロット」の本では、重要で肝心なことがあえて省かれており、説明がないとわからない部分も結構あります。それでも今や、古本でも、とても高額な扱いになっているようですね。

「秘伝カモワン・タロット」の最大の欠落だと私が思うのは、「タロットマンダラ」という、大アルカナのある構図、並べ方説明がないところでしょう。もちろんこれは、ある理由で、わざとだと考えられます。(ちなみにカモワン氏のホームページには「タロットマンダラ」は掲載されています)

一方、ホドロフスキー氏の「タロットの宇宙」には、私自身「風車マンダラ」と名付けている(笑)、タロット78枚による立体的な構図が掲げられています。(スワスティカマンダラとも呼ばれます)

さらに、大アルカナにおいては、両端に「愚者」と「世界」を置き、11から20(「力」から「審判」)と1から10(「手品師」から「運命の輪」)の10枚ずつを、上下二段組にした図も載せられています。

大アルカナにおいて、カモワン氏は「愚者」を当事者・修行者(旅人)として置き、ほかの21枚のカードを、3段×7列に置く「タロットマンダラ(カモワン氏談)」を思想の中心にしています。

そしてホドロフスキー氏は、先述したように、10枚ずつ二段組(下段が11から20、上段が1から10)と「愚者」と「世界」を両端に置く図を示しています。

両者では明らかに、基本とする(大アルカナの)構造図が違うわけです。

もっとも、カモワン氏も、ホドロフスキー氏のような、10枚ずつの二段組を使いますが、これは一見同じように見えて、実はホドロフスキー氏のものとは異なり、10枚ずつの組の上下段が入れ替わっています。(ホドロフスキー氏にもカモワン氏にも、その並べ方には理由があってのことです)

言ってみれば、同じ世界や宇宙を見ていても、その人の見方・とらえ方・分け方があり、カモワン氏とホドロフスキー氏とでは、同じタロットを使っていても、そこは違っているのだということが明確にわかるわけです。

すなわち、その違いこそが、タロット観の違いです。

先にも言ったように、究極的にはマルセイユタロットの表す(象徴する)世界はひとつ(同じ)であっても、見る人・扱う人によって違いが出てくるのですから、私たちも、タロットの技術について、どのオーダー(階層・システム)やレベルで見ているかを知ることが重要なのです。

その区別がついていないと、自分の使っているタロットと技術を人に説明できないばかりか、どの技法がこの場合有効なのか(逆にあまり役に立たないか)を自らが理解できず、困ることになります。(最悪、無知のまま、間違った使い道をしてしまうこともあり得ます)

例えば、上記でふれた二人の「マンダラ」の違いでも、単純に見たとしても、カモワン氏が3段であり、ホドロフスキー氏が2段で、数の違いがみられるわけですから、その区分が同じであるはずがないとわかります。

なぜ3段なのか、なぜ2段なのか、どういう時に、どのような理解のもとで、この区分を用いて活かすべきなのか、なぜあなたはそのどちらかを使用しているのか、何の目的と理想あってのことなのか…こういうことがきちんとわかってやっている人ならばいいのですが、そんなことを考えたこともない、あるいは、タロットを教えてもらった先生からも説明されていないなどのことでは、あなたは形式的にそれを使っているだけと言えます。

私自身は、今は何流でもありませんが、それぞれの違いを説明することができますし、規則性と柔軟性の、一見矛盾したようなタロットの使い方が自分でできるよう、その理由とともに指導しております。

タロットは、ただ占いなどに使われるだけのものではありません。

むしろこれからの時代は、思索のツール、思考道具(しかし、ただの知識ではないもの)として、私たちに宇宙の構造や進化を高レベルで理解していくための「導き(気づき・啓発)の書」のように使っていくものとして提示されると考えられます。

まさに、学び、感じ、「考える(破壊と再生的な思考です)」ことが、とても重要なのです。

「占ったり、リーディングしたりする使うタロット」(それも継続されますが)から、「考える(通常の思考を超えて)ためのタロット」ということが、今後は期待されるように思います。

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