シンボル・象徴の学習と効果
マルセイユタロットには、様々なシンボル・象徴があります。
それらは、論理的にも感覚的にも汲み取ることができ、ある意味、感性と思考を調整したり、統合したりできる機能があります。
おそらく女性性優位の方は、シンボル(象徴図像)を見て直感的に何かに気づく、あるいは意味を悟ることがあるでしょうし、男性性優位な方は、出ているシンボルを構造的に分析することで、意味を見出したり、確信を得たりすることが可能でしょう。
さて、そのようなマルセイユタロットのシンボルですが、一枚一枚の図像の中にたくさんの種類が描かれています。
マルセイユタロットの学習過程において、そのシンボル・象徴を発見し(伝授してもらい)、理解することが重要になります。
世間では、短期的なタロット学習の場合、それぞれのタロット一枚ずつの意味を、ただ「言葉・単語」として覚えるという方法が見受けられます。
しかし、それでは、一枚の中に描かれている様々なシンボルにふれることもないですし、そうしたものを活用するという発想すら出てきません。
これは非常にもったいないことです。特にマルセイユタロットの場合は、シンボル・象徴図が精緻に描かれ、全体から見ても整合性(論理性)をもって配置されています。
その仕組み・構造・意味を理解せずして、マルセイユタロットの活用はあり得ないと言ってもよいくらいです。
シンボル・象徴というものは、図で表されることが多く、だからこそ、民族や国、言語を超え、さらには時代も、個人による違いも超越して、いわば普遍的とも言える共通な型、本質を示唆します。
マルセイユタロットが多く製造された時代と地域は、18世紀のフランスですが、現代の日本人が使っても機能するのは、そうし理由があるからです。
ましてや、マルセイユタロットに描かれているシンボル・図像は、タロットが広く流布した時代よりも、もっと何世紀もさかのぼることができます。なぜなら、マルセイユタロットの中のシンボルが、実際に古い時代に見受けられるからです。
シンボル・象徴で何ができ、何が起きるのかということは、ほかならぬ、マルセイユタロットにいくつか描かれている「十字」シンボルで示すことができます。
十字、「+」のシンボル・図像は、デザイン的にも相当古いものだと推測されますし、まさに「シンボル」として、現代の我々にもなじみのあるものです。
実際にアクセサリーに使っている人もいるでしょう。
十字と言えば、キリスト教の十字架が思い起こされますが、マルセイユタロットのそれ(描かれている十字)は、「正十字」と呼ばれる上下左右の長さが均等なものがほとんどです。
これ(正十字が使われていること)には、歴史的・宗教的な理由など、隠された話も含めて、かなり深く長い話をしなければならないのですが、それらは講義で説明しているところです。
今、言いたいのは、この正十字のシンボルが、まさに、先述したように「シンボルそのもの」の機能を物語っているということです。
正十字の構造・デザインは、縦と横の同じ長さの線分が交差しているものです。ですから、構造的には、縦と横の線の領域があるわけです。
私たちが、グラフを使用する時も、横と縦の線を引くことをよくします。これは横のふたつの要素、← → と、縦のふたつの要素↓↑が合体したものですよね。
ということは、都合、左右・上下で、四つの区分け、性質があることがわかります。しかし、縦と横で違うように、縦線の二つと、横線の二つの性質は方向性が異なります。
しかしながら、正十字は縦と横という、方向は違っても、線の長さは同じです。
ここから考えられるのは、左右と上下、それぞれふたつの性質が対立していると同時に、それぞれが統合もしているということです。
さらに言えば、すべての線分が同じ長さ(クロスして分かれたように見える4つの線分でさえ同じ長さ)であるので、4つ(の要素・性質)全体を統合していると見ることも可能です。
言い換えれば、書かれてはいない正十字の領域を囲む円のようなものがあると想定してもよいのです。ケルト十字のような図ですね。
左右と上下は、方向が異なるので、何かしらの種類の違いはあるとはいえ、どちらにしても、ふたつのものが行き交い、交流し、両方(両端)をつなげています。(統合)
仮に、左右の両端を女性・男性とか、大人と子供とか、国とか文化の異なりとか、人間の世界による違いによる対立だとします。
ただ、今述べたように、対立ではあるけれど、両端は線としてつながっているわけで、言わば、交流による理解とか創造も生まれると見立てられます。それは「線そのもの」として見れば、ある種の統合と言ってもよいです。
そして、上下の両端についても、仮に、一人の人間の表と裏、顕在意識と潜在意識、さらには神性と人間性、天使性と悪魔性のようなものとします。
するとこれも、両端では対立していますが、ひとつの線だと見れば、ここにも交流が起き、統合されたものとしてとらえることができます。
これら、横と縦が交差(クロス)して、「自分」「自己」というものが形成されていると見るとどうでしょうか。
要するに、シンボル・象徴とは、私たちの内と外、個人と全体において、成長・統合させるために、形や直観的意味として見させてくれるものなのです。
私たちがシンボルを見る時、シンボル自体が私たちにもなり、そのシンボルが表す(シンボルが創造され、蓄積されてきた)世界に連れて行ってくれます。
そういう意味では、シンボルは一種の乗り物とも言えましょう。
ただ、それを活用するには、やはり直感だけでは不足で、きちんとシンボルの意味合いや背景など、様々な知識も必要とされます。
それは丸暗記のような学習とは異なりますので、学生時代、勉強がつまらないと思っていた人でも、面白く学べるところはあるでしょう。(何事も楽には行きませんが)
私自身もそうでしたが、本当にマルセイユタロットのシンボル・象徴図像を学ぶことはとても楽しいものです。知らないことも多かったですし、興味深い、新たな知識が学べるのはうれしいことです。
同時に、シンボルにふれてきますと、十字で説明したような、「交流」が起きてきますから(たいていは自分の中との交流)、自己に対する認識の変化、変容も起き、それに連れて現実も変わって来ることも生じます。
1枚ずつの意味だけ覚えて、すぐ占い師になる、みたいなことを望まれる方は、マルセイユタロットの学習には不向きです。
一方、じっくりシンボル・象徴の意味を学び、それらを活用してあらゆることを探求していきたいという方には、大いに勧められるのがマルセイユタロット(の学習)です。
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