人と違うからこそのタロットリーディング

この現実世界は、誰一人としてまったく同じ人がいません。全員、どこか違うわけです。

ということは、自分の問題は、究極的には、他人が解決できないということです。なぜなら、みんな、自分とはどこか違うわけですから、あなたの問題を完全に自分のものとして把握できる人は皆無だからです。(笑)

ですが、人はまた同じ部分、共通点持ちます。ミクロで言えば遺伝子構造が同じだから、「人」になっているわけで、人としての仕組みは同じなわけです。

またユングではありませんが、人は心理的にも共通のパターンを持つと考えられており、結局、思考・感情的にも、ある種の同じような型を持っているとも言われます。

同じようでいて違う、また、違うようでいて同じなのが(現実の)人間というわけです。

さきほど、究極的には自分の問題は他人には解決できないと言いましたが、矛盾するようですが、他人だからこそ、自分の問題を解決できる可能性が高まるとも言えるのです。

それは、自分とは違う部分があるのが他人だから、文字通り、客観視点でもって見ることができ、自分だけで考えて袋小路に陥っているような場合には、突破口が見つかりやすいからと言えます。

それでも、自分を救うのは自分であることには変わりありません。

当たり前ですが、他人が誰かの代わりになることができないからです。(完全に入れ替わることは不可能)

前にも言いましたが、たとえ誰かを救ったと思っていても、救われた本人自身が「救われていない」と感じていたら、それは救われていない、つまり、本当の意味ではその人を救ってはいないのです。

結局、その意味で、最終的には、自分で自分を救わねばならない(自分が救いを自覚しなくてはならない)ことになります。

しかし、だからと言って、他人が何をしても無駄ということではなく、本人が救われたと思う道筋をサポートすることはできますし、やはり他人の力がないと、本人自身ではどうすることもできないケースが多々あります。

タロットは、ちょっと大げさな言い方をしますと、人助けに使うことができます。その一番の方法は、タロットリーディングを行うことでしょう。

さきほど言った、一人一人違うからこそ、人は客観的視点をもって、別の人の問題点や解決点を指摘することができやすい点が、そのままタロットリーディングにも当てはまるのです。

さらに、これも先述したように、人は違っているけれとも、似たところを持ってもいます。

その似たところが、タロットの象徴性で把握することができるので、さらにタロットは人への援助に便利なものになってきます。

言わば共感性を持ちつつも、きちんと他人目線で、その人を見ることができるツールなのです。

しかも、マルセイユタロットの場合は、絵図には特別に仕掛けが施され、タロットに陥りがちな直感的判断の誤りやブレを修正する、論理的根拠も入っています。

また他人目線は、客観的ではあるものの、一方で、その人の思い込みが反映されやすいという場合もあります。

「他人」という、人の信じている、ある種の思想とか色メガネのようなものがあるわけで、それがかえって狭い視野にしてしまうこともあります。

それを防ぐのが、マルセイユタロットの絵図における論理性と言えましょう。

タロットを学習していくと、タロットリーダーとなって、他者援助をしてみたいという思いが出て来る場合があります。

それは、人として自然なことです。

ですが、中には、もっと完全に読めるようになってからやりたいとか、かなり、自分にブレーキかけてしまう人もいます。

もちろん、未熟過ぎる技術段階では、人に手助けどころか、迷惑になってしまうこともあり得るかもしれません。

しかし、ある程度学んだあとなら、自分の素直な気持ちに従って、人へのリーディングをしてみるのはよいことだ私は考えます。

その理由のひとつに、最初にも述べたように、人は誰しも違う部分を持つからというものがあります。

言ってみれば、誰しも、問題や悩みがあれば、誰かの手助けを待っているのです。

最後は自分でどうすればいいのかをつかむことはできても、それまでのヒントや道筋は、他人によってつけられていくことが多く、それは自分ではない者(他人)だからこそ、観点が違い、堂々巡りからの脱出を可能とさせるからです。

つまり、現実の世の中は、人(他人)あっての自分であり、自分あっての人(笑)なのです。

従って、まだ完全ではなくても、いや、完全ではないからこそ、他人へ(おせっかいにならない程度に)協力を惜しまないことがよく、それは結局は、自分を救う(完全性を回復していく)ことにつながるのです。

まさに、マルセイユタロットの「節制」の象徴(ふたつの壺を混ぜ合わす)で、協力、助け合いによって、お互い、人類全体を完全性に導くという感じでしょうか。

とはいえ、タロットリーディングにも段階やレベルがあり、お金をいただくとか、仕事として行うとかになってきますと、それなりの責任度が必要で、趣味レベルでやる時とは異なってきます。

人助けとして、積極的にタロットリーディングを活用してほしいと思う反面、自分の技術レベルや、責任の度合いにも、それ相応のバランスは取っておくことは求められます。

しかし、たとえまだ駆け出しの頃でも、上記を理解しつつ、他人目線というものは、今まで説明したきたように、それだけで人の力になる部分があるのですから、タロットという強力なツールを得たのなら、早い段階で、勇気をもって、他者へリーディングしていくこともよいと思います。

あなたはあなたでいるだけで、人とは違うのですから、それ自体が、人を救う力となり、あなたの存在価値として高いものがある(存在価値をよい意味で自覚できる)のです。

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