マルセイユタロット 三つの世界
マルセイユタロット、特に大アルカナでは、その構成上、3と7という数が基本となっています。(様々な見方、説があるので、異論も存在します)
今回はそのうちの「3」について考えたいと思います。
さきほど、「7」という数も出しましたが、「7」という数は「3」と「4」の数にも分かれます。
ですから、「3」を考えるには、「4」という数と対比させることで、その性質が浮かび上がることになります。ただ、そのためには「4」への理解も必要で、そうなりますと、もはや、タロットというより、数秘術的な話になってきます。
ここでは、数の話、数秘術を語るわけではないので、詳しいことは省きます。
ただ、「3」と「4」は相対されて、その合計が「7」となっているという構造には秘密と言いますか、マルセイユタロット的にも大いに関係してくる話だということです。
例えば、そのふたつの数をそれぞれに持つ大アルカナと言えば、3「女帝」と4「皇帝」があげられますが、この二人は、ある意味、夫婦であり、カップルであり、別々でありながら二人で一組という特性を持ちます。
「女帝」に3、「皇帝」に4がふられていることに、そのカードの象徴性を思えば、意図的なものであるのがわかりますし、数を詳しく知らなくても、何となく、3と4の意味合いも見えて来るでしょう。
さて、「4」は置いておきまして、「3」に戻りますと、そういうカード単体の数だけではなく、大アルカナ全体としても3の構成を見て取れます。
カモワン流とか、ユング派の(マルセイユ)タロット考察ではおなじみの、大アルカナの3段7列構図というのがあります。
これは大アルカナを横3段、縦7列で構成させるものです。そうすると、都合21枚になりますが、大アルカナは22枚で、あと一枚は「愚者」として、その図とは別のところに配置します。「愚者」は数を持ちませんから、こういうことが可能になるのです。
この構成では3も7も出るわけで、何かしら、3つや7つの段階や階層があるような図として見ることができます。
ここで3つのものにフォーカスしますと、3つのレベル、階層、段階、世界などとして、3視点を持つことになります。
改めて3というものを考えますと、まず、時間感覚、時間のとらえ方というのがあります。すなわち、「過去」「現在」「未来」という見方です。
この3視点があるからこそ、私たちは時間の流れを、まさに「経過」として見る(思考する)ことができるのです。
ほかに、スピリチュアル的にはよく例えられる、スピリット(霊・魂)、マインド(精神・心)、ボディ(肉体・物質)という3つのとらえ方があります。
また、宇宙、世の中の生成の観点では、創造・維持・破壊、あるいは始まり・頂点・終わりというような流れで見ることもできます。これらは、それぞれをつかさどる「神」として表現される宗教や文化も結構あります。
同じような流れとして見れば、「原因」「過程」「結果」という3つもありますね。そして宗教と言えば、キリスト教の三位一体も3が出てきます。
ほかに一般的な見方でも、基本(初級)・応用(中級)・独自(上級)というような段階も3つと言えます。
何事も、大きな分け方としては、陰陽とかの二元(ふたつ)がまずありますが、上記で示したように、次には3つの分け方、見方が登場し、そして4へとつながるのが、タロットにおいても象徴的に示唆されており、とても重要な数の分類です。(四つの基本数、四つの基礎的段階)
そうしますと、2と4の間でもあるのが3ですね。(本当は数秘的には、1と3、それに対する2、そして4という風に考えることも必要なのですが)
3は数秘的な意味では、創造(裏では破壊)ということになっていますが、それは1という完全性から、2、二元(ふたつの分離)状態になり、そこをさらに統合しようという第三の視点が現れる(第三番目が新たな創造点になる)からでもあります。
3は創り、壊す(2の世界を創り変えるため)段階であり、先述したように、対立したふたつを結びつけ、調和させるものでもあります。
ふたつの間に入るものということでは、3は重要なポイント、調整・調律点にあると言えます。
見えるものと見えない世界、光と闇、白・黒、善と悪、理想と現実みたいに、単純にふたつの見方だけに分けてしまうと、その間、過程、段階、グレーゾーンというものが消えしまい、デジタル的なオンオフ感覚で支配されることにもなりかねません。
言い方を換えれば、単純な二元論は、ますます対立を増長させ、全体(統合)が見えなくなってしまうのです。だから、間を取り持つ3という数と視点が大切になってきます。
ところで、仏教の天台宗では、「一心三観」という観法があります。
簡単に言えば、世界を三つで見て行く方法ですが、その三つとは、一切の存在を空(くう)と見る「空観(くうがん)」、仮の現象としてあると見る「仮観(けがん)」、そのどちらでもあり、どちらでもないと同時に見る「中観(ちゅうがん)」というものです。
この考え方と言いますか、見方は、非常にマルセイユタロット(の三つの観点、分け方)になじむと思っています。
また変にスピリチュアルに傾き過ぎたり、逆に現実的過ぎて囚われてしまったりすることなく、バランスを保ち、自己を調整させていくのに、とても有意義な観点だと感じます。
例えば、空観に傾いている人は、ひところ話題となった非二元論(何も分離せず、ひとつだけの世界という見方)の短絡的な思想に似ている(非二元論が悪いと言っているのではなく、それを浅はかに見てしまう人が問題と言っています)ように思いますし、資本主義、競争世界の中で、物やお金、能力による勝ち組を目指す考えは、現象を本当に実体として見てしまう「仮観」的な過剰だと考えられます。
マルセイユタロットの大アルカナも、象徴を理想的なものとして見過ぎてしまうと、あまりにも抽象的世界に飛躍(妄想・逃避)してしまい、「何もない」という、「無」で、感動も心も何もないような、妙な悟り感覚になってしまうおそれがあります。ニヒリズム、あるいは現実逃避に近いものでしょうか。
また占い的に現実での吉凶判断、現世利益を求めるためのツールとして使うようになってきますと、さきほど述べた「仮観」の世界にどっぷりつかることになってしまいます。
よって、空でも仮でもない、中観的な見方も入れて、大アルカナの象徴性を活用するとよいかと思います。
これも、よりよい「3つ」の視点と活かし方かと考えます。
私の講座では、このマルセイユタロットにおける3の視点を、より詳しく、また理解できるように解説しています。
現代人の陥りがちな盲点と同時に、精神や霊的なことを学ぶ人にも罠となる仕掛けが、3つの視点によって、よくわかるのです。
一方、小アルカナでは4の視点が重要になってきます。結局、3と4で、初めに戻りますが「7」になること(ある意味では、「7」を超えること)が、マルセイユタロットでは求められていると言えましょう。
※秘密情報として(笑)、「運命の輪」と「審判」、つまり10の数を基本とする大アルカナカードには、3と4との世界をリンクさせる仕掛けがあると言っておきます。
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