タロット、時間感覚、記憶、ストーリー、世界

タロットリーディングにおいて、時系列的に、「過去」「現在」「未来」を読むことがあります。

しかし、タロット占いでは、たとえ「過去」は取り扱ったとしても、重要視されないことが多いです。

それは、ほとんどの占いに来る相談者の関心が、終わった過去のことより、「今どうなの、これからどうなるの?」というように、「今後」にあるからで、極端に言えば、過去の話などいらないのかもしれません。

占いの場合はそれでよいかもしれませんが、リーディングになってきますと、「過去」はむしろ大事になってきます。

心理的にも過去のデータ(体験・経験・経緯・出来事などの記憶、思い)が現在にも影響を及ぼしていると考えられるからで、さらに言えば、それは「未来」にも関係してくると想定できるわけです。

ということは、時系列的に一番重要なのが「過去」だとも言えます。

ただ、やはり、中心は「現在」であり、現在の状況に問題を感じている、悩んでいる、何とかしたいと思うからタロットリーディングを行うことが多いわけで、そういう意味では、「現在」が最重要ポイントと言えるかもしれません。

しかし「現在」という定義が実は難しく、厳密に言えば、刻一刻と時は移り変わっているわけで、すぐに「現在」は「過去」になり、逆の視点では、「未来」がずっと押し寄せてきて、「現在」が流されていくという解釈にもなります。

すると、「現在」というものはないことも考えられます。私たちは、「過去」と「未来」のはざまをさまよって生きている存在なのかもしれません。

いずれにしても、「過去」は無視していい時点ではないと思えます。

特に心理的な問題を抱えている人、本人が気づいていなくても、同じことを繰り返し問題化させていたり、なぜかずっと気になって仕方ない状態が続いていたりする人などは、「過去」をタロットリーディングする必要はありそうです。

また、「未来」についても、単なる「こうなる」「こういうことが起こるかも?」というような占い的な話ではなく、自分の目標、希望、願望、恐れ、不安、さらには幾つもの想像される選択肢(それは意識・無意識の両方)など、様々に考えられます。

時間を普通に「過去」→「現在」→「未来」という具合に一方向に流れていると見るだけではなく、その反対の、「未来」から「過去」に向かって流れている視点もあると、リーディングが変わって来ることがあります。

例えば、「未来」の設定(イメージ)があやふやであれば、現在をどうすればよいのかも不明慮ですし、逆に未来をはっきり定めていれば、そこに到達する手段や方法も、今現在から具体化しやすくなります。

ほかにも、「未来」をよくすることができれば、過去の、自分がネガティブでダメだと思っていたことが、未来のための糧、必然事項と変化し、「過去」の印象そのものがチェンジすることもあり得ます。

「過去」の印象がよくなれば、「現在」へもその影響は及び、つまるところ、「過去」「現在」「未来」すべての時系列がよい意味で変化することで、それはもう「人生に充実感あり」と同意儀になってくるでしょう。

それで、前にも「運命の輪」に関係させて書いたことがありますが、私たちは、時系列を認識する時、「過去」から「未来」への一方向の流れとか、「過去」「現在」「未来」の三つの概念でとらえようとします。

しかし、先述したように、時間は「未来」から「過去」へ向かったり、「現在」というものがあいまい(もっと言えば「時間」そのものがあやふや)だったりすることも考えられるのです。

そういった多くの時間の感覚・考察を導入することによって、単純で常識的なリーディングから離れ、時空を超越したかのような読みや気づき、変化をもたらせることが可能になります。

ところで、時計的な一様に流れる時間とは別に、よく言われるように、一人一人の個人的時間感覚があります。クロノスとカイロス時間の違いですね。

ということは、特に個人においては時間が異なることもあるわけで、だから、個人それぞれで感じている世界も違うと想像することができます。

そして最初に述べたように、「過去」という記憶は、意外にほかの時系列に影響を及ぼしていますから、記憶によって、時間の感覚も変わって来たり、世界そのものも変わったりする可能性もあると考えられます。

記憶と時間、世界ということでは、マンデラ効果(エフェクト)ということが思い浮かびます。

これは、事実とは異なる記憶を不特定多数の人が持っていることを表す言葉ですが、実際には、その人たちの記憶違い、勘違いのケースだと考えられます。(インパクトの強い似たようなことがあって、多くの人に間違って共有された記憶となったと想像できるもの)

ただ、あえてエンターテイメント的に言えば、アニメでよく表現される「世界線」(パラレルワールドのような、いくつもの世界に分かれる線)が変わり(乗り換えられ)、別の世界へ来た状態ということもありそうです。

たくさんの人が同じ記憶を持っているのなら、それは記憶違いではなく、本当にその記憶の通りの世界があり、その後、世界線が変わって、その記憶とは別の世界にシフトした人が多くいるという解釈です。

日本のマンデラ効果で、かつて話題になった、コカ・コーラ社から1970年代に販売されていたと噂される「ファンタゴールデンアップル」の話があります。

実は、私も、このファンタゴールデンアップルは確かにあった、飲んだという記憶があり、小学生の頃にかなり学校でも話題になったようなイメージが残されています。その瓶とか、飲んだシーン、場所など、ありありと記憶しています。

ただし、コカ・コーラ社からは、ファンタゴールデンアップルはその当時には販売していないと正式に発表されています。

それで、「いったい、私の記憶にあるものは…何?」と思ったわけです。

実はファンタアップルという商品は販売されており、同時期に「ファンタゴールデングレープ」という名前で、まるで黄金色に見えるジュースが、わずかの期間、売られていたとのことです。

おそらく、それらが混同され、間違った記憶になっていたのだと思います。私が飲んだのは、たぶんファンタアップルでしょう。

それでも、いまだにファンタゴールデンアップルなるものは存在した、実際飲んだという人が結構いるようです。

何が言いたいのかと言えば、別に世界線が変わったとか、パラレルワールドに移行したという話(それもスピリチュアル的には興味深いのですが)ということを強調したいのではなく、このように、記憶というものの支配は、強固で、時には信念になったり、事実と変わらないものとなったりして個人の中にあり、さらには、たくさんの人との間で共有されることもあるということです。

もし洗脳があるならば、それは洗脳された側では、もはや事実であり、記憶が時間(感覚)とも関係し(特に過去から未来に時間が流れていると信じる場合)、人の一生も支配しかねないわけです。

人は記憶で生きているとも言え、そうすると記憶は事実とは異なってきますので、人は幻想の中に生きていると例えられるかもしれません。

一人一人の世界とストーリーがあり、それは皆、夢の中にいるようなものです。別の意味で夢中なわけです。

マルセイユタロットに「月」というカードがありますが、このカードが18という上の方の数を持ちつつ、幻想的な世界を象徴し、7を基準にすると、11の「力」、4の「皇帝」とも関係して、現実に多大に影響を及ぼしていることがタロット的にわかります。

記憶と幻想は変えることが可能ですので、個人のストーリー、人生の意味合いも実は柔軟に変化させられるのではないでしょうか。言わば、思い込みの世界なので、どう生きようが、自由と言えば自由です。

問題や悩み、その解決とか解消も、つきつめれば同じ幻想世界の中での話です。それは一種のゲームと言えましょう。

真の解放は、やはり記憶や時間、定番なストーリーからの疑い、解除から始まるのではないかと考えられます。

人や自分の問題をタロットで扱いつつ、そういうことを想うところがあります。

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