「戦車」「力」協力と自立

マルセイユタロットの大アルカナで、動物と人間が一緒に描かれているカードが何枚かあります。

中には人はいなく、動物だけというカードもありますが。

こうした動物とセットで描かれているカードには、当然ながら、人と動物とのなにがしかの関係が象徴されており、協力、あるいは対立するような関係性も示唆している可能性があります。

また動物のように見えていても、本当は獣的な動物ではなく、むしろ人間以上の存在か、実は描かれている人間の(中の)別の形(存在・エネルギー)を表していると考えられるケースもあります。

さて、動物と人が一緒に描かれているカードの中で、今日は「力」と「戦車」を取り上げたいと思います。

この二枚のカードは、人が動物をうまく扱っている様が見られます。「力」はライオンを、「戦車」は馬を、です。

「力」の場合、人(マルセイユタロットの口伝では、この人物は人間ではないと言われていますが)は女性で、「戦車」は男性です。

このことから、この二枚は意図的に、人が動物を操る者同士の関係で、女性(性)と男性(性)のペアになっていること、さらに、動物においても、ライオンという肉食獣と、馬という草食動物という組み合わせ・対比になっていることがわかります。

動物もライオン一匹と、馬二匹の違いがありますが、そういう1対2の関係性(むしろ2から1への統合的関係性というべきでしょうか)も意図的なところが感じられます。

もっと言いますと、ライオンは、もしかすると、二匹に分かれる部分があるものとも推測されます。

結局、「力」と「戦車」は対(ペア)になるカードだということです。

そのペア性にもいろいろな意味が隠されているわけですが、ともかく、両者の共通点は、人が動物を扱い、支配やコントロールしている状態だということです。

どちらの動物も、無理に抵抗することなく、自然体です。ただ、馬は飼いならすと従順になるのはわかりますが、ライオンはなかなかそうは行きません。

ということは、「力」の女性は一種の猛獣使いのような能力があり、「戦車」が男性(的)であるので、余計にこの「力」の女性の文字通り“力”のすごさがわかります。

フランス語で(日本語読みすると)「フォルス」とされている「力」は、いわゆるパワーではないことも示されています。この力(フォルス)が何なのかは、今回はテーマではありません。

今日言いたいのは、自力と他力、協力とその使い分けということです。

「戦車」は馬がいないと走れませんが、「力」の女性は走るわけではないので、一人でもいいはずです。

しかし、ライオンを自分の力とすることで、おそらく自分以上の力を発揮しているのでしょう。もしくは、ライオンを駆使することで、「戦車」の馬のように、何かを行うことが容易になっているのかもしれません。

「戦車」は純粋に、馬の力をそのまま活かしていると言え、言わば、馬に乗ることで「走る」という人間単独の力を増強しています。

一方、「力」の女性は、ライオンによって具体的に何かが補完されているようには見えません。ライオンを自らの支配に置くことで、自分の力を誇示しているようにも見えます。

「戦車」は一見、その御者である人物は自立しているかのようですが、馬の力がないと行けるところが限られ、運べるものも運べないかもしれません。

ということは、「戦車」では自分の力の弱さ、足りないところを、馬、すなわち象徴的には他者に補ってもらってはじめて目標が達成されるわけです。

言い換えれば、他者によって自立できる状態です。

しかし、「力」の場合、女性一人でも自立できているように見え、さらにライオンを取り込むことで、何か、常識を超えた力を発動しようとしているように見えます。

つまり、自立したうえに、さらに他者との協力関係によって、(これまでを超えた)巨大な何かを行うことができるという印象です。

ライオンは肉食獣なので、本来、人間とは相いれず、場合によっては、人が食われてしまうおそれもあります。立場が入れ替わり、ライオンが人を支配することもあり得るわけです。

一方、馬の場合は草食獣なので、馬が人間を食べるようなことはなく、馬が人を支配することができません。

こうして考えますと、「力」の女性とライオンの関係は、極めて危ない対立関係でもあり、それでも、「力」の女性は、ライオンをまるで子猫のように扱い、ライオンも女性に体を預けているようなところが見えます。

私たちが真に自立に向けて、自らを完成させていく時、一見、対立関係にある相手とも、最終的に協力し合うことで、信じられない事業とか、目的が遂行可能になる場合があります。

それは対立したり、ライバルとなったりする相手というのは、それほど力があるからで、うまく和合すると、自分の力が倍増どころか、特殊な力が生み出される、フュージョンのようなものなのかもしれません。

「戦車」の段階では、まだ自分自身の力の自覚が足りず、それでも何とか、他人の力を借りて物事を進めることができることは知っており、協力関係の始まり、ノーマルな協調関係と言えましょう。

「戦車」でも、もし御者、つまり自分が、一人で何でもできる、あるいは、一人ですべてやらねばらないと思い込んでいては、遠くに行くことも、多くの荷物を運ぶこともできなくなります。それだけ自分に負担がかかり、悪くするとつぶれてしまいます。

また、他者との力関係がわからず、無理をさせると(必要以上に相手に背負わせる)、馬のほうがつぶれて、進めなくなります。

このように、「戦車」では、自分の力と相手の力との関係、できるできないの能力(知識や技術も含む)の内容をよく知り、相手と自分が無理なく、ともにうまくいくよう調節していくことが課題として見えてきます。

これも、真の自立のために、独りよがりにならず、他者との協力関係を学ぶということのひとつでしょう。

そして、「力」の段階では、スムースに協力できる他者とは限らず、場合によっては、対立関係にある者、協力が難しい者たちとの間でも、一緒にやっていくシーンがあり、それには相当な工夫と能力が求められるわけです。

それは力づくではない、その逆のとも言える柔軟な姿勢であり、誇りと自信とともに、和やかで大きな受容力も必要だと、「力」からはうかがえます。

「戦車」の前の数の「恋人」カードでは、人間たちは迷っているかのような描写もあり、それには依存や支配の間で揺れ動く様も感じさせます。

これが次の「戦車」になれば、うまく馬を乗りこなし、自信をもって選択し、進んでいるように見えます。

これは、自分が主人公であることの自覚ができており、他者との協力を採り入れつつ、自分の人生は自分がコントロールして生きようと決意した状態と言えます。

それが、「力」まで来るどうでしょうか。

「戦車」までのことはわかったうえで、周囲、あるいは自分自身との新たな関係性を持ち、これまでにない力を発揮し、新規のステージへと統合、飛翔しようという構えのようです。

かなり異物感のあるライオンと女性との、ほぼ一体化で、特別な自分へと生まれ変わると考えられます。自立を超えた自立とでも言えましょうか。

ライオン頭の神と言えば、エジプトのセクメト神が思い浮かびますが、この神が女神であることからも、おそらく、「力」のカードとは無縁ではないでしょう。(動物頭とか動物胴体のキメラ人間は、異物との融合が特殊な能力を生み出すことや、人間を超えた超常性(ある意味神性)をイメージさせます)

セクメト神は破壊と恐怖の神と同時に、病気を癒し、回復させる神でもあります。異なる二面性が強調されていますが、その二面も、結局は本質的には同じものであり、強力なものが破壊にも癒しにもなるということでしょう。

「力」のライオンの象徴は、対立する他者とか、相容れない者たちというだけでなく、自らにある強力に抵抗する力、動物的・原初的エネルギーとも言えます。

これと自らが融合し、ライオンに類するものをコントロールすることで、強大な新たな自分になると想像されます。ゆるぎない自分の確立と言ってもよいでしょう。

その前には、私たちは、「戦車」になる必要があり、他者依存でもなく、支配的・独善的でもない、自らを主人公とした、他者と自分とのバランスよい協力関係を自然と行えるようにしていきたいものです。

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