予言、2025年問題などについて。

2024年のスタートが、あまりにも大きな災難から始まったこと、ほかにも悪い出来事が連続したために、これからの先行きを不安に思う人も多いようです。

また、スピリチュアル界隈とか予言の世界では、少し前から2025年問題というのがささやかれています。これは2025年に日本にすごいことが起きるというものです。

このすごいことというのが厄介で、たいてい悪いことや災害という類で言われています。予言によっては、(あえて書きませんが)月日まで指定されています。

予言的なものは、ネットでも結構昔から人気です。これから先、どうなるのか知りたいというのは、人情の面もあるからでしょう。特に世情が不安定であると、余計に未来がどうなるのか知りたくなる人も増えるのだと思います。

ただ、これも古くからよくあるパターンですが、自分(とか特定の組織)に注目を集めたいがために、わざと大げさに不安を煽るような予言をする者がいます。

目的は集金であったり、宗教などの組織に入会させたりするものが多いでしょう。現代では、承認欲求を満たしたり、動画などの再生数稼ぎや、セミナーなどの集客目的だったりなどの場合もあると思います。

ここで、ちょっと前を思い出してください。

コロナ禍のケースでは、果たして、コロナ前にコロナウィルスの病が世界的に流行って、自由がかなり制限される状況を予言した人がいたでしょうか? 病気の流行くらいの予言はあったかもしれませんが、コロナのことを正確に言い当てたような人は見受けられなかったと思います。

そして、コロナ禍になって、当時、いろいろな人が今後のことを語り出しましたが、その多くはやはり不安を煽り、悲惨な未来をイメージさせて、集客のネタにしたり、欲望的な意味で、自分になにがしかの注目を集めようとしたり人が少なくなかったように思います。

結構、化けの皮がはがれたと言いますか、コロナ禍という非日常的なことが起こって、その人の本性が見えたという場合もありました。

もちろん、皆さんのためを思って危機を訴えたとか、災難に備えさせようという気持ちの人もいたと思います。今の予言も、親切心から出ているケースもあるでしょう。

それでも、怖い予言をしてどうするのかという疑問が、個人的にはあります。

確かに何の備えもせず、能天気に生きるのがよいというわけではありません。実際、地震や台風など、日本では自然災害も多いのは周知の事実です。

私は阪神大震災を経験しましたが、当時、関西圏では地震の危機感は皆無に近く、神戸あたりでも、大地震など来るはずもないという一般的な雰囲気がありました。(実際は何度も大地震が過去に起きていたのですが)

しかし阪神大震災が起こって、その後からこの地域だけではなく、全国的にも地震に対する防災意識、対策が高まりました。そういった意味では、先に備えや引き締めの気持ちを抱かせるために、危機の予言もありかもしれません。

とはいえ、やはり怖い予言はあまり有意義ではないと思います。それは先述したように、そうしたことを利用して、利己的なものに誘導する力が働きやすいからです。
また、ただでさえネガティブな人が多くなっている時代に、希望をやる気を失わせることにもなりかねませんし、よい社会に変えていくにはどうすればよいかという思考や動きが停止し、受け身にただ運命を待つとか、怖いことが起きるのなら、今享楽的に生きればよいというような意識に囚われる人も出るでしょう。

一言で言えば、創造性が失われるわけです。

もしスピリチュアル傾向の人が言うように、人々の意識が現実を作るのなら、不安と恐怖の予言によって、多くの人の想念がそれになり、本当に未来は暗いものになりかねません。(逆に、たくさんの人が予想すると、その通りにならないという逆張り現実説もあるようですが)

タロットも占いだと思われていますので、先行き・未来についてどうなるのかタロットで見てほしい、見てみたいという人が結構います。むしろそれがタロットの使い方ではないの?と誤解している人もいるくらいです。

エンターテイメント・遊びの意味で、「今後どうなる?」と、タロットで見てみるのもありかもしれません。

しかし、私としては、特にマルセイユタロットでは、そういった使い方はあまりお勧めしないものです。

(マルセイユ)タロット使いは、魔法使いではありません。未来のことを当てたり、自我(エゴ)の思い通りに環境を変えたりするようなツール(と人)ではないのです。

恐ろしい未来がタロットで示されたとして、いったいそれが何の役に立つのでしょうか?

それこそ、「こんな恐怖の未来がタロットからわかった!! 動画を見た人だけがわかる衝撃の未来!!!」という、おどろおどろしいサムネイル・タイトルで人を惹きつけ、動画再生数を稼ぐくらいです。(笑)

タロットを使う者は、タロットの奴隷(タロットの言いなりになること)でもありませんし、反対に、自分のエゴのためにタロットを都合よく扱うのも問題です。

予言のことに戻しますが、2025年にたとえ何かあるにしても、反省や備えをすることを忘れずにしつつも、何が起きるかなどはどうでもよいとし、今の自分を悔いなきように生きていくことだと思います。(不安になることを否定することでもないですし、ダメな一日、悔いのある日々もあるのが普通で、それも含めて人生を旅していると考えます)

ところで、マルセイユタロットは13番のカード以外は、見た目は特に恐怖を感じないものです。(16「神の家」も、ウェイト版ほど破壊の絵柄ではありません)

従って、どうせ先行きをタロットで見るのなら、「どうなる?」としてカードを引くよりも、「どうすれば(よい)未来を築けるか?」として引いたほうが建設的です。(ちなみに先述した「神の家」には、建設していく意味もあります。神への建設、すなわち神性の自分に適った選択と行動が意味されるのです)

そして、できれば、明るい未来を想像し、実際に皆さんで創造していきたいものです。

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