人間の選択、マルセイユタロットの指針

マルセイユタロットと言いますか、伝統的タロットでは、78枚を一組にし、大アルカナ22枚、小アルカナ56枚という構成になっています。

二部構成のアルカナは、その数から、大アルカナは3と7、小アルカナは4と10の原理によって解釈可能です。

特に、3と4の違いが、大アルカナと小アルカナにはあると考えられます。

大アルカナと小アルカナは、いわば次元が違うので、同じように見ては理解ができなかったり、うまく使いこなせなかったりします。

さきほど、3と4の違いがあると言いましたが、大アルカナの3は縦に見て、小アルカナの4は横に見ると適切になってくると思います。

ところで、人は何かを選ぶことで人生を過ごしているとも言えます。人生において、選択がないことはめったにありません。一日単位でも、一年単位でも、常に選択の連続と言えます。

ゆえに、人は選択に迷い、悩むことが多くなります。そして、タロットを使う者、あるいはタロットリーダー、タロット占い師に相談する者も、やはり、自分の何かの選択についてが主題になることがよくあります。

そこで、さきほどの大アルカナの3と、小アルカナの4を、選択のテーマで見ます。

すると、選択には7つ(3+4)の方法(区分)があって(考え方によっては3×4の12)、大アルカナ縦の3と、小アルカナ横の4に分けられます。

これを別の言葉で表しますと、大アルカナには3レベルの選択があり、小アルカナは同レベルながら4つの性質があるわけです。

大アルカナの三つのレベルとは、言わば低・中・高の選択段階があるとも表現できます。ただし、ここでいうレベルの違いは、縦階層ではあっても、低いものが悪くて、高いものがよいというわけではありません。

三つのレベルは、あえて宗教的に言えば、神から見た選択と人間的な選択、その中間的な選択があるというものです。神の選択はもっとも高次ではあるものの、それが必ずしも、普通の人間にとってよい選択であるとは限りません。

なぜなら、高いレベルになればなるほど、一人の人間の良し悪しなど、どうでもよくなってくるからです。多数決ではありませんが、宇宙全体の進化のために、ただ一人の人間への忖度はないみたいなことです。

※(別に人の犠牲を肯定しているわけではありませんし、小宇宙大宇宙の法則からすれば、一人の人間と全体とはリンクしていると考えられ、おそらく全と個が切り離されて進化するものではないとは想像できますが)

神の思し召しという言葉があるように、神様の考えるレベルとか規準は、我々人間にはわからないものです。でも、人は自分の人生を普通に生きているわけですから、通常レベルでの選択における良し悪しを無視するわけにもいかなくなります。

ワタクシの事情というものに神は考慮してくれなくても、ほかならぬ、ワタクシ自身はワタクシのためによい選択をしなくてはと思うわけです。

しかし、一方で、神次元からすれば、一人の人間の本当の成長のためには、その人にはわからないレベルで善きことがあり、その選択を勧めることもあるでしょう。人間レベルだと欲望や私情に囚われて、目が曇ってしまうこともあるからです。

もし天使という存在がいるのなら、天使は、そうした高い神の次元と、普通の人間との間に介入して、相互理解と、人の本当の成長(霊的進展)のために働きかけることになるのではないかと想像します。そういう意味では、天使の選択もあるということです。

マルセイユタロットの大アルカナは、この三つの階層の選択を示唆しているものと考えられます。

ただ先述したように、どれ(どの階層の選択)がよくてどれが悪いというのではありませんし、このカードが出れば特定の階層の選択をすべしというものでもないと考えます。

大切なのは、三つの階層を総合的に判断し、なぜそのカードが今回出たのかの意味をよく見極め、結局、自身自身の成長に役立てることではないかと思います。

一方、小アルカナの世界は、人間レベルの選択における4つの性質を表し、すなわち、四大元素の風・水・火・地で、物質的には剣(ソード)・杯(カップ)・杖(ワンド)・玉(コイン)になります。

簡単に言えば、四つの視点・見方みたいなものです。

人間世界は、損得や、快不快・好き嫌いなどの感情、時間や投資の効率性、やりがい・生きがい、面白い面白くない、関心無関心などの判断の規準があります。(人によって異なる規準にもなっています)

これを分析するのに、4つの性質は役立ちます。自分は何を重視して選択するのか、また、足りない性質、考慮すべき性質は何なのかなど、こうしたことに小アルカナは使えます。

個性を特化していく、悪く言えばわがままを突き通すみたいな選択の使用法もあれば、バランスを見る、統合的な自己成長のための選択に使うという道もあります。後者は結局、大アルカナに通じる道であり、やはり、マルセイユタロット的には、人間が神に戻る方向性(霊的成長)を示唆しているのではないかと考えます。(使い方にもよりますが)

マルセイユタロットを使っていくと、現に私自身がそうですが、現実的なことにおいて、タロットを使って何かを選択するというようなことは、ほとんどなくなってきます。そして、タロットで何かを決めるという使い方に、空しささえ覚えるようになります。

ですが、それがよいと述べたいのでもありません。

タロットで物事を決めることも別に悪いわけではありませんし、タロットの使い方ではメジャーな方法でしょう。従って、それもまた自分の選択であり、どのような使い方をするのかは自分次第で、それにタロットは応じてくれるというわけなのです。

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