タロットリーディングのスタイルについて その2
前回はタロットリーディングのスタイルにおいて、プロかアマかについて述べました。
今回は同じタロットリーディングのスタイルについてでも、自分の個性という点から見てみたいと思います。
だいたい、自分のタロットリーディングスタイルは、
1 タロットの種類
2 学ぶ先生や資料(本、動画等)
で影響されることが多いです。
1は端的に言えば、ウェイト版(ライダー版)かマルセイユ版か、あるいはその他(特に創作系)かという括りになるでしょうか。
ウェイト版を採用している人は占いスタイルが多くなりますし、マルセイユタロット系では、日本では奇しくもホドロフスキー・カモワン版の人がたくさんいますので、その特徴としてのカウンセリング的なスタイルになりやすいように思います。
次に2ですが、やはり、人はモデル・型から入ることが普通ですから、自分の学んでいるスタイルにどうしても似てきます。言ってみれば先生をコピーするような感じです。しかし、今日の主題にもなってきますが、それが自分の個性と合っているかは別問題です。
1にしろ、2にしろ、最初に自分に影響を大きく与えるスタイルが、そのまま自分のタロットリーディングスタイルへとなってしまうのは仕方ないことです。
ところが、すでに触れましたが、自分に影響を与えたスタイルが、自分自身に本当に合っているかどうかということが、のちのち問題になってきます。
いわゆる「守・破・離」で例えられるように、最初は型を学び、次第に自分のものにしていく中で「型破り」となり、やがては完全に「自分独自」のスタイルを構築するようになるプロセスが、あらゆる分野での習得過程にあると言われます。
タロット(リーディング)にも、これは適用されると考えます。
ですが、あまりに最初に学ぶ型が、自分の個性とかけ離れているもの、言い換えると、自分の個性を殺すようなものだと、学ぶ最中も苦しいですし、なかなか上達や進展を実感できないかもしれません。
いずれにしても、忠実に教えを守って実践してはいても、どこかでその窮屈さ・葛藤が顕在化し、タロットを扱うことさえ嫌になてしまう時期が来ます。
そのような人は、早い時期に、守から破どころか、離を選択してもいいケースがあるでしょう。それでも学んだことは無駄ではありません。
まず、自分のスタイルを確立するうえで、どんなものが合っていて、どんなものが合わないのかが明確になったわけで、その恩恵があります。
また、最初に学ぶ基本というのは、タロットの種類やリーディングスタイルに関係なく、共通していることがほとんどですから、それ自体はむしろ必須であり、通らねばならない道であったと言えます。
人は葛藤に対して、それを統合しよう、解決しようという働きが自然に出てきます。言ってみれば、苦しんだ分、悩んだ分だけ、もっと成長できる可能性が高まるのです。
ただ、苦しみ続けること、わけもわからず、つらい状態を選択し続けるのは精神的にも、生き方的にもよくないと言えましょう。
今の自分としての人生は有限ですから、そこには無駄とか効率とかの意味が出て来るわけです。
タロットを学び、リーディングを実践するような人は、ほぼ全員、(その)タロットが好きか、タロットに関心がある人なはずで、仕事でやむなくとか、嫌々タロットを学ぶという方はあまりいないでしょう。
それならば、タロットのことでつらくなるのは、本末転倒な話です。もちろん、成長や上達の過程で悩むことはあるでしょうし、それは自然なこととも言えます。しかし、好きなタロットで、つらい・苦しいが続くのはおかしな話です。
それは、何かが間違っているか、自分には合わないスタイル・方法を取っているからです。
合う・合わないにおいて、よくあるのは、イメージ、感性、感覚、インスピレーション、雰囲気的なもの、自分の感じたもの(見えない領域とのコミュニケーションを含む)が主体のリーディングスタイルと、思考、論理、理屈、意味、言葉、相手(実際・見える領域)とのコミュニケーションが主体のリーディングスタイルとの違いがあげられます。
タイプ的に、自分が前者なのか後者なのかによって、別のスタイルを中心とした方法に力を入れてしまうと、当然ながらうまく行かなかったり、苦しくなったりします。
タロットリーディングというものは、実は両方のものを統合したところにあるとは個人的に思いますが、それでも、自分の個性というものはありますから、合っているほうで続けて行く、伸ばして行くほうがやりやすいでしょう。
途中で自分の今取っているスタイルと、自らの本来的なものとの齟齬、相性の悪さに気づいた人は、自分の思うものを信じて、スタイルを変更するとよいでしょう。
たとえ指導を受ける先生とは異なるスタイル、違う方法になっても、それが自分に向いているものであり、楽にリーディングできるものならば、そちらのほうが正解と言うこともあります。
しかし、先生・指導者によっては、生徒さんの個性をわかったうえで、あえて別のことを指導している可能性もありますから(それは、さらなる生徒さんの飛躍・発展とか、アンバランス部分を補うためなどの理由があります)、一概には言えません。
まあでも、タロットを極めようと必死な思いでやるよりも、時には愚者のように気楽に、しかし目的意識(自分がタロットを使ってどうしたいのか、何がしたいのか)はきちんと持って、自分流で行くもよし、先生に(自己の目的に)必要なことを学ぶのもよしだと思います。
深刻に思い過ぎると、何でもそうですが、かえって視野が狭くなり、あせりが出ます。楽しみながらの努力はいいですが、昭和のスポコンのような(笑)厳しい鍛錬はいらないでしょう。
自分が読めないのは、知識不足・経験不足のこともあるとは言え、そもそも行っているスタイルが自分に合っていない、または必死過ぎて見えていないものがある(努力がズレている)ということが大きいように思います。
もちろんいい加減なことを推奨しているのではなく、向上心は大切です。そのうえで、自分で自分を苦しめていないか、少し見直してみるとよいでしょう。
前にも書きましたが、例えば、タロットリーディングと言えば、質問・問いをして展開するのが普通ですが、問いなしで展開し、逆に相談者が本当に問いたかったことを確認するという方法もあります。
そのほうが自分に合っているという人もいます。
タロットリーディング自体は本当に色々なスタイル・方法があると思います。自分に合った方向性で、最終的にはオリジナルなやり方で、自信を持ってやって行ければ、それが自分にとってベストなのかもしれません。
まあ、本当は、同じスタイル・型のようでいて、実はまったく同じものなんてないのですから、みんな違って当たり前なのです。
型や学びは、自分のスタイルを見つけるための方策だと思えばいいでしょう。
本来、学ばなくても、人はすべてを知っている存在だと考えられるのですが、この世の仕組み上、自分を知るためには、学び・経験することで自分を思い出せるようになっているので、思い出しゲームを楽しむような感じで、タロットにおいても、関わって行くのがよいように思います。
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