「正義」を見て、何か落ち着かない人に

マルセイユタロットに「正義」というカードがあります。

一般的に日本で多く使われているタロットのウェイト版(ライダー版)では11の数になっていますが、マルセイユタロットでは“8”であり、11は「力」です。

この違いには理由がありますが、とにかく、マルセイユタロットの体系(システム)においては、この数でないと「正義」も「力」も成り立たないということは言っておきます。

さて、今日は数の話題ではなく、「正義」のカードについてのものです。

「正義」は大アルカナと呼ばれる22枚の範疇の一枚で、この大アルカナは、心理学のユング的に言えば人の意識(思考・感情も含む反応パターン)の元型のようなものも表すと考えられます。

そこから、大アルカナをまず観察するということは、なかなか興味深い作用が生まれます。

最初にマルセイユタロットの大アルカナを見た人に、嫌いなカードとか、あまり好ましくない、嫌悪感の出るカードは?と尋ねると、「13」と「悪魔」が典型的にあげられることが多いです。

まあ、これは「13」の見た目と、「悪魔」の場合は、悪魔という概念が悪い存在だと人々に植えつけられている(悪魔という名前を言われなくても、悪魔風の絵だとわかる)からというのもあるでしょう。

一方で、意外に出るのが「正義」なのです。

すでにタロットにふれている方とか、知識がある方は、何とも思わないかもしれませんし、覚えた象徴の意味合いなどが浮かぶかもしれません。

一方、あまりマルセイユタロットを知らない方、初見の方には、また違った風に見えることもあるでしょう。

そうした中で、「正義」のカードに嫌悪感を持つ人、これを見て何か気持ちがざわつく人は、ある特徴とかタイプがあると考えられます。

それは、自分自身が正義、つまり、正しいことにこだわる人というものです。

この、正しいことにこだわるというのは、意識的な場合と無意識にやっている場合とがあります。

意識的な場合(自覚している場合、わかってやっている時)は、あまり問題はないのですが、無自覚・無意識な時は注意が必要です。

それは、正しくないと自分は評価されない、もっと言えば、正しくないと生きている資格がない、逆にすると、生きる(存在する)ためには、正しい人間でないといけない(間違ってはいけない)という自分ルールのようなものが、まるで法律(書)のように、自分の中に書き込んでいることがあるからです。

だから、「正義」のような、裁判官のような人物が描かれているのを見ると、心がゾワゾワしてしまうわけです。

これはいつも自分に課していいることであり、「私は正しいだろうか、間違っていないだろうか」と常に自分を監視していて、緊張を強いられているので、「正義」を見ると、それが強く意識されるのです。

正しくあろうとするのはよいことのように一見思えますが、問題は、先述したように、それが自己評価と自己存在に結びついてしまっているケースです。

そもそも、なぜ正しくなければならないのか? なぜ間違ってはいけないのか? と自らに問い、その答えに「そうでないと誰にも認められないから」「そんなことになったら、私は許されないから」というようなことがあれば、まさに自分で自分を罰しているようなものと言えます。

そして、いったい、いつからそんなルール(というより法律に近い)を自分に入れてしまったのかということと、誰に対して間違ってはいけない、正しくいい子、真人間であらねばならないと意識していたのかを振り返ってみるとよいでしょう。

これとは別に、自分に嘘をついている時も、「正義」のカードを見ると、心がもやもやしたり、そわそわしたりする感じが出る人がいます。

自分に嘘をつくというのも、いろいろなパターンがあり、しかしながら、シンプルに言うと、本当はやりたくない、本当は嫌なのにやっている、本当はこういう気持ちなのに違う表現や行動をしてしまっている、というような、自らの感情に行き着くことが多いです。

世の中はしがらみだらけですのて、自分の気持ちに嘘をつくというか、正直になれないことも普通にあります。(本来的な意味ではないものの)嘘も方便という言葉もありますし、自分のしたいように、言いたいように生きることはわがままになる場合もあります。

それでも、他人や外に対しては人一倍気遣うのに、自分自身に対しては気遣わず、まるで「今は黙っておけ」「ここは自分が我慢すれば丸く収まる」「言うと自分が傷つくのが怖いので、ここは黙っておこうね私」といわんばかりで、自分の気持ちは抑圧してしまう現代人は多いかと思います。

人に気遣う前に、まずは自分にも気遣い、自分と話し合ったうえで、外への対応をすればよいわけです。

結果は同じ行動になっても、自分に気遣ったうえで答えを出しているのか、自分を抑圧したままで、人にいい顔を見せるためにそうしたのとでは、大きな違いがあります。

「正義」には剣だけではなく、天秤もあります。天秤はバランスを象徴します。

他人ばかりに意識を向け過ぎても(人の言いなり)、また、自分自身に意識を向け過ぎても(わがまま)、バランスが悪いわけです。

両方相まって(両方に正直になって)、はじめて剣(決定・選択)を、躊躇なく振り下ろせるのです。

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