過去からの痛み
タロットリーディングでの相談となりますと、今現在、困っていることとか悩んでいること、選択に迷っていることなどが主になります。
時系列的に言えば、今述べたように、まさに「今現在」に起こっていることについてです。
しかし、実は問題のとらえかたには、様々なレベルがあり、私が使うマルセイユタロットの考え方では、少なくとも3つのレベル、もっと言えば7つ、そしておそらくタロットの構造的に21段階の層があるのではないかと推測しています。
ただし、そんな21層もの深くは、実際のセッションでもやりませんし、これはあくまで理論的な話です。
とはいえ、最低でもふたつの見方、層があると言えます。これはタロットに関わらず、どんなことにも言えるものだと思います。
それは、見える世界の問題と見えない世界での問題というふたつです。同時に、解決にも、そのふたつの層や見方が成立します。
「見える世界」というのは、実際に見て取れる現象、客観的に誰もが確認できる物理的出来事です。例えれば、ビデオで撮影してみれば、誰しも「そうだよね、そうなっているよね」とわかる内容です。
一方、「見えない世界」というのは、一般的な話でいうと、心の問題、思考や感情、特に感情分野の問題と言えますが、スピリチュル的範囲まで含めますと、サイキック面、精神世界、宇宙観、カルマ、前世みたいなものまで含まれるかもしれません。
それをどこまで入れるかによって、問題の見方も大きく違ってきます。
ただここでは、常識的範囲として、心理面(心)の問題を見えない世界の範囲として(仮に)決めるとします。それでも、さらにふたつの見方が出ます。
それは、顕在意識的なことと、潜在意識的なことです。
要は、自覚している思いと、まったく自覚していない思いの違いです。
しかも、この両者は入れ替わることもあり、つまりは思い出したり、気づいたりすれば自覚しないものから自覚するものになりますし、最初は自覚していても、自分にとっては覚えていることがつらいもの、嫌なことだとなれば、自覚しているものから無自覚なものに変化します。
さて、ここで、今日のタイトルの「過去からの痛み」につながります。
今起きていることは、確かに、見える世界での実際問題ではあるのですが、見えない世界では、過去の問題が復活しているとも言えるケースがあります。
体の痛み、心の痛み(どちらも自分にとって今のトラブル・問題と感じる)が今起きてはいても、それは、かつて自分が感じたものが、目の前の事件をきっかけに呼び起こされている可能性があるわけです。
幼い頃のものとか、いや大人になってからでも、覚えていたくないこと(忘れたい痛み)もありますし、我慢しなくてはならないと、封じ込めてしまった心(痛み)もあるかもしれません。
しかし、それは時を経たとしても、その時強く感じていたものであるので風化はせず、自分の中で残り続けているのです。
マルセイユタロットで言えば、「月」の(ザリガニ的な)感情、「太陽」の二人のうち、置き去りにしてきたもう一人の自分、「13」や「悪魔」にある黒い土の部分(タロット版によっては色が異なる場合があります)などで表されます。
今実際に起こっている問題について、見える世界での(現実的・実際的)行動や解決手段はもちろんあるでしょう。
それと同時に、見えない世界、言わば心の世界の問題もあるので、これについての対処も必要とされる場合がありますし、言わば、精神と物質、両面からの観点とアプローチが、真の意味で全体性が見えて、根本的解決に至る可能性が高いと考えられます。
同じパターンの問題が繰り返される時や、原因不明の痛みとかが起きているような時、それはかつての自分の痛みが呼び起こされ、その存在を認めてくれるよう訴えてきているのかもしれません。
ただ、それと向き合う時につら過ぎる感情が出たり、パニック的になったりする危険性もあるので、無理にする必要はなく、時には専門家の力を借りて、少しずつ(自身が封印していた面と)向き合ったほうがいいこともあります。
それでも、ここで考えてほしいのは、今の問題は、見える範囲でのそのままの現象として起っているのではなく、起因となっているもの、現れている理由は、別の時系列に存在するケースがあること、そして、当然、別の時系列に元があるのなら、その解決にも、当該時系列に移行する(フォーカスする)必要があるということです。(※厳密には過去の事件を思い出すのではなく、思い出すのは、その時の感情の方です、事柄より、その時感じて、いまだ残っているものが重要なのです)
ちなみに今回は、過去からのことを述べましたが、未来からのことも結構あり、それはシンプルに言えば、未来に対する不安からがほとんどです。
ところがそれも過去(からのパターン)とつながっていることがあり、結局、時系列は錯覚で、すべては今にあるという話にもつなかってくるのですが、それはまた別の話とします。

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