聞くだけでも変化はある。
マルセイユタロットにはペアとなるカードの概念があります。
その中に、大アルカナ2番の「斎王」(一般的には「女教皇」)と5番の「法皇」(一般的には「教皇」とか「法王」)のペアがあります。
このペアには様々な二人一組としての象徴と意味がありますが(これは講座でお伝えしています)、絵柄だけ見ても、「斎王」が話を聞いて、「法皇」が話をしているように見えます。
まさにインプットとアウトプットと言えます。もし仮に、何かを学ぶこととすれば、この両方は重要です。
まず、やはりインプット、話を聞くことから始まるのは、「斎王」が2番で、「法皇」よりも先に来ていることからわかります。
ただ先述したように、アウトプットあってのインプットであり、よく言われるように、ただ話を聞くだけでは、本当に理解したとは言い難いことが多いです。
しかしながら、今の風潮として、目に見える結果を重視するところがあり、極論すれば、過程はどうでもよく、結果さえ出ればよいという感じがあります。
ですから、実行することがやたらと強調され、行動を起こしていない者は結果も出せない(それはある意味、この三次元では理に適っていることとは考えられますが)、あえて関西弁で言うと、実際にやってなんぼ(笑)の世界と語られます。
とは言え、私自身はタロットをやって来て思うのですが、聴く(聞く)ことだけでも、実は大きな変化があるのではないかということです。
マルセイユタロットの概論、そして一枚一枚の意味などについて聞き、様々な関連事項の話を受け入れていくだけで、実際に私の世界観は激変したと言ってもよいです。
そのうち、それは確実に自分の中に浸透し、物事の見方から考え方まで一変し、それがいつの間にか、行動とか外側の現象にまで変化を及ぼしていたと考えられます。
別にタロットに限らず、自分にとって衝撃的内容の話は、話を聞くだけで、その人に大きな変化をもたらすものと思われます。
「斎王」と強く関連するカードの一枚に、16番「神の家」(一般的には「塔」)がありますが、その絵柄の指し示す通り、衝撃的な内容は、人をひっくり返すものと言えるでしょう。(「神の家」にはひっくり返った人が描かれています)
「神の家」についてもう少しふれると、ひっくり返った人がいると同時に、レンガ積みの建物は強固に組み上がり、マルセイユ版の解釈のひとつでは、この建物は壊れているのではなく、逆に完成(実際の家で例えると棟上げみたいなもので、本当の完成にはさらなる過程がありますが)するものと伝えれています。
ですから、何かの話を聞いて驚くのは今までの自分であり、実は新たな知見をもとに、もともと本当にある本質(自己の魂)の部分が露わになったり、強固になったりするという解釈もできるのです。
言い換えれば自我の衝撃的破壊により、トータルな部分の自己の認識が深まってくるということです。
もちろん、既知の内容であっても、新たな感覚を得ることがあります。これは逆に言うと、自分が変化した、あるいは、変化しつつあるからでしょう。
外は同じのように見えても、内が変われば外も変化することになるのです。
それでも衝撃的な内容であれば、無理矢理でも、強制力のように内にインパクトを与え、変化する可能性も高まります。
※ここで言う衝撃的内容というのは、単にびっくりする話、知らなかった話というのではなく、自分の深い心の部分や魂レベルに届く、感情も揺り動かす話を言っています。
だからと言って、アウトプットや実行をなしがしろにしていいという話ではありません。
しかし、今回言いたいのは、話を聞くだけでも効果(の可能性)はすでに始まっていることがあるということです。
むしろ、いきなり話も聞かずに、慌てて始めてしまうより、じっくりと話を聞き、時には何度も繰り返し聞くことで、理解が深められ、余計なものに手を出したり、支離滅裂に行動してしまったりすることが少なくなると言えます。
いつもより関心が出る話、あれっ?とちょっと気になるというような話は、あなたの何かのアンテナがキャッチしている可能性がありますので、よく話を聞いてみることです。
また、時間を置いて、以前聞いた話をもう一度聞くと、かなり印象が違うこともあるでしょう。
今の自分の変化に伴い、ぴったりの内容が偶然のように、必然的に提示される場合(シンクロニシティ)もあり、それを受け入れてみるのもよいかもしれません。
ここで注意することは、心地よいこと(話)ばかり聞くのではなく、少々耳の痛い話や、理解が今はできない話であっても、聞き入れておくと、あとで効果とか変化が出て来ることがあるということです。
自分とは違う意見も聞いてみることで、視野は広がります。
ただし、あまりにも苦痛なものとか、心が拒否してしまうもの、暴力的な内容、幼過ぎて聞くに絶えないものなど、悪い意味で違和感の激しいものは、聞かなくてよいというサインだと思います。
それと、あまりに同じ話とか人物に傾倒するのも危険です。それはもう洗脳状態と言えるからです。(最近の選挙や政治関連などでも、そういうことが顕著になってきています)
その意味でも、たとえ同じ分野であっても、違う人の話とか意見を聞いたほうがよいのです。
物事はすべて正しいと言えますが、すべてどこか間違いとも言える(高い次元ではすべてひとつの表現と言え、しかしひとつひとつのレベルでは、しょせん人間のフィルターによる考察なので完璧ではない)と思いますので、主観的な受容の精神と、客観的な選別を意識するとよいでしょう。
要するに、聞く態度にも女性性と男性性があり、その両方のバランスが重要だということです。

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