緊張と緩和、そして中毒現象
私たちは、日頃、結構緊張を強いられています。
その緊張は身体的にはもちろん、精神的にも及んでいます。現代人はむしろ精神的な緊張が多く、そのために身体までも強張っていると考えたほうがよいかもしれません。
いずれにしろ、緊張により、心も体も固まってしまうわけで、そうすると、その両方に滞りが生じます。
滞りですから、循環もうまくいかず、澱んだり、濁ったり、固定されたりしていくわけです。
それが肉体的には凝りとか炎症とかになって痛み、不快感になり、精神的には気分の沈み、落ち込み、不安、頑固、ヒステリーなどを起こすと考えられます。
そもそも肉体に不快感あれば、気分は悪くなりますし、その逆で、気持ちが落ち込めば、体も動きません。
ただ、何も緊張が悪いわけではなく、言わば、緊張は人の自然な現象・防衛反応でもあります。
原始の時代に危険の多い世界で、緊張していないと、獣や敵に襲われ、防御や逃げることが遅くなり、命も危ないことになります。
しかし現代人は、そういった命の危険性はなくても、遺伝的に気持ちとともに反応してしまう仕組みが強く残っていて、それがひっきりなしに起こっていると言えましょう。
人やモノが多く、常にいろいろなことに気遣う複雑な社会に生きるようになってしまったことによるのかもしれません。
ちなみにマルセイユタロットの「隠者」というカードは、俗世間から離れて一人孤独に修行している人物の絵ですが、このような環境においてこそ、精神的・霊的に集中ができ、落ち着き、向上もかなうのでしょう。
もっとも「隠者」クラスになれば、いざとなれば、世間に降りてきて、それ相応の智慧と力を見せることはできるでしょうが。
ともかくも、普通の現代人は、過緊張になっている人か多いということです。
しかしながら、世の理として、緊張が永遠に続くわけではありません。必ず、逆の作用が働きます。それが緩和、緩める方向です。
放っておいても自然に緩んでいくわけですが、この緊張と緩和のペース・バランスが、非常に過激、急激になるケースがあります。
言ってみれば、伸びきったゴムが突然切れたり、縮もうと急速に戻ったりするようなことです。
ゆっくり伸びて、ゆっくり縮めばいいのですが、今の私たちは緊張は長くかかっても、緩めることがいきなりや強烈になり、線で表せば急降下するような形になりがちです。
緊張はゆっくりと言いましたが、その、ためていく量が尋常ではないものになっていることが問題かもしれません。
ものすごく緊張の時間(量)をためて、一気に解放する、弛緩させることが日常的に繰り返されている、それが現代人の特徴かと感じます。
マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」の高速回転です。
いつも高速回転しているので、文字通り、目まぐるしい生活、慌しい日常となります。
カードの名前の通り、「運命」さえも急転直下することもあります。これは幸運と不運、山と谷の差が激しい状態とも言えます。
ここでは今、幸運と言いましたが、実は客観的に見た幸運というより、主観的にまず不運とか嫌なこと(緊張を強いられること)があって、それが積もり積もって、やがて解放(弛緩)のための事が突然起き、それがちょっとした、ほっとするようなものであっても、本人には幸運、とてもいいことのように感じ、まるでつかの間の天国にいる気分にさせるわけです。
本人目線で相対的ギャップが激しいため、ほんの少しの解放でも、とてつもない報酬、喜びと感じられる仕組みです。
この天国にさせる道具は、何も麻薬とかギャンブルとかが必要なわけではなく(これらをしている人は、より深刻ですが)、それこそお菓子、コーヒー・紅茶、お酒、パン、揚げ物などの飲食物、し好品、癒しためのグッズ、愚痴を言う、人への相談、いじめ、けんか、悲劇の主人公、マッサージ、整体、ヒーリング、ネットサーフィン、動画視聴、SNS投稿、病院診察、いきなりの運動、歌う、叫ぶ、好きなものへの消費行動など、人それぞれで、何でもいいのです。
そして問題なのは、カードでは、「運命の輪」の続き番号の「力」と「吊るし」の逆状態が起きることです。
それは、つかの間の天国を味わいたいために、緊張を自らに課すことを起こしていくという逆転現象です。
しかしながら自分の自覚する意識(顕在)ではわからず、潜在意識の力が作用して、潜在意識が望む現象を引き起こすとも言えます。「力」のカードのライオンを、悪い意味で無意識のうちに解放させるみたいなものです。
こうして、(自覚のない)中毒現象、「運命の輪」での逆回転とでも言えるようなことが始まります。
別のカードで表現すれば、「悪魔」にとらわれた人物、「13」と「節制」の二枚を逆位置で並べて、苦しいことから救われるかのように見せかける中毒現象(緊張と自虐、そしてその弛緩と中毒的処方)でもあります。
「運命の輪」が表すように、同じ回転パターンを繰り返していないか、無意識の奴隷になっていないか、自分で精査し、気づく必要があります。
これには、いい意味での「吊るし」の意識が重要で、反転して逆から考察することにより、気づきが生じます。
例えば、何々を食べるから体と心が悪くなるというのではなく、体を悪くさせたいから、悪いと思われるものを食べるみたいなことです。
で、なぜに好き好んで自分は体を悪くさせたいのか?という視点になって(そんなことは普通は考えられないと思いますが)はじめて、問題の本質が見えてくるわけです。
緊張と緩和に戻りますが、もっと楽な緊張と緩和のレベルを本来はすればよいのに、激しいパターンで、言わばギャンブル的興奮によって、自分自身を慰めている、刺激しているのです。
そうしないと、自分が生きている実感が得られないほど、心が麻痺しているわけです。
結局、自分自身の本当の部分をないがしろにしてきたことで、そうなっているとも言えます。
外に何かの解決を求めるより、やはり自分自身の内側に関心を向け、心を寄せることが重要なのです。

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