自然や宇宙に委ね、流れに任せる前に。

マルセイユタロットに「星」というカードがあります。

絵柄を見てもわかるように、女性(女神と言われている)がふたつの壺から水のようなものを流しており、見ているとゆったりとした、穏やかな気分になります。

大いなるもの、自然や宇宙に委ねるというような感覚になる人もいるでしょうし、実際、そのような意味合いも「星」からは出ます。

そして、これに「運命の輪」が加わると、その回転するものの絵柄から、自然な流れというのが、より一層、協調されるように思います。

ところで、自然に委ねるとか、自然の流れに任せるという言葉はとてもよいように思いますが、なかなか私たちはそうした心境にはなりにくいものです。

それはやはり、外側の事態や環境に振り回されることが多いからと言えます。

それでも、スピリチュアルなことに関心のある方の多くは、自然の流れに任せるような態度をよしとしています。たとえ実行できなくても、意識することが重要だというわけですね。

宗教的表現になると、宇宙とか自然というものを「神」と例える場合もあり、曰く、神のご意思に従うとか、神の思し召しなどの言い方になることがあります。

しかしながら、そのような心境・態度は究極的には善いもの(人間の自我的な意味での良いというのとは違い、大きな観点からの話で、です)だと考えられるものの、先述したように、私たちは環境的にそのようになりにくいですし、また頭だけでわかった風になって心がけようとしても、かえって「自然に任せること」が、自分を悪化させてしまうことがあることにも注意が必要です。

自然に任せているのに、なぜ自分が悪化するのかと言えば、内的に自分が不調和、不自然なままであるからです。

内と外の親縁性とか、鏡写しとか、シンクロとか聞いたことがあると思いますが、おそらくこれは真実でしょう。つまり、内と外はつまるところ、同じものを表現や場の違いとして、人がただ認識しているだけだと想像できます。

平たく言えば、自分が思っていることが外に表現されることであり、逆の、外に起こっていることは、自分の中で起きている状態でもあるわけです。

とすれば、いくら、自然に任せる、自然の流れに委ねるとしても、自分の内側が任せられない、委ねられない状態であると、当然内外の一致現象により、外側にも不自然、不調和を見ることになります。

そして、自分の表面意識で、神や自然に任せようとしても、それは言わば自然(神)を自分がコントロールしようというものと同じになり、ますます内外の乖離とか葛藤を経験していくことになります。

時計で言えば、自分の持っている時計が狂っているのに気付かず、外の時計とのズレを見て、外の時計に合わそうと自分の行動を強制しているようなものになります。

自分の時計が狂って18時を示しているのに、外はすでに20時なので、慌てて20時に自分の行動を修正するみたいに、常に外側の時計に意識を向け、それに合うように行動しようとすることが、本人としては自然に委ねる、自然の流れに任せるみたいに思ってしまっているということです。

要するに、自分の内側が整っていない(調和していない)のに、いくら大きなものに委ねようとしても、何より自分自身が委ねさせてくれず、無理からやろうとすると、そのズレをますます認識させられる結果が、外側、事象として起こって来ることになるのです。

自分が緩んでいない状態では、委ねる、任せるどころではないのです。そんな自分を放置(自然に任せるとするような態度を)していると、ますますネジが締まって行くばかりなのです。

自然に任せるというのは、意識的にというか、表面意識が強引にするのではなく、気が付けば(潜在意識・無意識領域から)そういう心境になっていた、そういう態度になっていたというようなものと言えます。

大事なのは、自分が自分に任せられるかです。それには、内なる会話、強制ではなく共生、自身のあらゆる面を認め、許可していく作業が必要となってきます。

また自然に任せられない自分を責めるのでもなく、そんなコントロール癖のある自分自身も受け入れていくことです。

これは別に自分が悪いわけでもなく、自己の存在価値とは無縁のことです。ただ取る手段に偏りとか、不自然さがあるだけです。

言ってみれば、私たちは誰しもが、実は常に自然や宇宙に任せている状況であり、言い換えればその一部で、それそのものなのです。

従って、任せるとか委ねるとかの発想自体がおかしいわけです。

それは自分と自然(自分自身の内側)を分離してしまっている見方と言えます。

マルセイユタロットで言えば、数の逆をたどり、「太陽」→「月」→「星」と内的な状態にしていけば、自然との一致感が、より実感できるものと考えられます。

それは「太陽」のように自分の内的統合を目標・イデア図として、「月」のような影、感情、見えない部分を探り受容し、そうすると、「星」の女神のような素の状態で、自然に水を流していく(流れていく)状態になるわけです。

瞑想とかして、宇宙や自然と一体化みたいな方法もよいのですが、その前に自分自身と向き合うことが、もっと重要かもしれません。

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